4,核心と心臓

 ビルの屋上から、飛び降りたような感覚がした。
 階段を踏み外すような感覚で、すうっと。

 全身の血が逆流して、それから凍り付いた。

「レイ!!」
「ハーイ」

 ズルズル、廊下の壁にもたれて体を引きずる青年から、返事が返って来た。
 アジトの天井に響く、すごく良い返事だ。今どきどこの小学生だって、こんなに元気よく応えてくれはしないだろう。

「なに返事してんの、バカかい君は?!」
「エッ雲雀、名前呼んどいてその仕打ち?」

 途方に暮れたように、レイが笑う。その口から、壊れたようにガバッと血が溢れた。
 固まる。染みついた習性で、目だけが彼の血の跡を追った。

「……何、その腹」
「刺されました」

 今日は晴れてますね。みたいな気軽さで、レイが答えた。
 ザワッとする。凍り付いていた血液が、狂ったように流れ出した。心臓に火が点くみたいな感覚。

「……咬み殺す」
「ハ?」
「六道骸、絶対に咬み殺す。死ぬまで」

 ザワつく。肌という肌が、沸騰するように波打っている気がした。
 拳を握る。手に馴染む金属の感触。出した記憶も無く、両手にトンファーを握っていた。
 一歩、前へ踏み出す。

「ちょちょっ、待って雲雀」
「止めるな」
「いやまじ待てって」

 現状にそぐわない、穏やかな声。
 その場違いさに、一瞬だけ下を見た。

「ひばり」

 目が合う。
 凪いだ目だった。春の湖面のように、静止した瞳。

「六道は悪くないんだって。だから、待って」

 落ち着いた目に覗き込まれる。ズルい男だ。
 目線だけで、沸き上がった殺意をかき消されるのだから。

「……萎えた」
 ため息をつく。トンファーをしまった。
「そりゃ良かった」
 晴れやかな顔だ。端的に腹が立つ。
「何があったの」
 馬鹿みたいに笑う男の肩に、手を回す。足元を見て、水たまりのような血の跡が目に入った。
 ……よく喋れるな、こいつ。

「えーと、俺の任務に骸が首突っ込んできて、そこまでは良かったけど邪魔されたのムカついたからケンカ吹っかけたら思ったより楽しくて、」
「20文字以内で説明して。沢田のミーティング並みの短さで」

 ボタボタと血が落ちる。白い床にできる染みは、椿のような形をしていた。
 出どころは、ベラベラとよく回る口。

「一騎打ち・勢いあまって・共倒れ」
「ダメやり直し。季語が無い」
「俺ナイフ・骸は槍で・共に串刺し」
「字余り。もう黙れ」

 どうして本当にやり直す。ため息の代わりに、舌打ちをした。
 伝わらない。喋るなと言いたかっただけなのに。
 話せば話すほど、レイの出血はひどくなる。命をすり減らすように口を動かすからだ。

「ナイフと三叉槍。引き抜く感触は一緒なのかなって」
「はあ?」
 遂に頭が狂ったか。

「そう聞かれたんだ。骸に」

 横を見る。
 レイは微笑んでいた。いつもの笑みだ。
 愛想笑いか本心かわからない、その中間の笑い方。

「……で?」
「バカバカしいと思って」
 概ね同意する。
「刺した」
 転ぶかと思った。
「……自分を?自分で?」
「いや。骸の腹を、ナイフで」
「ああ、なるほど」
 理解した。
 危うく、レイにドMの気があるのかと誤認識するところだ。
「そしたら、槍で刺された」
「揃いも揃って、バカなの?」
「……わかんないなあ」

 レイが頭を下げる。一瞬、気絶したのかと思った。

「何が?君はバカだと思うけど」
「骸って、かまってちゃんなのかと思ってた」

 クフフと笑う、長髪の男の姿が一瞬で浮かぶ。
 「かまってちゃん」という部類でくくるには、あまりにも似合わない人間だ。

「……はあ」
「俺、かまってちゃんって嫌いなの」

 初耳だ。
 やたら軽い身体を引きずりつつ、耳を疑う。
 かまってちゃんという部分では無くて、レイが何かを「嫌い」と評したことに。

「だから牽制のつもりで」
「うん」
「ナイフ刺してやった」
 それもどうだ。
「……派手な牽制だね」
「ちゃんと、毒は塗ってないヤツでだよ」
 不服そうな目で見られた。別にそこじゃない。
「で?」
 止めても喋り続けるだろう。雲雀は諦めて促した。
 この調子なら、医務室まで意識を保ってもらった方がマシかもしれない。
「そしたら、普通に刺し返された」
 普通に返されたってなんだ。挨拶とかじゃあるまいし。
「刺し合うのがコミュニケーションってどうなの」
「嬉しかった」
 言われた言葉が、よくわからなかった。
 信じがたい気持ちで、聞き返す。

