「僕が邪魔したくなる要素が、君に多すぎるからですかねぇ」
帰り道、だしぬけに問われた。
針でぶっ刺すような聞き方だった。薄暗い路地裏にはピッタリな。
「要素って、例えば」
レイが眉を寄せる。隣を歩く歩幅は、骸のそれよりやや狭い。
彼は全体的に、自分よりひと回り小さいのだ。
「目上に敬語を使わない、とか」
「敬うべき相手には使うよ。俺だって」
「挑発ですか?」
「まさか」
手がぶつかる。狭い路地裏で、並んで歩いているのが間違いなのだ。
レイが、鼻で笑う。夜の街に溜まった悪意を凝縮したような笑い方だった。
「ケンカ売ってんだよ」
鉄球を腹に喰らったかと思った。10トンぐらいの。
「……げほっ、ぐっ、げほげほっ」
嘘じゃない。実際、骸はホントに喰らったことがある。
雲雀恭弥とかいう、悪魔の手先みたいな性格をした男の「悪ふざけ」で。
「毒が塗ってなかっただけ感謝してよ」
「……何に感謝すればいいんですかね」
「俺の寛大な御心に」
「冗談ですか?面白くも無い」
横っ腹に、ナイフがずっぷり突き刺さっていた。
「感触が同じかって聞いてきただろ?」
冷めた目が、こちらを見下ろしていた。
相手の背が高いわけではない。骸が膝をついているからだ。
「……はい?」
「ナイフと三叉槍」
短い返答に、やっと思い出す。
なるほど、ソコに繋がるのか。この奇怪な流れの行動は。
「自分の身体で試してみれば」
捨てられた人形を見るような淡白さで、レイが言い切った。
ガスッ。
壁に斧を振り下ろしたような、奇妙な音がした。そういう、文字にならない音。
重い音に、目を見開く。それから、ガクンと両膝をついた。
おとぎ話の中から抜け出してきたような、美形の青年が。
「あッ……がっ」
短い悶絶の声。
この男、拷問に対する耐久訓練でも受けているのだろうか。そんな悲鳴で耐えられるほど、三叉槍の衝撃は軽くないはずだ。
「では、お互い試してみましょうか」
軽やかに立ち上がる。愉快な気分だった。
月明かりのもと、埃っぽい路地裏にうずくまる青年。苦痛と殺意がないまぜになった、美しい彫像のように歪んだ表情。
綺麗だった。天才的な彫刻家だって、こんな顔は作れまい。
「……あー、見えなかった。いつ、三叉槍出した?」
「君こそお見事でした。実体の僕にナイフを刺すとは」
喘ぐようにレイが言う。酸素の足りない魚のごとく。
その腹に、深々と三叉槍の先が埋まっていた。
「君は本当に、好みですよ」
心からの賛辞だ。それなのに、相手は下品な悪態でも聞いたかのように顔をしかめる。
美しいものを壊すのが好きだ。
昔、そう言ったら、同じように盛大なしかめっつらをされた。
『悪趣味だ』
キッパリ切り捨てた男の名を、雲雀恭弥と言う。
『もっと綺麗な言葉でまとめる気は無いんですか?』
『綺麗って例えば』
『征服欲だとか独占欲だとか、他に言いようあるでしょうに』
『最低だ』
一笑に伏した雲雀は、不意に苦々しげな笑みに表情を切り替えた。
『僕が名前を付けてあげようか?』
『は?』
『欲なんて可愛いものじゃないだろ。そういうの』
今でも覚えている。
薄い唇が、呪詛を紡ぐように動いた瞬間を。
――殺戮衝動って言うんだよ。それ。
なぜ、今思い出したかわからなかった。
夢から覚めるように、フッと意識が現実に戻る。
まばたきをした。仰向けのレイを、押さえ込んでいる。自分の両手が。
「……僕は、君のように美しいものを壊すのが好きなんですよ」
レイの口が、歪む。その隙間から、黒い雫が雨だれのように垂れ落ちた。
引き抜かれた三叉槍が横に転がっている。レイの腹から、水たまりのように血が広がっていた。
「何それ。性癖暴露?」
濁った声。さすがに笑った。
「あんまり喋ると死にますよ」
「遺言が『性癖暴露?』とかぜってー嫌だ」
ヒューヒューと、すきま風のような音が混じる。
それでも鮮明に話せるとは。この男は、声帯が無数にありでもするのか。
「だから、思わず邪魔しちゃったんですよ」
「しちゃったんですよ、とか。可愛い女の子じゃ、あるまいし」
「わかってもらえませんかねぇ」
命を吹き込まれた石像のような見目が、綺麗に歪む。とても、愉快だ。
この世で価値を与えられたものが、一瞬で可哀想な存在へと堕ちていくようで。
「わからないな」
真下の青年は、目を細める。組み敷かれているのに大した態度だ。
「残念です」
「そんなの、結局、衝動と同じだろ」
「え」
不意を突かれた。いつかも同じような言葉を聞いた気がする。手が止まった。
それ、名前をつけてあげる。
殺戮衝動。欲なんて可愛いものじゃないだろ、そういうの。
「マフィアを殲滅したいっていう潜在願望に、繋がってくだけだろ。結局」
全て見透かしたような目を見たのと同時に、自分の腹からナイフを引き抜いていた。
「……全然、違いました。感触」
「ああそう」
徹夜明けの部下のごとく、うっとうしそうにレイが相槌を打った。
脇腹を押さえる。すごい血の量だ。
「ナイフ、痛かったです」
「おれもいたかったです」
幼児みたいなやり取りだ。
路地裏をよろよろ歩く、血塗れの大人2人がする会話じゃない。
「君って、おかしな人ですね」
レイがこちらを見た。
答えの無い問題に取り組んでいる大人を見るみたいな、どこか蔑みの宿る目で。
「骸は、コミュニケーション手段に問題がありすぎる」
「コミュ力なら高いですよ。エベレスト並みに」
「ジョークだよね?面白くないけど」
ナイフと三叉槍。引き抜く感触は同じかと問われて、実践に至るその心理。
重傷を負わせた相手を横に、普通に会話をする無頓着さ。
危うい。やはり、おかしいと思う。どこか、人間として。
「ますます好みになりました」
レイが、鼻の頭にしわを寄せる。
「絶世の美女になってから言ってくれない?ハイやり直し」
「別に、君に好かれたいわけじゃないので」
「ウワア自分勝手。一方的な愛って虚しくない?」
「ファンや信仰者と同じでしょう。結論として、僕は楽しい」
「何コイツ、人の腹ぶっ刺しといて正論とか超ムカつくんだけど……」
学生みたいなテンションでレイが毒づく。骸は笑った。
美しい物を壊すのは楽しかった。
ただ、この青年は、壊すには惜しいと思った。