6,鎖遊戯(下)

「親、ね」
 レイが出て行った瞬間、物陰から含み笑いがした。

「悪趣味な。いつの間に、隠れ聞きなんて嗜好が出来たんです?」
「昨夜の情報を渡す代わりに、部屋にいさせてくれって条件を飲んだのは君だ」

 間違いはない。その通りだ。
 カーテンが、バサッと翻る。左肩の後ろ、自分が腰掛けるデスクの背後の窓。
 そこから、ふわっと1人の男が舞い降りた。空気から滲み出るような滑らかさで。

「満足しました?ヒバリさん」
「うん。面白い物を見た」

 黒いスーツの男。雲の守護者、雲雀恭弥だ。
 その指先で、霧のリングがパリンと砕ける。ステルス機能の無駄遣いだ。

「親、だって。キミが。あの男の」
「俺が男親面じゃ、おかしいですか?」
「おとこおや」

 雲雀が、ひらがなで笑った。言葉の滑稽さをなぞるような笑い方。

「親の心子知らず、ね」
「なんですか」

 眉を寄せる。今日の雲雀は、どこか妙だ。
 常なら、他者を切り捨てバサッと物を言う口が、毒でも舐めているように苦く閉じられている。

「笑わせる」

 ガンッ。重い音で、デスクが震えた。
 目いっぱい開かれた手のひらが、机を叩きつけている。突っ張るように置かれた肘の、その上へと視線をなぞった。二の腕、腕の付け根、首、唇。

「子だなんて思ったことは、ないんだろ?」

 目が合う。
 斜めから見下ろしている瞳が、他人を刺す時のような色をしていた。

▽▲


 昔は苦手だった。人の心を読み取るのは。
 この立場に就いて、様々な修羅場を越えて、そうして少しずつ得ていった。スキルも他者の扱いも。
 幼い頃にはわからなかったものが、今なら本を読むように理解できる。右腕の苦しみが、友人の歪みが、孤高の誇りが、復讐の甘美さが。そして、師の温かみが。
 理解できた頃に、レイに出会った。

▽▲


「……ヒバリさんも、わかっているんでしょう?」
「何が」
「レイの異常性」
 雲雀は無表情だった。
「腹を刺されても嬉しいとか言っちゃう、異常なマゾ気質なら、昨夜知ったけど」
「選ばせないんですか?」
「何を?」

 探すんじゃない。選ぶんだ。
 そう言った雲雀が真理だ。ある意味、親のようにまっとうな教唆。レイにとっては痛いであろうその言葉は、けれど、きっと良い薬になる。
 じゃあ、選ばせず強制的に与えた自分は。

「1番仲が良いのに。自分を選べって言えば、」
「どの面下げてソレ言うの?」

 喰らいつくように返された。殺伐とした声音だ。
 窓から放り投げだされたゴミに唾吐くような。

「本当にレイが僕を選んだら、選べって言ったその口で泣くでしょ。君」

 真理だ。
 この男の言う事はいつも真理で、正論に近い。遥か昔、落ち込み立ちすくんだ自分の顔を、「つまらないな」と一蹴した時と同じで。
 勝手な自分ルールで生きてるくせに。

「泣きませんよ。オレは、偉大なるボスですから」
「冗談が上手くなったね。メンタル面も強くなった」
「ヒバリさんには負けますけど」
「何、ご機嫌取り?当然だけどね」
「昔から横暴ですね」
「僕は、君とは違う」
 雲雀の声に、何かが滲んだ。
 道路にポツリと雨粒が浸みるように、ささやかな違和。

「君みたいに、自分の立場に囚われる事はない」

 深い色の目だ。澄んだ、と呼ぶには強すぎる目線の瞳。

「……さすが、孤高の浮雲ですね。何にも捕らわれることはない」
「小動物の癖に、ボスだなんて不釣り合いな冠をかぶるから」

 視線が交わる。
 正論は人間を殺す。いつか、そんな事を聞いたのを思い出した。

「……守るべきものが増えすぎたから、一線越えられないんだろう?」

 突き放すような正論。
 それでも、彼が自分を殺したいのではなく、慰めたいのだとはわかった。

▽▲


 歪みあるものを可愛いと思うのは、刷り込まれた性だ。マフィアの頂点に至るまでに、そんな人間を何人も見てきた。
 だから、理解できてしまった。否定しようなく外面の良い彼に、救いようのない亀裂があるのを。
 
『……オレが、キミの親になってあげる』

 そう言い終えた瞬間の、彼の目。そこに僅か映った、縋るような色に愛情を覚えたのは、ボスとしての自分じゃない。
 1人の男としての自分だ。

▽▲


「……ヒバリさんは、好きなんですか?」
 返答に髪1本分の隙もなかった。
「まさか」
 アッサリした言葉。さすがに笑う。
「ホントに?」
「嫌いではないよ。レイは強いし」
「まあ、そうですけど」
「でも、見てるとムカつく。わけわかんないとこで悩むし」
 不出来な部下を酷評するような口ぶりだ。
 色恋が挟まるような、ロマンスある口調じゃない。

「でも、オレとわざわざ取引して盗み聞きするくらい、気にかけてるじゃないですか」

 何気なく言ったつもりだった。何の意味も無く。
 だが、隠していた宝物のありかを暴かれたような顔で、雲雀が急に固まった。

「……君って、たまに真理突くよね」
「エッ」

 トンファーで殴られかけた。理不尽だ。

back


ALICE+