10,不可侵をおかす(下)

 拾われてきた時から、察しているものはあった。
 ボンゴレボスが、無意味な拾い物をしてくるはずがない。それも、成人間近の青年を。
 何かあったのだ。何かが。
 拾わずにいられなかった要因が。


「……イライラすんだよ。テメェ見てると」

 吐き捨てた。レイが眉を寄せる。言われた言葉が理解できない、という顔だ。
 愛想が良くて気遣い上手。そういう器用な男が、首に重傷を負って帰ってくる。
 おかしいのだ。どう考えても。

「別に、お前が何考えたってかまわねぇ。けど、10代目に貰った命だけは大事にしろ」

 鼻先で瞳が鋭く光った。黙るかと思ったのだが、どうやら逆で火を点けたらしい。

「お前に言われたくないね、ツナにくっつきたがりの自称右腕」
「同じようなモンだろ、自称『ボンゴレの犬』」

 守護者という肩書きに空きは無い。
 だからこの男は、「犬」というわかりやすい名称で、従属の意思を示す。

「存在価値をツナの隣で確保してるお前にだけは、命がどうこう言われたくない」
「なんだよ、羨ましいのか?」

 ハッと鼻で笑う。そんなわけがないのはわかりきっていた。
 それなのに、おもむろにレイは笑った。手のひらからこぼれ落ちる砂を嘲笑するように。

「そうだよ。羨ましいんだ」

 爆弾を喰らったような気分だった。驚いて、言葉も返せず見つめる。
 胸倉を掴まれたまま、この世の美しさを形にしたみたいな男が確かに笑った。何もかも諦めたような笑い方で。

「誰かの隣で生きていける、お前の事がね。きっと」

▽▲


 突き飛ばす。そのまま、医務室のベッドの上に押し倒した。
 自分の下、首に巻かれた包帯が目に入って思い出す。縫合直後だった、コイツ。

「獄寺?」
「……気持ち悪ぃ」

 吐くように言った。
 男に押し倒されているのに、眼下のレイはなぜか笑っている。やっぱりおかしい。時間間隔とか笑いのツボとかだけじゃなくて、感情の回線まで。
「獄寺、」
 あやすように青年が笑う。それを無視した。

「欲しいなら、求めればいいだろ。言えばいいだけだ」

 言葉がある第一の理由は、会話をするためだ。意思を伝えるために、人間は共通の言語を生み出した。
 絵や文字だけじゃ不可能だった。だから、こんなに無数の言語が世界にはある。欲しいもの、言いたいこと、それが多様化して複雑になったから。
 なのに。

「言って困らせるだけなら、言わない方がずっといい」

 子どもが悟り得たような顔だった。そのまま、レイは同意を求めるみたく、優しく頬を緩める。
 ほらまた。事を波立たせないように。他人を荒ぶらせないように。
 そういう、人の顔を見て浮かべる、ラッピングされた笑い方に殺気が湧く。

「ツナは優しい。俺がおかしな奴でも受け入れてくれる。でもボスとして多忙な身に、俺の親代わりまでは手が回らない。それは、当然なんだ」

 驚く。一瞬で、体温が下がるように殺意が拡散した。
 わかっていたという事実がわかったことに、驚きを覚える。

「そもそも、さほど年が変わらないような俺が親だなんて慕う時点で、間違ってる」
「だけど」
 だけど、お前は欲しいんだろう。その居場所が。
 親に愛される子供の場所が。

 視線が合う。上と下、ベッドで。
 少し手を動かせば肌に触れられるのに、何を考えているかはわからない。
 何を言えば慰められるのか、わからないんだ。

「……わかんねぇよ」
「ん」
「オレには、お前がわかんねぇ。だから、わからないお前が、気持ち悪ぃ……」

 欠落。
 いつか、ヒバリが囁くように言っていたのを思い出した。
 ボスに向かって言った、一言。あの凶暴な男は、今、眼下でベッドシーツに埋もれる人間の異常性を、「欠落」と呼んだ。

 違う。そうじゃない。
 獄寺は、それを「破損」だと感じた。この男は、何かが壊れている。幼い頃、身近な誰かが与えてくれるはずだった物の歪曲。あるいは、損傷。

 その結果が、この奇妙な感受性だ。

 容姿も中身も完璧なロボットのような男が、誰かの隣に縋ることで「存在したい」と願う、そのいびつさ。自分を羨ましいと呼ぶ倒錯加減に、目まいがした。
 違う。違うだろう。
 レイ、お前が本当に欲しいのは右腕の居場所でも偽の親でもなくて、

「――ごくで」

 唇を塞いだ。息を呑み、目を見開いた男の唇を貪る。
 吐息すら奪うように、強く舌を這わせた。抵抗の証に腕を叩かれて、その手を掴む。シーツに押し付けて絡めた両手は、まるで恋人同士のようだった。
 レイが苦しそうに目をゆがめる。その顔に、初めて快感を覚えた。

 そうだ。記憶しろ。忘れるな。
 他人の温度と、それに触れ合うことで生まれる苦しみを。
 その虚無感を埋めるものは、もうこの世には無いのだと。


 絶対に、与えられないものなんだ。
 お前を包む優しい家族の温度は、もう。

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