打たれた肩を押さえ、うめく獄寺。
会議室での決闘の結末は、子供のケンカより明確だ。勝った方に所有権がある。
「レイのことだよ」
ぐいっ。部外者です、みたいな顔した男の襟を引っ掴んだ。
「いッた、!雲雀、おまっ」
「傍観者気取りで眺めてるからだよ。元凶」
一部始終を座ったまま眺めては、時おり霧の炎でシールドする。その手法はあっぱれだが、対岸の火事もここに極まれり、な態度は気に入らない。
「ヒバリ〜、お手柔らかにな。レイの襟、伸びちゃうぞ」
ハハ、と笑う山本武。この男もレイと同様、会議室の隅で笑って観戦していたクチだ。
「もう伸びてんだよなぁ」レイが投げやりに呟く。
「んで?ソイツがどうしたよ」めんどくさそうな獄寺。
「六道骸とディープキスした、らしい」
「げほごほぉ」
銀髪が長机の向こうに消えていった。
「エッまじか?!」
なぜか、喜々として身を乗り出す山本。
対するレイは、ただ肩をすくめた。襟を掴まれているというのに、器用な。
「マジ」
「そうか、良かったな!」
「ヨカッタナ?」
何言ってんだコイツ、という顔。
美形なだけに妙な迫力がある。
「おう!オレは嬉しいぜ。愛とか恋とか、わかったんだな。レイ」
「な……何?とりあえず、俺が可哀想で嬉しいってこと?」
「へ?いや、オレはただ、お前と骸を祝福するって事を言いたくて」
「シュ……シュクフク?」
こちらを仰ぐ気配。横を見れば、通訳さんお願いします、という顔と目が合った。
「雲雀、全然意味がわからない」
「そう」
適当に受け流す。噛みあわない会話に付き合ってやる義理は無い。
「ちょっ……ちょっと待て」
ガタガタ、椅子と共に獄寺が立ち上がる。やっと復活したらしい。
レイが眉を寄せて見つめている。奇妙な軟体生物を見る目だ。
「ん、何してんの獄寺。パイプ椅子とタップダンス?」
「ちげぇよ!つーか、おま、それ、合意なのか?!」
「お前とだって合意じゃなかっただろ」
「げほごほげほッ」
レイがこちらに向き直る。その後ろで、銀髪は再びイスの向こうへ崩れていった。
「そういえば、獄寺隼人ともキスしたんだったね。このBitch」
「良い発音で言うな。魔性と呼べ」
魔性。失笑していた。
確かに、そうだろう。人をたぶらかしては突き放す。レイにはそういう、本人も無自覚な残酷さがある。
「えっレイ、お前獄寺ともキスしたのか?」
「山本、お前は話題に食い付くのがワンテンポ遅い」
目を丸くする山本に、シッシッ、とレイが右手を振る。この男としては、それで終わりにしたかったのだろう。
だがあいにく、山本武はそういう機微を汲むタイプではない。
「マジか〜。それで、どっちの方が良かったんだ?」
「ん?」
レイが眉をひそめる。
対する相手は、ニコニコと愛想が良い。
「いや、獄寺と骸、どっちの方が良かったのかなって。キス」
「……雲雀!」
再び、こちらを見る顔。ため息をついた。
「こいつ何言ってんの?俺は何て答えればいいんだ?」
「こっちに助けを求めるな」
レイは半泣きの形相だ。会話力は高い男だが、悪意なき天然の発言にはさすがについていけなかったらしい。
馬鹿だ。軽く眉を上げ、助け舟を出す。
「僕が1番って言っておけば?」
「え」
ぱちくり。目を丸くして、レイが止まる。
それから、じわじわと頬が赤くなった。
「……っまえな!この流れでそういうこと言うか?!」
「お、なんだ、レイはヒバリともキスしたことあんのな!」
「頼むから黙ってくんない?」
「モテモテだなあ」
「黙れっつってんだよ!!」
レイの鋭い叫びが響く。その顔を眺めた。林檎が熟す過程を早送りにしたみたいだ。面白い。
