26,星に願いを(上)

 レイと、いくつもの流れ星を見たことがある。いわゆる、流星群だ。

『なんで流れ星に願い事するの?ノアチャン、神様なんて信じてないくせに』
『白蘭と違って、俺はロマンチストだぞ。星に願いごとぐらいするさ』
『ロ……ロマンチスト。ノアチャンが』
『おい、今どこに笑う要素あったよ』

 むくれたレイの顔が、今でも鮮やかによみがえる。彼の一挙一動、全てを未練なく忘れたはずなのに。

『ノアチャンがロマンチストとか』
『文句がおありですか?』
『世の恋愛映画は全部血まみれって感じ』
『刺すぞ』
『ほらぁ〜、そういうとこ』

 部屋中に貼り散らかした写真のような。そういうものをふと見るように、彼の思い出は鮮明に立ち上る。
 あの日、彼は最後になんて言ったっけ。

『……信じてないから願うんだよ』

▽▲

「疲れたからって自販機に立ち寄った5分前の俺を殺したい」

 殺伐とした顔。目の前で札束を引きちぎられた大人だって、ここまで冷えた目はしないだろう。

「僕はラッキーだったけどなぁ。こんなとこで、レイチャンに会えるなんて」
「ほー。そのまま一生分のラッキー使い果たしてると、俺も嬉しいなぁ」

 人気のない路地裏。電柱に背を預け、缶コーヒーをあおるレイはモデルのように決まって見える。
 ご機嫌にならない方が無理だというものだ。

「なんで疲れてるの?」

 ふと、尋ねてみる。単純な疑問だったが、徹夜明けでも同じ事聞けんの?みたいな目つきをされた。

「ツナにおつかい頼まれて」
「ほん」
「キャッバローネ邸行ったら、いきなり襲われた」
「エッ」

 さすがに息を呑んだ。胸を殴られたように、全身からサッと血の気が引く。

「え、ついに?」
「ついに?」

 レイが困惑した顔をする。

「ちなみに、お相手は」
「相手?5人くらいかな」
「ごっ、」息が詰まった。
「部下が一気にかかってきて」
「一気に??レイチャン、レベル高すぎない?」
「は?レベル?」

 誤解が解けるまで、その後数分かかった。

▽▲

「ていうか、お前はなんでここにいんの」

 しかめっ面で質問される。相手の神経を逆なでするように、ニッコリ笑って答えた。

「マシュマロを買うついでに、散歩!」
「リードは?」上から下まで、ザッと見られる。
「リッ……僕、嫌いなんだよね。束縛されるの」

 危ない。なんとか立て直す。
 この子、僕のことをどんなボケにも即対応する天才ツッコミ機械だと思ってないよね。

「飼い主は?」
「いないよ。飼われるのも嫌いだし」

 相手は真顔だ。嫌がりつつも、こんな茶番をやめない姿勢を愛おしく思う。
 5年はけして短くない。自分の中に彼の記憶が残っているように、レイの中にも染み付いたクセがある。

「人を飼うのは好きだろ」

 ぐいっ。缶コーヒーの最後の一滴を飲み干して、レイがこちらを見る。

「もちろん」

 最上級の笑みで返した。

「人を支配するのって楽しいよ。レイチャンもやってみる?」
「酒勧めるみたいなノリで言うか?普通」
「でも、雲雀チャンはきっと無理だよ」

 空き缶がアスファルトを跳ねた。小さく鋭い音が、路地に響く。
 あーあ。冷めた思いで、枯れ葉のように転がる缶を目で追った。
 ほんと、馬鹿な子。

「……何が言いたい」
「レイチャン、もう諦めなよ」

 多分、これが最後だ。なんとなく、予感がした。
 世界の全てを拒絶するように、こちらをギッと睨む青年を見つめる。
 レイと会えるのは、きっと、これが。

「君が欲しいものは、永遠に手に入らないって」

▽▲

「……じゃあ、何なら手に入る?」

 低い声に、ゾッとした。缶コーヒーの渋味が浸み込んだように、苦さの滲む声音。
 レイが身をかがめ、空き缶を拾い上げる。落ち着いた動作に、彼が平然としていることを知った。

「……何も手に入らないよ」
「嫌だ」

 体感温度が下がる。太陽が鳴りを潜めたように、路地裏は薄ら寒い。
 それを気のせいだと一笑することは、できなかった。

「嫌だ」
「……レイチャン」

 張り詰めた目が揺れている。レイから立ちのぼる、ゆらりとしたオーラにぞっとした。

「嫌だ、聞きたくない。だから、聞かない」

 子供じゃん。そう思ったが、口がうまく動かなかった。
 ギラリ、レイの指先が光る。リングから漏れ出す炎を見ながら、ぼんやり思った。
 ああ、弱くなったな。ノアチャン。

「欲しいなら欲しいって言わなきゃ。好きなものができたなら」
「……なんの話かわからない」

 ウソつきだね。今度は、言葉になった。
 弱くなったなあ。そう思えば思うほど、砂を噛むように口内が乾いていく。
 瞳の揺れは弱みの証だ。昔、彼はもっと強かった。一切の隙が無い高貴な獣のようなそのたたずまいが、好きだった。
 彼の足元をぐらつかせられるのは、自分だけだと思っていたから。

「雲雀チャンに好かれてるの、気付いてるでしょ。それも、けっこう」
「やめろ」

 低い声。脅すに近い表情の奥に、懇願するような両目を見る。
 今、キスしたら泣き出してくれるかな。よからぬ思いが頭をかすめる。

「人を好きになるのは怖い?」

 怖いんだろう。唇を噛み締めたレイに、答えが返ってこないとわかっていた。
 人の執着とか依存とか。そういった当たり前で面倒くさい感情を、彼は避けるから。

「……怖いというより、わからない」
「臆病者」
「誰のせいだよ」
「君のせいでしょ」

 レイが目を開いた。胸をひと突きされたように、その唇が震える。

「もう諦めなって、レイチャン。全部全部、君自身のせいなんだから」

 手を伸ばしてくれる人間は多いのに、それら全てを振り払う。孤高に生きるというより、孤独を拠り所にしているみたいな生き方。
 無意味な事だ。

「……俺の生き方全てを、否定するのか?」
「君は、誰かに執着する事を始めた方がいいよ」
「またそんな、タバコ始めた方がいいよみたいなノリで」
「本当に、誰に対しても興味が持てなくなる前に」

 一瞬で、相手の顔から感情が削ぎ落ちた。本心を暴かれたように。

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