細くなった手首。背中をかばうような歩き方。怪我をしているのだろう。気付く自分にも、いやになる。
これではまるで、気にしているみたいで。
「……また、君は」
後ろから、手首をひねるように掴む。
奇襲は常に有効だ。相手が敵であれ、身内であれ。
「っ、!」
レイの肩が、大きく跳ねた。出会いがしらのウサギみたいなリアクション。掴んだ手は、一瞬で振り払われる。
こちらを向く顔。その目の下に、薄いクマ。目ざとく気付いてしまい、気付いてしまった自分にうんざりする。
「なんだ、雲雀か。おどかすなよ」
「君がぼんやりしてるのが悪い」
「ツンケンするなって。久しぶりの俺の姿に、テンション上がっちゃったんだろ?」
「咬み殺す」
「おいやめろ、3日ぶりの逢瀬だろ!」
トンファーを下ろす。当然、後転で避けられた。
3日ぶり。間違ってない。なるほど、レイも数えていたのか。
「で、今度はどうしたの?君」
「はぁ?」
トンファーを振り下ろす手は止めず、たずねる。綺麗な顔を見事にしかめ、レイがいまいましげに言い放った。
「お前といい、なんで俺の周りには文脈を無視して喋るヤツばっかりなんだ?」
「質問に答えなよ」
「んでもって、横、暴!」
うなりつつ、避ける姿は軽やかだ。ネズミよりすばしっこく、虎みたいにそつがない。立て続けに壁がえぐれる。
「何がどうしたの、だよ!俺が聞きたいっての」
「何かあったんだろう?」
疑問というより確認だった。レイの動きが、やや鈍る。
やはり。
「遅い」
「ッ!」
当たった。と、思った瞬間、手応えがぐにゃりとゆがむ。
レイの姿が、一瞬で濃霧みたく濁った。次には、無機質な床がのっぺり現れる。
「炎を使うのは反則じゃない?」
「一方的に殴ってくるのは反則じゃないのか?」
ふわり。数歩離れた地点に、レイが舞い降りる。
空中散歩をし終えた猫みたいだ。見目が見目なだけに、妙なオーラがある。
「僕が外国飛ぶたびに、何か起こすのやめてくれないかな。おちおち出張にも行けやしない」
「何か起こした覚えはないけど」
嘘つき。相変わらずの。
軽く笑った。トンファーをしまえば、目に見えてレイが力を抜く。
馬鹿だ。素手が一番の凶器だというのに。
「!」
「遅いよ」
一瞬で、距離を詰める。
目を見開いたレイが動くより早く、その喉元を引っ掴んだ。
「痕、消えたね」
覗き込んだ。白い首筋には、なんの傷も無い。
レイはふいっと横を向いた。押し倒されているのに良い度胸だ。
「笹川先輩が、腕の怪我を治すついでに消してくれたんだよ」
「聞いた」
「……耳が早いデスネー」
喉仏を、人差し指でなそる。ぴくり、レイの肩が揺れた。
感情を隠すように、その瞼が下りる。
「小動物が勝手にペラペラ話してきたんだ」
「ああ、お前とツナは仲良しこよしだもんな」
くっ、と。やや持ち上がる唇。
懐かしい記憶を掘り起こしたような笑みだった。
「なかよしこよし」
気持ち悪いな。思ったままを口にすれば、レイが目を開けた。
人を誘惑するような流し目。多分、本人は無自覚だろう。だから、タチが悪い。
「そう照れんなって。嬉しいくせに」
「もう一回殴ろうか?」
「イヤです」
「僕がなかよしこよしとか。君と六道がヘビーキスの方が、まだマシでしょ」
何の気なしに軽口を叩いた。つもりだった。
それが、まさか。
「ふざけんな、アイツとはフレンチでもキレたっていうのに」
「……は?」
すでに既成事実だった、とは。
会議室の扉が目に付く。「使用中」の札がかかっていた。
ちょうどいい。お構いなしにドアを押し切り、片手に引っ掴んでいたレイを投げ入れた。
バッタン、「おろ、ヒバリ?」「な、なんだテメーら!」
「どいて」
中にいた人間が騒ぎだす。眼光一発で片付けた。
山本武に、獄寺隼人。なんだ、二人か。なおさらどうでもいい。
「座って」
ぎゃあぎゃあうるさい外野は無視する。犬に命令するような短さで告げた。レイが大人しく、パイプ椅子を引く。珍しい。
「お、レイじゃねぇか。元気してたか?」
「ノンキに聞いてんじゃねーよアホ、お前ら何勝手に入って来てんだ?!」
太陽と北風。温度差としては、そのくらいある。
レイの隣に座れば、ガッと肩を掴まれた。依然として短気な男。うんざりする。
「おい、ヒバリ!表の『使用中』が見えなかったのかテメーは!」
「見えてたよ。あと触るな」
容赦なく振り払う。前に、獄寺がサッと後退した。
この男も察しが良くなった。昔ほど、気軽に叩きのめさせてくれない。
「レイ〜、すっげぇ顔色してっけどダイジョーブか?」
「死ね天然」
「ストレートだなあ。機嫌わりぃの?」
「いっぺん喉元掴まれて廊下を引きずられれば、お前もこの気持ちがわかるよ」
あっちはあっちで嵐の予感だ。
レイは、天然と相性が悪い。毒を投げても毒と気付かない相手は、時に悪人よりも悪質だ。
「君とそこの天然悪鬼の会議より、僕には重要な議題がある。だから入っただけだよ」
「なっ、てめ、」
「あー、まあオレらもう出てくとこだったしな。使ってけよ!ヒバリ」
真っ赤になる獄寺。ニッコリする山本。
「……北風と太陽」レイが呟く。
「同感」
「やっぱり?雲雀、お前なら俺の気持ちをわかってくれると思ってた」
「コッチを無視して勝手に絆深めてんじゃねーよ!」
獄寺の叫びを皮切りに、会議室は一時、トンファーとダイナマイトが飛び散る事態となった。