「なに」
「お前って、顔だけは良いよな。レイ」
「獄寺、ケンカ売ってんの?」
ひくっと、レイの口角が引きつった。こっちの顔から約10センチの近距離で。
向かい合う首元に包帯をあてて、必要な長さを目測する。水平線を描くように、レイの首にはまっすぐ縫った痕があった。ヌイグルミみたいな縫い目だ。
「ソレ、確かついさっきも言われた。顔だけは良いって」
「あ?誰に」
「雲雀」
ヒバリ。よく、この男が絡んでる相手だ。
最近、こっちじゃ見かけなかったのだが。
「アイツ、日本に行ったんじゃねーのか」
「そうなの?」
今聞きました、みたいなすっとぼけな顔で見られる。なんでお前が知らないんだ。
「よく把握してるね、獄寺。お前、雲雀の恋人なの?」
「果たすぞ」
流れるように煽り合う。手榴弾を投げつけ合うみたいなものだ。
「だいたい、さっきっていつだよ」
「ん?んー……2日前?」
「フツカマエ」
世間では、それをさっきとは呼ばない。
「ったく、テキトー野郎が」
「なんて暴言を」
レイが小娘のように慄いた。
「こんなにも計画性に満ちて繊細な精神した人間に」
「誰がどう繊細だよ」息継ぎナシで噛み付く。
「簀巻きみてぇな神経しといて」
「スマキ」
レイの口元が緩んだ。
笑いのツボが狂っている。ソコで笑うか?
「つーか、手当ての仕上げしてやってんのに動くんじゃねーよ」
「動いてないよ」
「動いてんだろ。口が」
目をしばたかせた。人形みたいな顔の男が。
「ワオ」とその唇が声無しで動く。
「んだよ」
「意外とユーモアセンスあんじゃん。獄寺も」
「果たすぞテメェ」
上から目線で感心された。普通に腹が立つ。
「大体、首に切り傷ってどういう事だよ。フツー真っ先に守るだろ」
首は、人間の急所のひとつだ。そんなの中学生だって知っている。
「ちょっと、ぼうっとしてて」
ぼうっとしてて?
ここ数年、自分と並ぶ業績を残している男の発言とは思えない言い草だ。
「任務中にか?」
「ウッカリさんなんだ、俺」
砂糖菓子を喉奥に突っ込まれた気がした。
ハタチ越えた男が、ウッカリさん。女子高生とかならまだしも。
「キメェ」
「もー、獄寺クンの心ない誹謗中傷で、俺が病んだらどうしてくれるの」
怒りを通り越して、逆に笑った。この男が、自分の言葉で心に重傷。
ヒバリが腹痛みたいな現象だ。今後一生、ありえないであろう光景。
「いっそそんくらい、オレの言葉に影響受けてみやがれ」
包帯にハサミを入れる。紙が裂けるより早く、スパッと切れた。
レイの首に手を回し、切った包帯を一周させる。女みたいな細い首。
『首切った』
廊下ではち合わせた瞬間だった。雨降ってたわ、みたいな軽さで真っ先にそう言われた。
言われた言葉を理解した瞬間、ひっくり返るかと思った。
実際、心臓はひっくり返った。首筋から、壊れた蛇口みたいに血を噴き流す男を見て。
黒いスーツをしとどに濡らす、真っ赤なペンキを被ったような血に、らしくもなく動揺した。
10代目に連絡をとか誰か呼ぶだとか、それらが全部、後回しになったのはそのせいだ。気付けば、ただ必死に手をひいて、医務室に放り込んでいた。傷だらけの子どもを守るように。
医務室に連れ込んだ男の名前を、レイという。
「獄寺は、俺に説教されても聞かないでしょ」
目を上げて、ぎょっとした。すぐそばに、薄く動く唇がある。後ろ手に包帯を巻いていることで、必然的に距離が縮まっていた。
レイが目を細めて笑んだ。誰かを騙す瞬間のように、妖艶な表情。
「……あ?」
動揺であまり聞いてなかった。
「でも、ツナに説教されたら改めるじゃん」
断言。それも、妙に優しい声音で。
できるだけ上を見ないように意識して、眉を寄せる。
「そりゃそうだろ。10代目の言う事は絶対だ」
「でしょ」
なんだこれは。今更だが、話題の振りが雑じゃないか。
「つまり」
雑誌に載りそうな美貌を柔らかく緩めて、レイが笑った。
「つまり、俺もおんなじってコト」
おんなじ?
サッパリわからない。包帯の先を処理しつつ、会話を巻き戻す。5秒前あたりまで。
オレの言葉に影響受けてみやがれ。獄寺だって、ツナの言う事は聞くでしょ。俺も同じ。
包帯を巻き終えて、やっと気付いた。言葉の真意に。
「お前、尊敬してやまない奴とかいんのか」
だとしたら驚きだ。顔を拝んで金でも積みたい。参拝料だ。
「いると思った?」
レイがほの暗く笑った。裏路地に女を引っ張り込むような微かな笑み。
「10代目だろ」
「ツナは親だよ」
「親は尊敬してやまない存在だろ」
包帯がズレてないか確認する。確認し、ふと目を上げて、またぎょっとした。
本日二度目だ。この短時間で、二度目の驚愕。
「……そっか」
薄く笑っていたレイが、一発ぶん殴られたような顔をしていた。
「え」
「そうか。……そういうものだよな」
目を伏せる。憂う事なんて何も無さそうな、秀麗な顔が。
闇を見た気がした。この男の。
獄寺も、多くは知らない。数年前、ボンゴレボスが拾ってきたのがレイだった。
人間が理想を形にし、創り上げたヒューマノイド・ロボットのように、美しく見目整った青年。ナイフを出した時は目を疑ったが、それでも腕は確かだった。
そういう男が、医務室のイスに座って目を伏せている。自分の目の前で。
「……悪ィな」
「ハ?」
オレはヒバリじゃない。だから。
「こういう時、何て言ったらいいのかわからねぇんだ」
立ち上がる。椅子に座ったままの相手は、真顔でこちらを見上げた。
はだけた白シャツの胸元から、白い肌が覗く。月明りだけの医務室で、その白さに初めて室内の暗さを実感した。
美しさは毒だ。目に焼き付くような白肌を見つめて、思う。
自分の母親も美しさで死んだ。その美貌ゆえに、身の丈合わないマフィアの父親に惚れられた。そういう、ありえない運命に巻き込まれた。
その結果が、1年に3日の逢瀬と若い逝去。
今は、恨んでいない。母も父も、不条理な運命も。
ただ、だからだと思う。美しいものは苦手だ。綺麗だと思う前に苦手意識が芽生える。
「優しいな」
唐突に、レイが笑った。真冬の暖かいストーブのような笑い方。
顔をしかめる。笑い方が子供っぽくなった。つまり、愛想が混じったのだ。
「気持ち悪ィこと言うな」
「俺のプライバシーに首突っ込まないけど、慰めてくれようとはしたんだろ。優しい」
見下ろす。レイは微笑んだままだった。
イラ立つ。人を見透かしたような物言いにじゃない。気安く、「優しい」なんて4文字で丸く収めようとするやり口が。
「……かしてやろうか」
「は?」
「テメェ、」
ガッと、胸倉を掴む。二桁に満たない少年を引っ張り上げるような軽さだった。
強制的に半立ちにさせた状態で、レイの鼻先に口を寄せた。睨みつける。
――おかしてやろうか。
その領域を。
他人が踏み入るのを拒む、不安定な足場へ。