理不尽に噛み付かれた山本は、頬杖をついて笑っている。なかなか図太い男。
「つーか、雲雀」
じろり。急に向き直ったレイが、こちらを睨む。
「襟が痛い。いい加減、離せ」
「やだ」
まばたき一つ分。
微妙な間をあけ、固まった顔が動く。ぎこちない笑みに。
「……なんだか、ツナに似てきたな。お前」
「最高のけなし言葉だね。あんな小動物と一緒にしないで」
本気で不快に思った。あの男と同じ立場に立たせないで欲しい。
あんな、がんじがらめで動けない男などと。
「ヒバリー、ツナはああ見えてすげー奴だぞ」
遠くから余計な野次。見れば、山本が手をメガホンにして叫んでいた。
笑っているようで、目が笑っていない。ちっ、と舌打ちする。
「知ってるよ」
「エッ」
ぎょっとしたレイの声。じろり、一瞥する。
「何」
「雲雀にツナを敬う心があったと思わなくて」
「敬う?馬鹿言わないで。咬み殺すよ」
別に、全く認めていないわけではない。だったらとっくにココを去っているし、その前に咬み殺している。
ただ、やり口が甘くて遠回しすぎる。だから、気に食わないだけで。
「君こそ、親に対して敬愛の心なんて無いくせに」
ささくれだった感情をそのままぶつけた。何のオブラートもなく。
瞬間、レイの顔から色が落ちた。写真が色褪せるように、一瞬で。
沢田綱吉は、自称「レイの親」。そして、レイは自称「その子ども」だ。
『……なんで、愛情の先に肉欲はあるんだ』
『別に、愛情の先に肉欲があるワケじゃないよ』
けれど、レイは恐れている。愛情が性欲にすり替わる瞬間を。
赤の他人に情愛を求めている時点で、それが無理だとわかっていながら。
『子だなんて思ったことは、ないんだろ?』
そして実際、沢田綱吉はレイを子どもだなんて思っていない。
彼の目に宿るのは愛だ。もっと温度の高い、鋭く、身に迫るような。
そして、自分はそれが気に入らないのだ。
本心を偽っておきながら、それでもレイの「1番欲しい者」の立場でいられるのだから。
嫌な沈黙だ。静寂に対して、そう感じたのは初めてだった。
手から、レイの襟がずるりと落ちる。反射で掴み直そうとして、
「おい、ヒバリ」
すか、と空を握った。まばたきする。
レイの肩を抱き込み、獄寺が鋭い目で睨んでいた。母が子を守るかのように。
「あんまいじめすぎんな。コイツ、大馬鹿だから、何でもストレートに受け止めんだよ」
は?
カッと目の前が赤くなった。何を知ったように、庇うみたく、偉そうに、気安く触って。
一歩踏み込んだその時、不意にレイが顔を上げた。
「おい、誰が馬鹿だって?獄寺隼人」
「いってぇ!テッメ、今本気でつねっただろ、手!」
炸裂する悲鳴、飛びすさる獄寺。右手をさするその姿に、ニヤリ、悪魔の笑みを向けるレイ。
ショートコント、打ち上げ花火。と言われても驚かない唐突さだった。凍った空気もぶった切る怒号に、全身から力が抜ける。
「俺に気安く触るからだよ、バーカ」
「テメッ……!フォローしてやったっつーのに!」
「獄寺のフォローとか呼んでないし〜?」
どたばた、狭い会議室を足音とミニボムが蹂躙する。
齢20と24の鬼ごっこだ。あまりの幼稚さに、思わず額を押さえる。咬み殺す気も起きやしない。
「ヒーバリ」ぽん、と肩に手が乗る。
「何」
気配は気付いていた。手を振り払えば、にっこり笑う顔が覗き込んでくる。
この世の善を知り尽くした、みたいな笑顔。うっとうしい。
「好きな子ほどいじめたいタイプだったんだな、お前!」
「……山本武、咬み殺す」
会議室は、更なる打撃音と足音で埋め尽くされた。