18,平行線(中)

 イチ、ニ、サン、シ。ゴ。
 6まで数えかけて、やめた。飽きたからだ。

「……って、めぇ、っ」
「ハイハイ、息上がってるよ〜レイチャン」

 ギラつく目で睨まれる。獣を通り越して、化け物みたいな表情だ。
 絵画のような見目麗しさが逆効果だ。迫力が魔物じみている。

「降りてこいバカ!」
「君がここまで来ればぁ?」
「っくそ、猿みたいにヒョイヒョイ動きやがって……」「ちょっと」

 誰が猿だ。ギシィ、と揺れるシャンデリアに乗っかって、白蘭は頬を引き攣らせた。
 無数のナイフを指先で挟み、かつて自分の庇護下にあった青年が眼下で放っている。何をかといえば、殺気とか、ナイフとか。あとたまに炎。
 ろく、なな、はち。9まで数えて、もういいかと見切りを付けた。
 自分といた頃は、せいぜい5本が精一杯だった。彼が持てるナイフの個数は。

「こーこまで上っておーいで〜」
「うっっわ、本気でムカつく……!」

 レイがナイフを一気に放った。舌打ちしながら。
 相変わらず、器用な手先だ。10近いナイフを同時に投げる芸当。どんな力だ。

「当たりませーん、っておっと」ナイフが1本、かまいたちのように横髪をかすめる。
「当たったじゃん」
「髪の毛数本程度だけど?」
「っこの、イカレ白髪野郎が……」

 挑発してやれば、素直に煽られてくれる。白蘭は足場を確保して、シャンデリアの上にまっすぐ立った。
 真下、獰猛な野犬みたいにうろつくレイの後ろ、見事に陥没した両開きの扉。津波に押し破られたみたいな形だが、実際突き破ったのは眼下の野犬だ。隣の広間に避難した白蘭を追い掛けて、炎の炎圧で無理やりに。

「バカだなぁ」
 その凶暴さを、こちらにぶつければいいのに。
「ソレ、今日4回目だからな」
「早く帰らなくていいの?忠犬を待ってるご主人様がいるんでしょ」
「お利口なワンコにだって、噛み付きたいときくらいあんだよ」
 本当に利口なワンコは、ナイフを10本持って襲い掛かってきたりしない。

「レイチャン、綱吉クンは君の親じゃないよ?」

 遥か下、美しい男が目を細めた。怒りではなく、疑惑に。
「……だから、文脈とか流れとか、知ってるか?」
「縋れば縋るほど、後から傷付くのは君自身なのに」
 するり。口から言葉が零れる。レイが、驚いたように目を見開いた。
 あ。その顔を見て、初めてわかった気がした。

 そっか。
 気に入らないんだ。自分は。

「びゃくら、」「うんうんそっか」
 弾みをつけて、シャンデリアから飛び降りる。階段の1番上でジャンプするように、気軽に。
 レイがぎょっとする。「ちょ、おまっ」
 その隙を逃さず、着地と同時に飛びついた。人懐こい大型犬みたいな気分で、勢いよく。

「えっ、何、お前、」
「バカだなぁ」

 標的が近付いてきたら、問答無用で刺すべきでしょ。固まるんじゃなくて。
 両肩を掴み、床に叩きつける。レイの体は、あっさり絨毯の上で跳ね上がった。

「ッ、いった」
「僕に未練ある?」

 両手のナイフを全て弾き落とす。転がった刃の先で、無色の毒がうっすら、光った。
 水に浮いた油みたいな色。自分が教えた時は、危ないからと目に見える有色の毒で仕込ませたのに。

「……は?」

 1オクターブ、上ずった声。組み敷いた自分の下で、相手は洗濯機に放り込まれたみたいな顔をしていた。

 ああ、やっぱりな。
 細い両手を押さえつけたまま、すうっと冷めた。全身が。
 ギィ。頭上のシャンデリアが、遠くで軋んでいる。感情が死んでいく音だ。

 過去は惜しまない。意味が無いから。
 それでも嬉しかった。ボンゴレの前で昔と同じやり取りを行えたのも、かつてと変わらない笑顔を見れたことも。
 多分、それを感傷と言う。人は。

「……何その、別れた恋人に言うみたいなセリフは」
「恋人にしてくれるの?」
「は?ちょっと待て、いよいよ言葉が通じな」
 ぶった切るように、唇を重ねた。

▽▲


 人は変わる。それを、この男は痛いほどよく知っている。
 なぜかは知らない。過去のトラウマか悲惨な生い立ちか、それとも家族による暴力か。
 どれもこの世界ではありがちで、そしてどれにしても、もう遅い。この青年が本当に求めているものは、二度と手に入らない。
 彼自身が、誰かを死ぬまで愛し続けられるようになるまでは。

▽▲


「ん、んんッ……」
 唇を離す。涙目で睨まれて、意外と初心だったんだ、と妙なところで感動した。
「何、すんだテメ、」
「意外と経験無いカンジ?」
「だから、ブ・ン・ミャ・ク・って知ってるか、って散々言って」
「いがぁい。てっきり星の数ほどたぶらかしてきたのかと」
「てめ、人を色欲魔みたいに」
 意外だ。けれど、なんとなく納得する。すとんと、胸に物が落ちるように。

「好意には執着するけど、行為は嫌いってコトね」
「……ハ?なに今の、ダジャレ?」

 レイが、いよいよ混乱した顔になった。刑罰の種類を告げるように、ほのかに微笑む。

「ノアチャンは欲情ならいくらでもされるけど、愛情はあんまり無いもんね」

 可哀想に。片手を放して、白い頬に添えた。
 びくり。レイが微かに肩を震わす。一瞬、その目をよぎった怯えを見て、どうしようもなく抱き潰したいと思った。

 見る者を惑わす容姿をフル活用し、他人を勘違いさせる距離間を選ぶ。
 欲を挟まず愛された経験の無い人間の、典型的な例だ。夢魔のように艶めかしく振る舞うくせに、純潔な処女みたく情欲を避ける。

 つまり、バカなのだ。

「だから、僕に依存すればよかったのに」
「……お前に依存とか、先が見えない」
 奈落に蹴り落とされた兎のような目。
 引きずり出した本音に、笑った。

「だから、いいんじゃん。他の何にも、君の目には映らなくなる」

 そうすれば、君は救われるでしょ。
 頬から、手を放す。なぞるようにその下へ手を滑らせた。顎、首筋、シャツ。
 レイの顔が固まった。白蘭が何の躊躇いも無く、ボタンを外したからだ。ついでに腰からシャツを引き抜く。

「な、なにしてッツ、冷たッ!」
「もうちょい、色気のある声出せない?」

 呆れながら、シャツの下に手を這わせた。バカだなぁ、とは思う。

 弟を抱きたいって思う兄はいないでしょ。随分、直接的な。

 綱吉と交わした会話が、遥か昔のように思えた。素行の悪い学生を見るように、呆れた目で肩をすくめた男。
 可哀想に、あの男も。自分も。


 ガンッ。
 釘をフライパンに打ちつけたような、派手な音が響いた。

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