「では、私はこれで」
丁寧に頭を下げた女将を見送る。暗い廊下の奥、その姿が溶けるまで。
いつもはここまでしない。薄桃色の着物が似合う、儚さ寄りの美。微笑んだ目元が、どこかレイに似ていて。だから、つい。
開けかけていたふすまへ向き直る。ひとつ、息を吸った。気持ちを切り替える時のクセだ。
「お久しぶりです。ディーノさん」
「よ、ツーナ」
滑り込んだ個室では、見慣れた金髪の男が待っていた。
その目の前には、すでにいくつもの料理が並んでいる。綱吉が、先に始めていて下さいと頼んだのだ。
「いいとこだな。この料亭、気に入ったぜ」
「すみません。オレからお誘いしておいて、遅れるなんて」
「そう固くなんなよ〜!久しぶりのサシ呑みだぜ、オレがどんだけ待ちわびたことか」
とっくり片手にはしゃぐディーノ。
成人式の男子だって、ここまで浮かれてはいないだろう。つられて、自分の頬も緩む。
「オレとの呑み、そんなに楽しみにしてくださったんですね」
「もちのろんだぜ!」
「ふ、古い……」
ディーノはたまに、よくわからない方向で日本に詳しい。
「ロマーリオは渋ったけど、ちゃんと席外してもらったし」
そのわりにはしっかりした手付きだ。首を傾げると、それをどういう意味だととったのか、「隣の部屋にいるんだよ」とウインクされる。
「というか、別に同室で大丈夫でしたよ」
「カワイイ弟弟子とせっかくのプライベートだぞ、水入らずに決まってる」
「ちょっとディーノさん、オレと二人っきりで何するつもりですか」
大げさに肩を引く。にんまり、コミカルな悪役の笑みが返ってきた。
「今日は朝まで帰さねーからな、ツナ」
ハイパーウィスパーボイス。
「めちゃくちゃ良い声で言ってますけど、美声の無駄遣いですからね。それ」
「手厳しくなったなぁ、ツナ」
オレは悲しいです、と口をとがらす横顔。三十路がやるには難易度が高い仕草だが、ディーノならば問題ナシだ。
「昔はあんなに可愛かったのに……」
「今年でオレも24ですよ。人間は成長する生き物です」
「そうだよなぁ、24だもんな。ツナも一人前の男だよな」ディーノがとっくりを傾ける。
「あっ、オレ自分でやりますって」慌てて、おちょこを両手で持ち上げた。
「男としては、やっぱりレイみたいなのが好みなんだよな?」
注がれる日本酒をこぼさなかったのは、我ながら上出来だった。
「……な、んの話をしようとしてます?」
「えー?」
ニッコリ。ディーノが営業用スマイルで首をかしげる。
「二人っきりでしかできない話、とか?」
「一応、確認なんですが、……酔ってます?」
「酔ってるように見えるか?オレ」
「見えません」
とっくりから注がれる日本酒は勢いが良かった。つまり、中身はほとんど減っていない。
そもそも、と綱吉は姿勢を改める。この兄弟子は、かなりのザルだ。
「レイが、……何でしたっけ」
「キレーな顔してんな、マジで。生で見たのは初だったけど、ちょっとびびったわ」
生で。なるほど、画像か写真か。それとも、両方か。どちらにせよ、事前に確認済みらしい。
こういう業界だ。データなんていくらでも流出する。レイのことを特別、秘密にしていたというわけでもないし。ただ。
彼の写真が出回る。という事実が、自分としては嬉しくないだけで。
「お気に召したなら幸いです」
適当に刺身をつまむ。
本日、レイは立派に務めを果たしたらしい。内容は、ボンゴレからキャッバローネアジトまでの書類配達だった。距離は大したものではない。だが、厄介なのはその道中だ。
ボンゴレの物なら荷物一片、封筒の切れ端、何でもいいから欲しいという輩は後を絶たない。そんな連中は、普通の配達業者では対処しきれないのだ。
「性格に難アリって聞いてたから、ちょっと意地悪しかけたんだけどよ、」
ずるん。
マダイの刺身が箸から落ちた。
「いっ、イジワル?」
ガタン、思わず机に両手をつく。繰り返したのはほぼ反射だ。
そんな話、レイからは一言も聞いていない。
「いやいや、そんなヤベーのじゃねぇって!」
ディーノが慌てた顔をする。ブンブン、その右手が上下していた。
「ただ、ロマーリオ以外には、レイが来るっていうのを内緒にしてて」
「ナ、ナイショに?」
「侵入者だ!って勘違いさせた部下に襲わせただけ!」
「お、襲わせた?!」
箸が畳に転がる。カランカラン、と可愛い音が鳴るが、かまってられるか。
「ディ、ディーノさん……」
全身が、わなわなと震える。さすがに怒気を抑えられない。
「レイはまだハタチなんですよ、なんてことするんですか!」
脳内は暴動騒ぎだ。黒服にのしかかられ、困惑するレイの姿が目に浮かぶ。
「いや、ちょっと待てツナ、オレの部下は全員返り討ちにされたからな?!」
「返り討ち?!」
脳内図が書き変わった。焦る黒服へまたがり、舌なめずりするレイの姿へと。
さすがはレイ、とけっこう引く。よもや、そういうポテンシャルを秘めているとは。
「……というか、全員?!複数形?!」
「ごっ、5人!そんなたくさんじゃねーから!」
ゴメンってマジで、と両手を合わせるディーノ。その姿もろくに頭へ入らない。
5人。ごにん?!と綱吉は顔を覆った。5人の黒服を屈服させるレイの笑み。倒れた男の顎を、クイッと足先ですくう姿。
「……し、知りたくなかった。オレのレイが、そんな成長を遂げていたなんて」
「悪かったツナ、やりすぎたとは思ってる」
「ヤりすぎた?!」
「ツナ、お前なんか勘違いしてないか?!」
プチパニックを起こした綱吉が鎮まるまで、悠に5分はかかった。