白蘭はそう思う。もう変えられないものを覆そうとするのは、リンゴを種に戻そうとするのと一緒で、つまり完璧に不可能だ。せいぜい、写真のように時折懐かしむのが関の山。
だから、
「だから、ノアチャンはバカだよ」
「それは、今、ハートマーク付きで言い切ることか?」
唾を吐き捨てる勢いで言われた。ニッコリ、笑う。
木と煉瓦と、それから巨大な暖炉といくつもの小部屋。それら全てを血に濡らして、古めかしい屋敷は完全に沈黙していた。「戦場」という言葉をリボンでラッピングし、差し出したような現場。
「なんでお前がココにいる、白蘭」
「僕がいたらおかしい?」
「おかしいね。とてもおかしい。お前の目の下の変な模様ばりに、おかしい」
1回の発言で3度のおかしい呼ばわり。失礼な事だ。
レイが頬の返り血を拭う。そのまま、イライラした顔で足元を蹴った。血のこびりついた絨毯が、象に踏まれたみたくへこむ。
「でも任務の邪魔はしてないし。イイでしょ?」
「殲滅を頼まれたのは俺だ」
強烈な色の瞳が細くなる。睨みの効いた眼光は、捕食タイムを邪魔された獣のようにえげつない。
「頭、かったいなぁ。ノアチャンって昔からそんなんだっ」「その名前で呼ぶな」
遮られた。白蘭は腕を組み、口を閉ざす。
「俺は、レイだ」
神の子供のような美青年が、ひっくり返ったテーブルの向こうで言い切った。断罪するように。
この顔と同じような表情なら、幾日か前に見た。
冷めた瞳。そのわりに、絶対に意思は覆さないとばかりに引き結ばれた唇。煮えたぎる熱意を冷却し、氷の内に閉じ込めたような。そういう顔だ。
――なら、レイには絶対に聞かせられない。
数日前、ボンゴレアジトの真ん中で冷ややかに言った男。ソファにいた白蘭にではなく、自分自身に宣言するみたく言い切った、沢田綱吉という人間。
「……あーあ、ヤダヤダ」
「そりゃこっちのセリフだ」
数年前は、そんな顔をしなかった。
変わったのか、この数年で。名前だけでなく、表情まで。
「俺は、ツナに、このヴォールジュ邸に潜む組織の一掃を命じられたんだよ」
「知ってるってそんなコト」
知らなきゃここにいたりしない。
「骸といいお前といい、どうして俺の単身任務には必ず邪魔するヤツが現れるんだ……」
ハア、とため息をつかれた。苛立ちを拡散するように、レイは頭をガシガシとかく。
その足元、うつぶせで動かない男なぞ、まるで見えていないかのように。
「骸クンとも仲良いの?妬っけるぅ」
レイが外道を見る目になった。
「なにお前、骸好きなの?」
「まっさかぁ。かつてミルフィオーレに潜入かました大胆な術士に死を」
「初めて、俺とお前で意見が一致したな」
ヒュウ。口笛を吹いた。
なるほど。骸クン嫌いなんだ、ノアチャン。
「同族嫌悪かぁ」
「あ?」
似てるもんね、とは言わなかった。ナイフを指先で回した相手が、不快そうに眉を寄せたからだ。
年単位の時を経ても、顔を合わせれば途端にケンカの応酬。ミルフィオーレにいた頃と、何ら変わりないやり取りに、妙な感覚を抱いた。心臓を風にさらされるような、心もとない感覚。
ああ、こういうの寂しいっていうんだっけ。ギッと睨み付けてくる目をいなしつつ、とりとめもなく思った。
かつて、弟のように可愛がった男に教えられるとは。
「面白いコト、教えてあげよっか」
声を低くして微笑んだ。相手が鼻で笑う。
「マシュマロの特売日とかいらないからな」
「甘いもの、好きじゃないもんね。レイチャン」
「お前は糖分取りすぎ。そのうち糖尿病になるぞ」
「ミルフィオーレのボスが糖尿病かぁ……」
「最高だな。発覚した瞬間に連絡くれよ」
死体がごろごろ転がる屋敷で、太陽のように完璧な笑顔を見せる青年。
倒錯的だ。絵画にでもすれば、さぞ高く売れるだろう。
「連絡くれよって、それ聞いてレイチャンはどーすんの」
「ネットで拡散」
出た。天使の笑顔で悪魔な発言。
「だから、絶対連絡くれよ。白蘭」
「『もしもしレイチャン、白蘭です。僕、糖尿病になっちゃった』とか?」
レイが吹いた。珍しい。
「……くっそ、めっちゃウケる……くっ」
「そんな笑える?」
「笑える、超おかしい。こんなに笑ったの、たぶん先週以来」
「先週?」
「雲雀がファミレスでハンバーグセット頼んだ、あの時ぶり」
ヒバリ。ああ、雲雀恭弥か。
胸元が冷えるのは、僅かに残った未練があるからだ。過去は惜しまないと決めたのに、それでも彼の口から他の人間の名前を聞くと、少しだけ嫌悪感が湧く。
自分は、沢田綱吉とは違う。様々なものをしょい込む性の、あの男とは。
だから、ノアが行方をくらませた瞬間に縁を切った。来る者拒まず去る者追わず、が白蘭の信条だ。惜しくないと言ったらウソになるが、それでも数日でケリをつけた。
去った人間を追うほど、無駄な事はない。ましてや、可愛がっていた者ならば。
皿がいつか割れるように、絵画がやがて風化するように。人の感情も必ず動く。好きだと言った口で冷めたり、一緒にいようと繋いだ手で撃ち殺したり。
そういうものだ。
白蘭はそれを悲観しているわけではない。じゃなきゃ人類は進化できない。変わらぬ思いを抱え続けるなんて、成長のない電子機器と同じだ。日々思いが変わるからこそ、人間は強くなる。
だから、バカだと思うのだ。
「雲雀チャンと、仲良いの?」
「悪友さ」
レイが笑う。楽しげに。
さっき骸について訊ねた時とは、真逆の反応。
「……バカだね」
「またソレ」
ナイフをしまい、相手は眉を寄せる。靴先に泥が付いたみたいな、微妙な表情。
「文脈とか脈絡とか、ちゃんと知ってる?お前」
「どうせ、また逃げ出すくせに」
「……は」
「君は」
君は。
目を向けた先で、レイは強張った顔をしていた。
「君は未だに、永遠に変わらない愛情を待ってるんだね」