沢田綱吉が両手を組んだ。
女神像のように優しい笑みで、組んだ手の上に顎をのせる。
「任務完了しました、偉大なるボス」
「腹に大穴あけてね。あと数分で死ぬトコだったとか」
ツナの笑みがますます深まる。誰だ、密告した裏切り者は。
「ボンゴレには何の損害もありません。なんたって俺は『ボンゴレの犬』」
「他に言うべきことがあるよね?」
「ワオン」
「レイ」
ボンゴレボスは、怒ると怖いランキングトップスリーに余裕でランクインする。怒りゲージが上がる度に、微笑みの慈悲深さに磨きがかかるのだ。
雲雀や獄寺の怒りとは全く異なる。様々な人間にボスと跪かれるだけあって、レベルが違うのだ。
なんていうか、虎や豹相手に戯れるのと、怒れる竜を目前に立ちすくむみたいな。そういう、実質的な差が。
「オレがキミの回復を待たず、任務明けに朝イチで呼び出した理由、」
こういう時、ツナは微笑むだけだからタチが悪い。
指で机の表面をトントンとか、膝を貧乏揺すりとか。そういう、わかりやすい仕草で読み取らせない。マフィアの鑑だ。
「わかってないとは言わせないよ、レイ?」
ニコッ。
机の向こうで、ツナの笑顔が今日イチの輝きを見せた。
言わずもがなボス専用。オートロックも暗証番号も無い、手ごろな広さの部屋。
アナログな錠は付いているらしいが、それすら掛かっている場面はあまり見ない。
アジトの真ん中、「誰もが足を運びやすい」という、出来立てのショッピングモールみたいな言葉で部屋を決めたのは、沢田綱吉その人だ。つまり、ここはボンゴレ10代目ボスの部屋。
そして現在、レイの精神的な拷問部屋でもあり。
「馬鹿みたいな怪我して医務室の物減らしてスミマセンッ、骸と俺でフザけすぎましたっ!」
「フザけて互いの武器刺し合うとか正気?」
「アーーー誰だ、詳細まで詳しくバラしたヤツは!!」
骸は第一線で消した。多分、アイツは雲隠れしているだろう。面倒事はすぐさま避ける、キツネみたいな勘の男だ。
となれば。黒髪の男が秒で浮かんだ。昨夜、「君ってドMだったんだね」と勘違いもここに極まれり、みたいな一言を残し、医務室から消えていったアイツだ。
「雲雀がツナに情報売るとか……」
「オレは、ヒバリさんと仲良しこよしだからね」
「ワ、ワーーオ」
仲良しこよし。雲雀と。ツナが。冥界にコサックダンスみたいな取り合わせだ。
そこまで思って、気が付いた。仲良しこよし。パッと、ツナの顔をガン見する。
「……聞いてたの?」
「何が?」
組んだ手の上で、日光みたいな色の瞳がぬるく微笑む。
黒檀で出来たデスクさえ、この男が座るだけで威厳に満ちるのだから不可思議千万だ。
「プライバシー保護って知ってる?犬にだって聞かれたくないコトはあるんだぞ」
「昨夜とはかけ離れたテンションだね。雲雀さんに説教されて人格変えたの?」
正面から時速180キロの豪速球。それも顔面に。
斜め45度とかじゃない。ボンゴレボスはいつも、予想だにしない返答で殺りにくる。
「……謝罪ならしたんで、許してもらえません?」
「やーだ」
表情筋が死んだ気がした。
ヤーダ。Ya-Da?
相手が一般人なら、現段階で殴っているところだ。2秒前に盗聴宣言とプライバシー侵害マックスみたいな発言しといて、そっからまさかのブリッ子返答。キャラブレすぎてないか。人格いくつあるんだ。
「オレ、怒ってるんだよ」
自己申告。それもやたらキュートな。
アイドルとかじゃあるまいし。
「ええ、わかります」
微塵もわかってなかったが返答した。何と答えればこの部屋から出られるのか、最早見当が付かない。
怒ってるんじゃないのか。アジトの廊下を血で汚したことと医務室の道具をかなり消費したこと、あと、余計な戦闘をしたこと。そこらへんで呼び出しを喰らったんじゃないのか。
そうじゃないなら。
「わかってないでしょ」
金色の目が、レモネードみたいにゆるりと細められる。
そうじゃないなら、何だっていうんだ。
沢田綱吉は悪魔だ。自分の。
今世の快楽を約束する代わりに、死後魂を奪う契約を交わす剣呑な魔物。
その悪魔が、黒いデスクの向こうで口を開く。
「子猫は、ダンボール箱から出られないだけで、鳴いて親を呼ぶんだって」
聞き間違いかと思った。
面食らうとかじゃない。バズーカみたいな話題の飛びっぷりに、一瞬、本気で空耳を疑う。
この人何て言った。コネコ?
「カラスの親だって、ヒナが呼べばすぐさま巣に戻る」
助けを求めるようにデスクを見た。のっぺりした黒い表面だけがある。当然ながらだんまりだ。返事は無い。この場を切り抜けるアドバイスも。
「面白くない?日頃、ゴミ漁りに精を出すカラスだって、子が1番なんだ」
偉大なるボンゴレボスが、なぜかカラスを皮肉っている。事態はますます深刻だ。端的に言って返答に困る。
なんて言うんだ。へえそうですかーとかか。カラスだけに。ダメだ頭が回ってない。
「……まあ、蟻みたいな社会的生物じゃなきゃ、そういう親子間の愛情はフツーあるでしょう」
「そうだね」
無理やりひねり出した返答に、ツナが採点をするように微笑んだ。
「つまり、犬猫にだって親子愛はあるんだ」
答え。親子愛の普遍性。
「……はあ」
とりあえず、相槌を打つ。何が言いたいのかはサッパリだ。どこに話が行き着くのかも。
雑談か、それとも豆知識か。このタイミングで?
だとすれば、さすがに神経を疑う。それか日常のストレスで狂ったか。
「人間の、ましてや二十歳を超えた大人なら、もっと簡単な話だろう?」
見つめた。
デスクの向こう、慈しむようなツナの顔を。
「……どうして、1番にオレを頼らないの?」
静かな声で問い掛けられて、そこで、初めてわかった。
怒ってるんじゃない。咎められているんだ。
……ああ、そういうことか。
沢田綱吉は、悪魔だ。自分の。
契約の言葉は、たった一言。
『オレが、キミの親になってあげる』
たった、それだけ。
「……もう少し、わかりやすく言ってもらえませんか。子どもに難しい言葉は通用しないんですよ」
「聡明すぎる幼児だからね。これくらい遠回りじゃないと」
不思議だ。
あの一言で、自分はこの男の『犬』になった。
「親として1番に呼んで欲しかったんだって、なんで最初っから言えないんです?」
ツナが、声に出して笑った。
「親の心子知らず、だね」
「え?」
「本当に幼児相手ならまだしも、反抗期も思春期も飛び越えたような息子相手に、素直になれなんて酷な話だ」
照れくさいって言ったらわかってくれる?
そう笑ったツナは、レイが今まで見た事の無い目をしていた。
小さい頃に絵本で見た、優しい父親のような目を。