レイが出て行った瞬間、物陰から含み笑いがした。
「悪趣味な。いつの間に、隠れ聞きなんて嗜好が出来たんです?」
「昨夜の情報を渡す代わりに、部屋にいさせてくれって条件を飲んだのは君だ」
間違いはない。その通りだ。
カーテンが、バサッと翻る。左肩の後ろ、自分が腰掛けるデスクの背後の窓。
そこから、ふわっと1人の男が舞い降りた。空気から滲み出るような滑らかさで。
「満足しました?ヒバリさん」
「うん。面白い物を見た」
黒いスーツの男。雲の守護者、雲雀恭弥だ。
その指先で、霧のリングがパリンと砕ける。ステルス機能の無駄遣いだ。
「親、だって。キミが。あの男の」
「俺が男親面じゃ、おかしいですか?」
「おとこおや」
雲雀が、ひらがなで笑った。言葉の滑稽さをなぞるような笑い方。
「親の心子知らず、ね」
「なんですか」
眉を寄せる。今日の雲雀は、どこか妙だ。
常なら、他者を切り捨てバサッと物を言う口が、毒でも舐めているように苦く閉じられている。
「笑わせる」
ガンッ。重い音で、デスクが震えた。
目いっぱい開かれた手のひらが、机を叩きつけている。突っ張るように置かれた肘の、その上へと視線をなぞった。二の腕、腕の付け根、首、唇。
「子だなんて思ったことは、ないんだろ?」
目が合う。
斜めから見下ろしている瞳が、他人を刺す時のような色をしていた。
昔は苦手だった。人の心を読み取るのは。
この立場に就いて、様々な修羅場を越えて、そうして少しずつ得ていった。スキルも他者の扱いも。
幼い頃にはわからなかったものが、今なら本を読むように理解できる。右腕の苦しみが、友人の歪みが、孤高の誇りが、復讐の甘美さが。そして、師の温かみが。
理解できた頃に、レイに出会った。
「……ヒバリさんも、わかっているんでしょう?」
「何が」
「レイの異常性」
雲雀は無表情だった。
「腹を刺されても嬉しいとか言っちゃう、異常なマゾ気質なら、昨夜知ったけど」
「選ばせないんですか?」
「何を?」
探すんじゃない。選ぶんだ。
そう言った雲雀が真理だ。ある意味、親のようにまっとうな教唆。レイにとっては痛いであろうその言葉は、けれど、きっと良い薬になる。
じゃあ、選ばせず強制的に与えた自分は。
「1番仲が良いのに。自分を選べって言えば、」
「どの面下げてソレ言うの?」
喰らいつくように返された。殺伐とした声音だ。
窓から放り投げだされたゴミに唾吐くような。
「本当にレイが僕を選んだら、選べって言ったその口で泣くでしょ。君」
真理だ。
この男の言う事はいつも真理で、正論に近い。遥か昔、落ち込み立ちすくんだ自分の顔を、「つまらないな」と一蹴した時と同じで。
勝手な自分ルールで生きてるくせに。
「泣きませんよ。オレは、偉大なるボスですから」
「冗談が上手くなったね。メンタル面も強くなった」
「ヒバリさんには負けますけど」
「何、ご機嫌取り?当然だけどね」
「昔から横暴ですね」
「僕は、君とは違う」
雲雀の声に、何かが滲んだ。
道路にポツリと雨粒が浸みるように、ささやかな違和。
「君みたいに、自分の立場に囚われる事はない」
深い色の目だ。澄んだ、と呼ぶには強すぎる目線の瞳。
「……さすが、孤高の浮雲ですね。何にも捕らわれることはない」
「小動物の癖に、ボスだなんて不釣り合いな冠をかぶるから」
視線が交わる。
正論は人間を殺す。いつか、そんな事を聞いたのを思い出した。
「……守るべきものが増えすぎたから、一線越えられないんだろう?」
突き放すような正論。
それでも、彼が自分を殺したいのではなく、慰めたいのだとはわかった。
歪みあるものを可愛いと思うのは、刷り込まれた性だ。マフィアの頂点に至るまでに、そんな人間を何人も見てきた。
だから、理解できてしまった。否定しようなく外面の良い彼に、救いようのない亀裂があるのを。
『……オレが、キミの親になってあげる』
そう言い終えた瞬間の、彼の目。そこに僅か映った、縋るような色に愛情を覚えたのは、ボスとしての自分じゃない。
1人の男としての自分だ。
「……ヒバリさんは、好きなんですか?」
返答に髪1本分の隙もなかった。
「まさか」
アッサリした言葉。さすがに笑う。
「ホントに?」
「嫌いではないよ。レイは強いし」
「まあ、そうですけど」
「でも、見てるとムカつく。わけわかんないとこで悩むし」
不出来な部下を酷評するような口ぶりだ。
色恋が挟まるような、ロマンスある口調じゃない。
「でも、オレとわざわざ取引して盗み聞きするくらい、気にかけてるじゃないですか」
何気なく言ったつもりだった。何の意味も無く。
だが、隠していた宝物のありかを暴かれたような顔で、雲雀が急に固まった。
「……君って、たまに真理突くよね」
「エッ」
トンファーで殴られかけた。理不尽だ。