17,平行線(上)

 過去を惜しむということは、つまり悔やむと同意義だ。
 白蘭はそう思う。もう変えられないものを覆そうとするのは、リンゴを種に戻そうとするのと一緒で、つまり完璧に不可能だ。せいぜい、写真のように時折懐かしむのが関の山。
 だから、

「だから、ノアチャンはバカだよ」
「それは、今、ハートマーク付きで言い切ることか?」

 唾を吐き捨てる勢いで言われた。ニッコリ、笑う。
 木と煉瓦と、それから巨大な暖炉といくつもの小部屋。それら全てを血に濡らして、古めかしい屋敷は完全に沈黙していた。「戦場」という言葉をリボンでラッピングし、差し出したような現場。

「なんでお前がココにいる、白蘭」
「僕がいたらおかしい?」
「おかしいね。とてもおかしい。お前の目の下の変な模様ばりに、おかしい」

 1回の発言で3度のおかしい呼ばわり。失礼な事だ。
 レイが頬の返り血を拭う。そのまま、イライラした顔で足元を蹴った。血のこびりついた絨毯が、象に踏まれたみたくへこむ。

「でも任務の邪魔はしてないし。イイでしょ?」
「殲滅を頼まれたのは俺だ」
 強烈な色の瞳が細くなる。睨みの効いた眼光は、捕食タイムを邪魔された獣のようにえげつない。
「頭、かったいなぁ。ノアチャンって昔からそんなんだっ」「その名前で呼ぶな」
 遮られた。白蘭は腕を組み、口を閉ざす。

「俺は、レイだ」

 神の子供のような美青年が、ひっくり返ったテーブルの向こうで言い切った。断罪するように。

▽▲


 この顔と同じような表情なら、幾日か前に見た。
 冷めた瞳。そのわりに、絶対に意思は覆さないとばかりに引き結ばれた唇。煮えたぎる熱意を冷却し、氷の内に閉じ込めたような。そういう顔だ。

 ――なら、レイには絶対に聞かせられない。

 数日前、ボンゴレアジトの真ん中で冷ややかに言った男。ソファにいた白蘭にではなく、自分自身に宣言するみたく言い切った、沢田綱吉という人間。

▽▲


「……あーあ、ヤダヤダ」
「そりゃこっちのセリフだ」

 数年前は、そんな顔をしなかった。
 変わったのか、この数年で。名前だけでなく、表情まで。

「俺は、ツナに、このヴォールジュ邸に潜む組織の一掃を命じられたんだよ」
「知ってるってそんなコト」
 知らなきゃここにいたりしない。
「骸といいお前といい、どうして俺の単身任務には必ず邪魔するヤツが現れるんだ……」
 ハア、とため息をつかれた。苛立ちを拡散するように、レイは頭をガシガシとかく。
 その足元、うつぶせで動かない男なぞ、まるで見えていないかのように。

「骸クンとも仲良いの?妬っけるぅ」
 レイが外道を見る目になった。
「なにお前、骸好きなの?」
「まっさかぁ。かつてミルフィオーレに潜入かました大胆な術士に死を」
「初めて、俺とお前で意見が一致したな」
 ヒュウ。口笛を吹いた。
 なるほど。骸クン嫌いなんだ、ノアチャン。
「同族嫌悪かぁ」
「あ?」
 似てるもんね、とは言わなかった。ナイフを指先で回した相手が、不快そうに眉を寄せたからだ。


 年単位の時を経ても、顔を合わせれば途端にケンカの応酬。ミルフィオーレにいた頃と、何ら変わりないやり取りに、妙な感覚を抱いた。心臓を風にさらされるような、心もとない感覚。
 ああ、こういうの寂しいっていうんだっけ。ギッと睨み付けてくる目をいなしつつ、とりとめもなく思った。
 かつて、弟のように可愛がった男に教えられるとは。


「面白いコト、教えてあげよっか」

 声を低くして微笑んだ。相手が鼻で笑う。

「マシュマロの特売日とかいらないからな」
「甘いもの、好きじゃないもんね。レイチャン」
「お前は糖分取りすぎ。そのうち糖尿病になるぞ」
「ミルフィオーレのボスが糖尿病かぁ……」
「最高だな。発覚した瞬間に連絡くれよ」

 死体がごろごろ転がる屋敷で、太陽のように完璧な笑顔を見せる青年。
 倒錯的だ。絵画にでもすれば、さぞ高く売れるだろう。

「連絡くれよって、それ聞いてレイチャンはどーすんの」
「ネットで拡散」
 出た。天使の笑顔で悪魔な発言。
「だから、絶対連絡くれよ。白蘭」
「『もしもしレイチャン、白蘭です。僕、糖尿病になっちゃった』とか?」

 レイが吹いた。珍しい。

「……くっそ、めっちゃウケる……くっ」
「そんな笑える?」
「笑える、超おかしい。こんなに笑ったの、たぶん先週以来」
「先週?」
「雲雀がファミレスでハンバーグセット頼んだ、あの時ぶり」

 ヒバリ。ああ、雲雀恭弥か。
 胸元が冷えるのは、僅かに残った未練があるからだ。過去は惜しまないと決めたのに、それでも彼の口から他の人間の名前を聞くと、少しだけ嫌悪感が湧く。

 自分は、沢田綱吉とは違う。様々なものをしょい込む性の、あの男とは。
 だから、ノアが行方をくらませた瞬間に縁を切った。来る者拒まず去る者追わず、が白蘭の信条だ。惜しくないと言ったらウソになるが、それでも数日でケリをつけた。

 去った人間を追うほど、無駄な事はない。ましてや、可愛がっていた者ならば。

 皿がいつか割れるように、絵画がやがて風化するように。人の感情も必ず動く。好きだと言った口で冷めたり、一緒にいようと繋いだ手で撃ち殺したり。
 そういうものだ。
 白蘭はそれを悲観しているわけではない。じゃなきゃ人類は進化できない。変わらぬ思いを抱え続けるなんて、成長のない電子機器と同じだ。日々思いが変わるからこそ、人間は強くなる。
 だから、バカだと思うのだ。

「雲雀チャンと、仲良いの?」
「悪友さ」
 レイが笑う。楽しげに。
 さっき骸について訊ねた時とは、真逆の反応。
「……バカだね」
「またソレ」
 ナイフをしまい、相手は眉を寄せる。靴先に泥が付いたみたいな、微妙な表情。
「文脈とか脈絡とか、ちゃんと知ってる?お前」
「どうせ、また逃げ出すくせに」
「……は」
「君は」

 君は。
 目を向けた先で、レイは強張った顔をしていた。

「君は未だに、永遠に変わらない愛情を待ってるんだね」

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