3,殺戮衝動(下)

「なんで邪魔したの?」
「僕が邪魔したくなる要素が、君に多すぎるからですかねぇ」

 帰り道、だしぬけに問われた。
 針でぶっ刺すような聞き方だった。薄暗い路地裏にはピッタリな。

「要素って、例えば」
 レイが眉を寄せる。隣を歩く歩幅は、骸のそれよりやや狭い。
 彼は全体的に、自分よりひと回り小さいのだ。
「目上に敬語を使わない、とか」
「敬うべき相手には使うよ。俺だって」
「挑発ですか?」
「まさか」

 手がぶつかる。狭い路地裏で、並んで歩いているのが間違いなのだ。
 レイが、鼻で笑う。夜の街に溜まった悪意を凝縮したような笑い方だった。

「ケンカ売ってんだよ」

▽▲


 鉄球を腹に喰らったかと思った。10トンぐらいの。
「……げほっ、ぐっ、げほげほっ」
 嘘じゃない。実際、骸はホントに喰らったことがある。
 雲雀恭弥とかいう、悪魔の手先みたいな性格をした男の「悪ふざけ」で。

「毒が塗ってなかっただけ感謝してよ」
「……何に感謝すればいいんですかね」
「俺の寛大な御心に」
「冗談ですか?面白くも無い」


 横っ腹に、ナイフがずっぷり突き刺さっていた。


「感触が同じかって聞いてきただろ?」
 冷めた目が、こちらを見下ろしていた。
 相手の背が高いわけではない。骸が膝をついているからだ。

「……はい?」
「ナイフと三叉槍」

 短い返答に、やっと思い出す。
 なるほど、ソコに繋がるのか。この奇怪な流れの行動は。

「自分の身体で試してみれば」

 捨てられた人形を見るような淡白さで、レイが言い切った。

▼△


 ガスッ。
 壁に斧を振り下ろしたような、奇妙な音がした。そういう、文字にならない音。
 重い音に、目を見開く。それから、ガクンと両膝をついた。

 おとぎ話の中から抜け出してきたような、美形の青年が。

「あッ……がっ」
 短い悶絶の声。
 この男、拷問に対する耐久訓練でも受けているのだろうか。そんな悲鳴で耐えられるほど、三叉槍の衝撃は軽くないはずだ。

「では、お互い試してみましょうか」

 軽やかに立ち上がる。愉快な気分だった。
 月明かりのもと、埃っぽい路地裏にうずくまる青年。苦痛と殺意がないまぜになった、美しい彫像のように歪んだ表情。
 綺麗だった。天才的な彫刻家だって、こんな顔は作れまい。

「……あー、見えなかった。いつ、三叉槍出した?」
「君こそお見事でした。実体の僕にナイフを刺すとは」

 喘ぐようにレイが言う。酸素の足りない魚のごとく。
 その腹に、深々と三叉槍の先が埋まっていた。

「君は本当に、好みですよ」

 心からの賛辞だ。それなのに、相手は下品な悪態でも聞いたかのように顔をしかめる。



 美しいものを壊すのが好きだ。
 昔、そう言ったら、同じように盛大なしかめっつらをされた。

『悪趣味だ』

 キッパリ切り捨てた男の名を、雲雀恭弥と言う。

『もっと綺麗な言葉でまとめる気は無いんですか?』
『綺麗って例えば』
『征服欲だとか独占欲だとか、他に言いようあるでしょうに』
『最低だ』

 一笑に伏した雲雀は、不意に苦々しげな笑みに表情を切り替えた。

『僕が名前を付けてあげようか?』
『は?』
『欲なんて可愛いものじゃないだろ。そういうの』

 今でも覚えている。
 薄い唇が、呪詛を紡ぐように動いた瞬間を。

 ――殺戮衝動って言うんだよ。それ。

▽▲


 なぜ、今思い出したかわからなかった。
 夢から覚めるように、フッと意識が現実に戻る。
 まばたきをした。仰向けのレイを、押さえ込んでいる。自分の両手が。

「……僕は、君のように美しいものを壊すのが好きなんですよ」
 
 レイの口が、歪む。その隙間から、黒い雫が雨だれのように垂れ落ちた。
 引き抜かれた三叉槍が横に転がっている。レイの腹から、水たまりのように血が広がっていた。

「何それ。性癖暴露?」
 濁った声。さすがに笑った。
「あんまり喋ると死にますよ」
「遺言が『性癖暴露?』とかぜってー嫌だ」

 ヒューヒューと、すきま風のような音が混じる。
 それでも鮮明に話せるとは。この男は、声帯が無数にありでもするのか。

「だから、思わず邪魔しちゃったんですよ」
「しちゃったんですよ、とか。可愛い女の子じゃ、あるまいし」
「わかってもらえませんかねぇ」
 命を吹き込まれた石像のような見目が、綺麗に歪む。とても、愉快だ。

 この世で価値を与えられたものが、一瞬で可哀想な存在へと堕ちていくようで。

「わからないな」
 真下の青年は、目を細める。組み敷かれているのに大した態度だ。
「残念です」
「そんなの、結局、衝動と同じだろ」
「え」
 不意を突かれた。いつかも同じような言葉を聞いた気がする。手が止まった。
 それ、名前をつけてあげる。
 殺戮衝動。欲なんて可愛いものじゃないだろ、そういうの。


「マフィアを殲滅したいっていう潜在願望に、繋がってくだけだろ。結局」


 全て見透かしたような目を見たのと同時に、自分の腹からナイフを引き抜いていた。
 

▽▲



「……全然、違いました。感触」
「ああそう」

 徹夜明けの部下のごとく、うっとうしそうにレイが相槌を打った。
 脇腹を押さえる。すごい血の量だ。

「ナイフ、痛かったです」
「おれもいたかったです」

 幼児みたいなやり取りだ。
 路地裏をよろよろ歩く、血塗れの大人2人がする会話じゃない。

「君って、おかしな人ですね」
 レイがこちらを見た。
 答えの無い問題に取り組んでいる大人を見るみたいな、どこか蔑みの宿る目で。

「骸は、コミュニケーション手段に問題がありすぎる」
「コミュ力なら高いですよ。エベレスト並みに」
「ジョークだよね?面白くないけど」

 ナイフと三叉槍。引き抜く感触は同じかと問われて、実践に至るその心理。
 重傷を負わせた相手を横に、普通に会話をする無頓着さ。
 危うい。やはり、おかしいと思う。どこか、人間として。

「ますます好みになりました」
 レイが、鼻の頭にしわを寄せる。
「絶世の美女になってから言ってくれない?ハイやり直し」
「別に、君に好かれたいわけじゃないので」
「ウワア自分勝手。一方的な愛って虚しくない?」
「ファンや信仰者と同じでしょう。結論として、僕は楽しい」
「何コイツ、人の腹ぶっ刺しといて正論とか超ムカつくんだけど……」
 学生みたいなテンションでレイが毒づく。骸は笑った。


 美しい物を壊すのは楽しかった。
 ただ、この青年は、壊すには惜しいと思った。

back


ALICE+