「うう……今、大きい声出さないで、レイ……」
耳元で鐘でも鳴らされている気分だ。
この世の終わりのようにうめけば、呆れ顔のレイに覗き込まれる。
「何、どんだけ呑んだの。ツナにしては珍しいね」
「ディーノさんに、……というか、あの人、上戸なんだって」
ホント強すぎ。デスクに突っ伏し、ウンウン唸る。
おかしそうに笑う声が、上から降ってきた。レイだろう。というか、今、自分の部屋にはレイしかいない。
「人の苦しむ顔見て楽しむなんて、悪趣味な」
「いやいや。こんな弱ってるツナ、そうそう見ないから」
「そんな子に育てた覚えは、ありません……ううっ」
「あーもう、あんま動くなって」
くすくす。乙女みたいな声。
全く。いい歳のくせに、かわいい笑い方して。上手く言えなかったのは、頬に紙束が乗っけられたからだ。
「ちょっ、……これ何」
「書類。会議室の修理もろもろ案件の」
「ていうか、何をどうしたら会議室を3つも壊す事に」
「や、なんか雲雀が炎圧で、気付いたらそのままぶち抜いてた」
「ヒバリさん、遂にスーパーマンにでもなったの……?」
車2台は余裕で入る会議室を、3つも。一体、どんな炎の使い方をしたのだ。
レイは普通に笑っている。ツボったらしい。
「雲雀がスーパーマンとか、……くっ、ウケる、」
「ウケません、もう。今後、二度と無いように、うッ」
顔を上げ、ツッコミを入れた瞬間にこれだ。視界が回っている。
目を閉じ、デスクに頬をつける。ひんやりした木の冷たさ。気持ちいい。
「大丈夫?ツナ」
「大丈夫じゃない……」
「ほんと、呑みすぎだよ。あんなヤツに付き合う事、ないのに」
つっけんどんな言い方だ。
どうやら、ディーノのファーストインプレッションは最悪だったらしい。
「そんな悪い人じゃないよ、ディーノさんは」
「なんで。こんなになるまで呑ましといて?」
「呑んだのは、オレだし」
「え?」
さらり。前髪を分ける気配。
好き勝手に触らせておいた。レイの指は、デスクと同じくらい心地いい。
「失恋記念、に……」
「ええ?」
まさか。そういう声音に、ホントだよと呟く。
本気度を悟ったのだろう。途端、レイの雰囲気がみるみる沈んでいった。
「……ごめん。俺、笑ったりして」
下がる語尾。しょげているんだなとわかった。可愛い。
「ツナを傷付けるつもりはなかったんだ」
「わかってる、よ」
わかってる。君のことは、何でも。
ずっと見てきたんだから。拾った瞬間から、今日この時まで。
「……ツナ、俺、もう出てくよ。調子悪そうだし」
「え?」
指先が離れていく。風が一瞬で通り過ぎていくように。
いやだ。そう思った。まだ、ここにいて欲しい。
「待って、……レイ」
「え」
掴んだ。細い腕。間違いなく、レイの。
顔を上げれば、困ったように見下ろすレイが目に映った。血が通った石像みたいな見目。儚げな目元。
オレが、いつか失う人間。
「いかないで、……まだ」
レイを見つけたのは、殺人現場だった。
正しくは、暗殺現場か。その頃、レイはフリーランスの暗殺者で、頼まれた仕事は何でもこなしていたらしい。
今なら、それが白蘭の元から逃げた直後のことだったとわかる。
『……あ』
『え』
目が合った。それだけで、察した。
小雨の降る路地裏。電柱の影から、折れた傘の骨みたいに腕がにょきっと見えていた。
その前にたたずむ、フードを目深に被った人物。
同業者だ。
それも、かなり腕が立つ部類の。
『……あーあ。見られた』
鳥肌が立つ。相手の滑らかな動作に。
目撃者を前に、彼は悠長なものだった。静かにナイフをしまい、はみ出ていた腕を影に蹴り込み、こちらを向く。
ばさり。フードが落ちた。
『お兄さん、めちゃ強いでしょ』
綺麗な顔。
衝撃的だった。小雨に混じって雷が頭を貫いたように。
整っているというより、崩れがない。神がきっちり計測して目鼻を置いたかのごとく、バランスがいいのだ。
信じられない。そう思った。
『ちょっと、聞いてる?』
ひらひら。手を振られて、はっとした。
『う、うん。聞いてる』
『そっか。良かった』
淡々としているようで、口調は柔らかい。
端的に言って、混乱する。見られたら消すべき目撃者に、これではまるで媚びを売っているような。
『……殺さないのか?』
『え、なんで?お兄さん、強いでしょ』
上から下まで、舐めるように視線が降りる。
分析に慣れた目だ。他人を評価するのにためらいがない。
『俺、勝算の無い殺しは避けるんだ』
『……へぇ』
『そう教えられたから』
教えた人は、生きるのに長けているね。
そう思ったが、黙っていた。
『それとも、』
不意に、相手が口角を上げた。
夜のデートにでも連れ出すような、他人を誘惑する目で。
『今、ここで、俺のこと殺してくれる?』
あ、ダメだ。
その瞳を覗き込んだ瞬間、そう思った。