「……嬉しかった?」
「うん」
 うん。肯定だ。
 やはりMだったのか。そういう一面があったのか。

「かまってちゃんじゃ無かったんだ、って」

 独白のような呟きに、同意するわけにはいかなかった。理解ができない。
 腹を刺し合えばかまってちゃんじゃないのか。どういう理論だ。根拠はなんだ。

「……わからないなあ」
 呟く。だんだん低く、掠れていく声で。うつむく青年が。


 わからないのは、こっちだ。
 任務に骸がくっついていったと知って、帰りがやたら遅いと沢田から聞いて、自室にとどまることもできずアジトを歩いて。
 そこへ、腹に穴あきでご本人様のご登場だ。
 腹に大穴ってどういうことだ。ドーナツか。腹を刺したら出血するって知らないのか。

 わからない。

 憎いわけでも嫌いなわけでもない。なのに刺し合って帰ってくる。当の本人たちはさっぱりした顔で。
 そういう奇妙な関係性を、雲雀は今まで聞いたことがない。


「……かまってちゃんじゃないなら、仲良くなれると思ったんだけど」
 独り言のような言葉が聞こえた。ずり落ちかけた腕を、雲雀は支え直す。
 廊下を歩く足取りが、さっきから遅い。歩みが重くなってきている。

「六道と仲良しこよしとか、君の人間関係もいよいよ末期だね」
「雲雀と悪友な時点で、俺の交友関係は海より広いよ」
「あくゆう」

 鼻で笑ってやった。うつむいた顔の下から、笑うような音がする。

「何、悪友じゃ不満なの」
「君とトモダチなんてものになった記憶は無いよ」
「恋人とか言えば満足?」

 一瞬、返しに詰まった。目が眩むように、返すべき言葉を見失う。

「……恋人を作るには難儀するだろうね。君は」
 微妙にズレた返答を返す。
「残念、両手両足に花って感じ」
「気持ち悪」
「羨ましいって言えよ」
「気持ち悪いだろ」
 見た目に集まる人間なんて、灯りに群がる羽虫と一緒だ。


 わからない。

 大抵の人間が羨望する見た目をしているくせに、時おり全てに絶望したような目をする、この男が。
 人間関係を取り繕うのに慣れているのに、なぜか一線割り切りたがる習性。特定の人間と濃密な関係を築かないのに、ずっと誰かを探しているような顔をする。
 親に捨てられた子どもみたいな、そういう一種の欠落がレイにはある。出会った時から。

 わからない。
 そんな面倒な男に、「悪友」と一線引かれるとイラ立つ自分が。


「……君と六道は、相性最悪だよ」
 思考とは別の言葉を口にした。
「何、雲雀って相性まで見抜けるの?」
 軽口。口笛を吹くような気軽さで、肩を貸す男が返してくる。
 察しが良い。コミュ力の高い男だ、何か勘付いたのだろう。自分が、何かしら「追い詰める」事に。
 大きく、息を吸った。

「君は、自分に欠けてるものの理解を相手にも求めるタイプだろ。協調性なんて持たない相手に、共感を求めるなんて無理だ」
「雲雀の口から協調性とか共感とか聞くと、なんか異国語みたいだな」

 核心から外れた返しが来る。外れたんじゃない、外されたんだ。

「君と六道は、似ているけど決定的に違うところがある」
 無視して続ける。笑いを含んだ声音が返ってきた。
「なに」
「君は自分の理解者を探してるけど、六道は自分の行動に理解なんて求めない」

 その見た目と性格なら、理解者を得るのは簡単だろう。
 けれど、この男には闇がある。だから、自分から拒否するのだ。誰かと繋がる事を。

「……どしたの、雲雀。俺が珍しくズタボロだからって説教モード?」
「茶化すな」

 肩に回した腕を動かす。手のひらを、ぐいっとレイの顎下に差しこんだ。無理やり、顔をこちらに向けさせる。
 痛いだろうと思ったが、腹に穴が開いている時点でどうせ同じだ。

「君が求めている相手は、どこにもいないよ」

 目が合う。濡れた鴉の翼みたいな色の目だった。
 茶化すな。見ろ。聞け。
 僕の言葉を。

「自分をさらけ出さない時点で、己の全てを理解してくれる相手なんて見つかるはずない」
「……哲学者みたいな事言うなよ」
「自分をもう1人連れて来たらいい」
「え」
「そうすれば、君の空白は満たされるかもね」

 親に見捨てられた子のような。
 あながち、間違っていないだろう。多分、この男には両親がいない。
 感じられない。基盤となるべき、他人の愛情を受けた記憶の気配が。

「選びなよ」
「……何を」
「探すんじゃない。選ぶんだ」

 自分が側にいるべき相手を。
 そこまで言ったと同時、医務室の扉に辿り着いた。

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