9,不可侵をおかす(上)

 人間は大抵面倒だというのが自論だったが、その典型的代表みたいなのが目の前の男だ。

「なに」
「お前って、顔だけは良いよな。レイ」
「獄寺、ケンカ売ってんの?」

 ひくっと、レイの口角が引きつった。こっちの顔から約10センチの近距離で。
 向かい合う首元に包帯をあてて、必要な長さを目測する。水平線を描くように、レイの首にはまっすぐ縫った痕があった。ヌイグルミみたいな縫い目だ。

「ソレ、確かついさっきも言われた。顔だけは良いって」
「あ?誰に」
「雲雀」

 ヒバリ。よく、この男が絡んでる相手だ。
 最近、こっちじゃ見かけなかったのだが。

「アイツ、日本に行ったんじゃねーのか」
「そうなの?」
 今聞きました、みたいなすっとぼけな顔で見られる。なんでお前が知らないんだ。
「よく把握してるね、獄寺。お前、雲雀の恋人なの?」
「果たすぞ」
 流れるように煽り合う。手榴弾を投げつけ合うみたいなものだ。
「だいたい、さっきっていつだよ」
「ん?んー……2日前?」
「フツカマエ」

 世間では、それをさっきとは呼ばない。

「ったく、テキトー野郎が」
「なんて暴言を」
 レイが小娘のように慄いた。
「こんなにも計画性に満ちて繊細な精神した人間に」
「誰がどう繊細だよ」息継ぎナシで噛み付く。
「簀巻きみてぇな神経しといて」
「スマキ」

 レイの口元が緩んだ。
 笑いのツボが狂っている。ソコで笑うか?

「つーか、手当ての仕上げしてやってんのに動くんじゃねーよ」
「動いてないよ」
「動いてんだろ。口が」

 目をしばたかせた。人形みたいな顔の男が。
 「ワオ」とその唇が声無しで動く。

「んだよ」
「意外とユーモアセンスあんじゃん。獄寺も」
「果たすぞテメェ」
 上から目線で感心された。普通に腹が立つ。
「大体、首に切り傷ってどういう事だよ。フツー真っ先に守るだろ」
 首は、人間の急所のひとつだ。そんなの中学生だって知っている。
「ちょっと、ぼうっとしてて」
 ぼうっとしてて?
 ここ数年、自分と並ぶ業績を残している男の発言とは思えない言い草だ。
「任務中にか?」
「ウッカリさんなんだ、俺」

 砂糖菓子を喉奥に突っ込まれた気がした。
 ハタチ越えた男が、ウッカリさん。女子高生とかならまだしも。

「キメェ」
「もー、獄寺クンの心ない誹謗中傷で、俺が病んだらどうしてくれるの」
 怒りを通り越して、逆に笑った。この男が、自分の言葉で心に重傷。
 ヒバリが腹痛みたいな現象だ。今後一生、ありえないであろう光景。

「いっそそんくらい、オレの言葉に影響受けてみやがれ」

 包帯にハサミを入れる。紙が裂けるより早く、スパッと切れた。
 レイの首に手を回し、切った包帯を一周させる。女みたいな細い首。

▽▲


『首切った』

 廊下ではち合わせた瞬間だった。雨降ってたわ、みたいな軽さで真っ先にそう言われた。
 言われた言葉を理解した瞬間、ひっくり返るかと思った。
 実際、心臓はひっくり返った。首筋から、壊れた蛇口みたいに血を噴き流す男を見て。

 黒いスーツをしとどに濡らす、真っ赤なペンキを被ったような血に、らしくもなく動揺した。
 10代目に連絡をとか誰か呼ぶだとか、それらが全部、後回しになったのはそのせいだ。気付けば、ただ必死に手をひいて、医務室に放り込んでいた。傷だらけの子どもを守るように。

