30,カオスミーティング(上)

 廊下で見かけたレイの後ろ姿に、雲雀は息を吐いた。
 細くなった手首。背中をかばうような歩き方。怪我をしているのだろう。気付く自分にも、いやになる。
 これではまるで、気にしているみたいで。
 
「……また、君は」

 後ろから、手首をひねるように掴む。
 奇襲は常に有効だ。相手が敵であれ、身内であれ。

「っ、!」

 レイの肩が、大きく跳ねた。出会いがしらのウサギみたいなリアクション。掴んだ手は、一瞬で振り払われる。
 こちらを向く顔。その目の下に、薄いクマ。目ざとく気付いてしまい、気付いてしまった自分にうんざりする。

「なんだ、雲雀か。おどかすなよ」
「君がぼんやりしてるのが悪い」
「ツンケンするなって。久しぶりの俺の姿に、テンション上がっちゃったんだろ?」
「咬み殺す」
「おいやめろ、3日ぶりの逢瀬だろ!」

 トンファーを下ろす。当然、後転で避けられた。
 3日ぶり。間違ってない。なるほど、レイも数えていたのか。

「で、今度はどうしたの?君」
「はぁ?」

 トンファーを振り下ろす手は止めず、たずねる。綺麗な顔を見事にしかめ、レイがいまいましげに言い放った。

「お前といい、なんで俺の周りには文脈を無視して喋るヤツばっかりなんだ?」
「質問に答えなよ」
「んでもって、横、暴!」

 うなりつつ、避ける姿は軽やかだ。ネズミよりすばしっこく、虎みたいにそつがない。立て続けに壁がえぐれる。

「何がどうしたの、だよ!俺が聞きたいっての」
「何かあったんだろう?」

 疑問というより確認だった。レイの動きが、やや鈍る。
 やはり。

「遅い」
「ッ!」

 当たった。と、思った瞬間、手応えがぐにゃりとゆがむ。
 レイの姿が、一瞬で濃霧みたく濁った。次には、無機質な床がのっぺり現れる。

「炎を使うのは反則じゃない?」
「一方的に殴ってくるのは反則じゃないのか?」

 ふわり。数歩離れた地点に、レイが舞い降りる。
 空中散歩をし終えた猫みたいだ。見目が見目なだけに、妙なオーラがある。

「僕が外国飛ぶたびに、何か起こすのやめてくれないかな。おちおち出張にも行けやしない」
「何か起こした覚えはないけど」

 嘘つき。相変わらずの。
 軽く笑った。トンファーをしまえば、目に見えてレイが力を抜く。
 馬鹿だ。素手が一番の凶器だというのに。

「!」
「遅いよ」

 一瞬で、距離を詰める。
 目を見開いたレイが動くより早く、その喉元を引っ掴んだ。

▽▲

「痕、消えたね」

 覗き込んだ。白い首筋には、なんの傷も無い。
 レイはふいっと横を向いた。押し倒されているのに良い度胸だ。

「笹川先輩が、腕の怪我を治すついでに消してくれたんだよ」
「聞いた」
「……耳が早いデスネー」

 喉仏を、人差し指でなそる。ぴくり、レイの肩が揺れた。
 感情を隠すように、その瞼が下りる。

「小動物が勝手にペラペラ話してきたんだ」
「ああ、お前とツナは仲良しこよしだもんな」

 くっ、と。やや持ち上がる唇。
 懐かしい記憶を掘り起こしたような笑みだった。

「なかよしこよし」

 気持ち悪いな。思ったままを口にすれば、レイが目を開けた。
 人を誘惑するような流し目。多分、本人は無自覚だろう。だから、タチが悪い。

「そう照れんなって。嬉しいくせに」
「もう一回殴ろうか?」
「イヤです」
「僕がなかよしこよしとか。君と六道がヘビーキスの方が、まだマシでしょ」

 何の気なしに軽口を叩いた。つもりだった。
 それが、まさか。

「ふざけんな、アイツとはフレンチでもキレたっていうのに」
「……は?」

 すでに既成事実だった、とは。

▽▲

 会議室の扉が目に付く。「使用中」の札がかかっていた。
 ちょうどいい。お構いなしにドアを押し切り、片手に引っ掴んでいたレイを投げ入れた。

 バッタン、「おろ、ヒバリ?」「な、なんだテメーら!」
 「どいて」
 
 中にいた人間が騒ぎだす。眼光一発で片付けた。
 山本武に、獄寺隼人。なんだ、二人か。なおさらどうでもいい。

「座って」

 ぎゃあぎゃあうるさい外野は無視する。犬に命令するような短さで告げた。レイが大人しく、パイプ椅子を引く。珍しい。

「お、レイじゃねぇか。元気してたか?」
「ノンキに聞いてんじゃねーよアホ、お前ら何勝手に入って来てんだ?!」

 太陽と北風。温度差としては、そのくらいある。
 レイの隣に座れば、ガッと肩を掴まれた。依然として短気な男。うんざりする。

「おい、ヒバリ!表の『使用中』が見えなかったのかテメーは!」
「見えてたよ。あと触るな」

 容赦なく振り払う。前に、獄寺がサッと後退した。
 この男も察しが良くなった。昔ほど、気軽に叩きのめさせてくれない。

「レイ〜、すっげぇ顔色してっけどダイジョーブか?」
「死ね天然」
「ストレートだなあ。機嫌わりぃの?」
「いっぺん喉元掴まれて廊下を引きずられれば、お前もこの気持ちがわかるよ」

 あっちはあっちで嵐の予感だ。
 レイは、天然と相性が悪い。毒を投げても毒と気付かない相手は、時に悪人よりも悪質だ。

「君とそこの天然悪鬼の会議より、僕には重要な議題がある。だから入っただけだよ」
「なっ、てめ、」
「あー、まあオレらもう出てくとこだったしな。使ってけよ!ヒバリ」

 真っ赤になる獄寺。ニッコリする山本。

「……北風と太陽」レイが呟く。
「同感」
「やっぱり?雲雀、お前なら俺の気持ちをわかってくれると思ってた」
「コッチを無視して勝手に絆深めてんじゃねーよ!」

 獄寺の叫びを皮切りに、会議室は一時、トンファーとダイナマイトが飛び散る事態となった。

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