32,鎖拘束(上)

「な〜んで、人が会議室3つ壊したタイミングで、二日酔いになってんのかなぁ」
「うう……今、大きい声出さないで、レイ……」

 耳元で鐘でも鳴らされている気分だ。 
 この世の終わりのようにうめけば、呆れ顔のレイに覗き込まれる。

「何、どんだけ呑んだの。ツナにしては珍しいね」
「ディーノさんに、……というか、あの人、上戸なんだって」

 ホント強すぎ。デスクに突っ伏し、ウンウン唸る。 
 おかしそうに笑う声が、上から降ってきた。レイだろう。というか、今、自分の部屋にはレイしかいない。

「人の苦しむ顔見て楽しむなんて、悪趣味な」
「いやいや。こんな弱ってるツナ、そうそう見ないから」
「そんな子に育てた覚えは、ありません……ううっ」
「あーもう、あんま動くなって」

 くすくす。乙女みたいな声。
 全く。いい歳のくせに、かわいい笑い方して。上手く言えなかったのは、頬に紙束が乗っけられたからだ。

「ちょっ、……これ何」
「書類。会議室の修理もろもろ案件の」
「ていうか、何をどうしたら会議室を3つも壊す事に」
「や、なんか雲雀が炎圧で、気付いたらそのままぶち抜いてた」
「ヒバリさん、遂にスーパーマンにでもなったの……?」

 車2台は余裕で入る会議室を、3つも。一体、どんな炎の使い方をしたのだ。
 レイは普通に笑っている。ツボったらしい。

「雲雀がスーパーマンとか、……くっ、ウケる、」
「ウケません、もう。今後、二度と無いように、うッ」

 顔を上げ、ツッコミを入れた瞬間にこれだ。視界が回っている。
 目を閉じ、デスクに頬をつける。ひんやりした木の冷たさ。気持ちいい。

「大丈夫?ツナ」
「大丈夫じゃない……」
「ほんと、呑みすぎだよ。あんなヤツに付き合う事、ないのに」

 つっけんどんな言い方だ。
 どうやら、ディーノのファーストインプレッションは最悪だったらしい。

「そんな悪い人じゃないよ、ディーノさんは」
「なんで。こんなになるまで呑ましといて?」
「呑んだのは、オレだし」
「え?」

 さらり。前髪を分ける気配。
 好き勝手に触らせておいた。レイの指は、デスクと同じくらい心地いい。

「失恋記念、に……」
「ええ?」

 まさか。そういう声音に、ホントだよと呟く。
 本気度を悟ったのだろう。途端、レイの雰囲気がみるみる沈んでいった。

「……ごめん。俺、笑ったりして」

 下がる語尾。しょげているんだなとわかった。可愛い。

「ツナを傷付けるつもりはなかったんだ」
「わかってる、よ」

 わかってる。君のことは、何でも。
 ずっと見てきたんだから。拾った瞬間から、今日この時まで。

「……ツナ、俺、もう出てくよ。調子悪そうだし」
「え?」

 指先が離れていく。風が一瞬で通り過ぎていくように。
 いやだ。そう思った。まだ、ここにいて欲しい。

「待って、……レイ」
「え」

 掴んだ。細い腕。間違いなく、レイの。
 顔を上げれば、困ったように見下ろすレイが目に映った。血が通った石像みたいな見目。儚げな目元。
 オレが、いつか失う人間。

「いかないで、……まだ」

▽▲

 レイを見つけたのは、殺人現場だった。
 正しくは、暗殺現場か。その頃、レイはフリーランスの暗殺者で、頼まれた仕事は何でもこなしていたらしい。
 今なら、それが白蘭の元から逃げた直後のことだったとわかる。

『……あ』
『え』

 目が合った。それだけで、察した。
 小雨の降る路地裏。電柱の影から、折れた傘の骨みたいに腕がにょきっと見えていた。
 その前にたたずむ、フードを目深に被った人物。

 同業者だ。
 それも、かなり腕が立つ部類の。

『……あーあ。見られた』

 鳥肌が立つ。相手の滑らかな動作に。
 目撃者を前に、彼は悠長なものだった。静かにナイフをしまい、はみ出ていた腕を影に蹴り込み、こちらを向く。
 ばさり。フードが落ちた。

『お兄さん、めちゃ強いでしょ』

 綺麗な顔。
 衝撃的だった。小雨に混じって雷が頭を貫いたように。
 整っているというより、崩れがない。神がきっちり計測して目鼻を置いたかのごとく、バランスがいいのだ。
 信じられない。そう思った。

『ちょっと、聞いてる?』

 ひらひら。手を振られて、はっとした。

『う、うん。聞いてる』
『そっか。良かった』

 淡々としているようで、口調は柔らかい。
 端的に言って、混乱する。見られたら消すべき目撃者に、これではまるで媚びを売っているような。

『……殺さないのか?』
『え、なんで?お兄さん、強いでしょ』

 上から下まで、舐めるように視線が降りる。
 分析に慣れた目だ。他人を評価するのにためらいがない。

『俺、勝算の無い殺しは避けるんだ』
『……へぇ』
『そう教えられたから』

 教えた人は、生きるのに長けているね。
 そう思ったが、黙っていた。

『それとも、』

 不意に、相手が口角を上げた。
 夜のデートにでも連れ出すような、他人を誘惑する目で。


『今、ここで、俺のこと殺してくれる?』


 あ、ダメだ。
 その瞳を覗き込んだ瞬間、そう思った。

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