 医務室に連れ込んだ男の名前を、レイという。
 
▽▲


「獄寺は、俺に説教されても聞かないでしょ」

 目を上げて、ぎょっとした。すぐそばに、薄く動く唇がある。後ろ手に包帯を巻いていることで、必然的に距離が縮まっていた。
 レイが目を細めて笑んだ。誰かを騙す瞬間のように、妖艶な表情。
「……あ?」
 動揺であまり聞いてなかった。
「でも、ツナに説教されたら改めるじゃん」

 断言。それも、妙に優しい声音で。
 できるだけ上を見ないように意識して、眉を寄せる。

「そりゃそうだろ。10代目の言う事は絶対だ」
「でしょ」
 なんだこれは。今更だが、話題の振りが雑じゃないか。
「つまり」
 雑誌に載りそうな美貌を柔らかく緩めて、レイが笑った。

「つまり、俺もおんなじってコト」

 おんなじ?
 サッパリわからない。包帯の先を処理しつつ、会話を巻き戻す。5秒前あたりまで。
 オレの言葉に影響受けてみやがれ。獄寺だって、ツナの言う事は聞くでしょ。俺も同じ。
 包帯を巻き終えて、やっと気付いた。言葉の真意に。

「お前、尊敬してやまない奴とかいんのか」

 だとしたら驚きだ。顔を拝んで金でも積みたい。参拝料だ。
「いると思った?」
 レイがほの暗く笑った。裏路地に女を引っ張り込むような微かな笑み。
「10代目だろ」
「ツナは親だよ」
「親は尊敬してやまない存在だろ」
 包帯がズレてないか確認する。確認し、ふと目を上げて、またぎょっとした。
 本日二度目だ。この短時間で、二度目の驚愕。

「……そっか」
 薄く笑っていたレイが、一発ぶん殴られたような顔をしていた。

「え」
「そうか。……そういうものだよな」
 目を伏せる。憂う事なんて何も無さそうな、秀麗な顔が。


 闇を見た気がした。この男の。
 獄寺も、多くは知らない。数年前、ボンゴレボスが拾ってきたのがレイだった。
 人間が理想を形にし、創り上げたヒューマノイド・ロボットのように、美しく見目整った青年。ナイフを出した時は目を疑ったが、それでも腕は確かだった。

 そういう男が、医務室のイスに座って目を伏せている。自分の目の前で。


「……悪ィな」
「ハ?」
 オレはヒバリじゃない。だから。

「こういう時、何て言ったらいいのかわからねぇんだ」

 立ち上がる。椅子に座ったままの相手は、真顔でこちらを見上げた。
 はだけた白シャツの胸元から、白い肌が覗く。月明りだけの医務室で、その白さに初めて室内の暗さを実感した。


 美しさは毒だ。目に焼き付くような白肌を見つめて、思う。
 自分の母親も美しさで死んだ。その美貌ゆえに、身の丈合わないマフィアの父親に惚れられた。そういう、ありえない運命に巻き込まれた。

 その結果が、1年に3日の逢瀬と若い逝去。

 今は、恨んでいない。母も父も、不条理な運命も。
 ただ、だからだと思う。美しいものは苦手だ。綺麗だと思う前に苦手意識が芽生える。


「優しいな」

 唐突に、レイが笑った。真冬の暖かいストーブのような笑い方。
 顔をしかめる。笑い方が子供っぽくなった。つまり、愛想が混じったのだ。

「気持ち悪ィこと言うな」
「俺のプライバシーに首突っ込まないけど、慰めてくれようとはしたんだろ。優しい」

 見下ろす。レイは微笑んだままだった。
 イラ立つ。人を見透かしたような物言いにじゃない。気安く、「優しい」なんて4文字で丸く収めようとするやり口が。

「……かしてやろうか」
「は?」
「テメェ、」

 ガッと、胸倉を掴む。二桁に満たない少年を引っ張り上げるような軽さだった。
 強制的に半立ちにさせた状態で、レイの鼻先に口を寄せた。睨みつける。


 ――おかしてやろうか。


 その領域を。
 他人が踏み入るのを拒む、不安定な足場へ。

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