8,ストレイシープ(下)

「……俺って、何かを『嫌い』って思う事に、理由をつけてハッキリさせないタイプなんだ」

 すぐ上、見下ろすレイは、指定されたように真顔だった。
 背中を土の感触がこする。今度は、こっちが馬乗りに乗っかられていた。
「なんで?」
「脳は言葉にしたモノを本当だと思い込む。ハッキリ言葉にしなければ、嫌いだという意識も薄れる。だから」
 爪はなんで生えてくるの?生理現象。みたいな、手際の良い解答。
「……キライなもの増やしたくねーんだ。優しいな」
「でも、お前と骸は無理だ」
 おおっと。ちょっと心にダメージを負う。
「ハッキリ言葉にしたいほど、キライ?」
「うん。特に骸は、嫌い。俺と似てるから」
 一瞬、小粋なジョークかと思った。同族嫌悪、ってヤツなのか。
「俺と似てるのに、骸は俺より強い」
 違った。尊敬が憎しみに変わったパターンか?

「……肝心なところで、俺と違う。だからあいつは大嫌い」

 見下ろす目に影が見えた。曇り空を塗り潰す、暗雲のような色。
「じゃあ、オレは?」
「山本は昔から苦手意識あったけど、物の見事に嫌いゾーン突入」
「お、おおぅ」
 物の見事に嫌われている。身に覚えがないだけに悲しくなった。
「理由は?」
 問えば、レイはこちらを見た。すぐに視線が外される。

「……山本みたいな人間と対面してると、自分の乏しさが嫌になる」

「え?」
 神に創られたような人間が、神を呪うような顔をして呟く。
 理解が追い付かない。だが、相手は待ってくれなかった。
「嫌いな物を増やしたくない俺を、優しいって呼んだじゃん。さっき」
「え?ああ、うん」
 爆竹みたいに、話がよくあっちこっちへと飛ぶことだ。脳処理が追いつかない。

「エゴだよ。優しくなんてない」
「?」
 エゴ?
「どこらへんがエゴなんだ?」
「心に負担が増えるのって、嫌だろ」

 見つめる。仰向けの体の上に乗った相手は、世の中全てに冷めたような目をしていた。

▽▲


 周囲の人間は教えてくれなかった。というより、自分にわかる言葉で言い換えてくれなかった。「ボンゴレの犬」を名乗る、秀麗な男の本質を。
 嫌いなものを増やしたくない感情の動きを、エゴだと言い切った男。心に負担が増えるのはイヤだという言葉は、ひっくり返せば、世界中を好きなもので満たしておきたいのと同じだ。
 けれど、そう言ってしまう時点で好きも嫌いもない。多分、この男は大体のものが好きじゃない。

▽▲


「……好きか嫌いか、白黒付けたがるのはなぜ?」
 自分に向けられた問いじゃない気がした。
 少し迷って、言葉を選ぶ。
「曖昧なものって信用できないからじゃね?」
「曖昧な……」
「例えば、いいヤツっぽいけど、何考えてるかわかんないから、骸ってたまにこえーじゃん」
 レイの目に、戸惑いが浮かんだ。
「骸が、ツナに好き好き大好きとか言っててもヤダけど」
「それは確かにちょっと怖いな!」
 獄寺あたりなら、泡吹いて倒れそうだ。

「山本は、どうして俺が気になったの」

 目をしばたく。聞き間違えかと思った。
 この、どこか不安定でつかみどころのない猫が、直接的な質問を繰り出すなど。
「うーん……オレはただ、本当に気になっただけだからなぁ」
「他人を気にするのって、面倒じゃないか」
 本音だ。なぜか、わかった。
 やっぱり猫に似ている。人を厭う猫。
「面倒なだけじゃないだろー。可愛い子とか元気な子とか、なんか惹かれる奴っているじゃん」
「ひかれる」
 異国語のように、上に乗った相手が呟く。中学生に英語を教えてるみたいだ。

「そんな奴、いないな」

 ぽつりと、レイが漏らす。
 その言葉の寂莫さに、胸を刺された気がした。


『欠落者』
 雲雀が告げた三文字が蘇る。言葉が文字になって浮かぶように。
 小学生だって、好きな人の話で頬を染める。人は、いつも人に動かされているのだ。年齢も性別も状況も関係なく。
 それなのに、この男はいないと言う。心動かされる相手が。
 迷子になったまま時間が経ちすぎて、帰る場所すらわからなくなった子どもみたいに。


「……オレにとっては少なくとも、レイがそうだった」
「そう、って?」
「惹かれるヤツ」

 届けばいいな。心を込めて答えた。
 恋や愛は、誰かに教えてもらって理解するものじゃない。雛鳥が親鳥を見て羽ばたくように、誰かに与えてもらうからわかるんだ。

「いつか、見つかればいいな」

 そう言った自分の顔を、なぜかレイは目を細めて見下ろしていた。眩しがるように。

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