33,鎖拘束(下)

 人が人に落ちる時の、あの感覚はなんだろう。
 彼の目は、もてあそぶようで本気だった。あそこで自分が銃を取り出したとしても、相手は悲鳴ひとつあげずに出迎えただろう。
 ゆがんでいる。

『……今、いくつ?』
『18、かな。ていうか、聞き方』

 連れ立って歩きながら、質問する。衣服の裂けた相手に配慮して、人目を避けつつ。
 成人したての青年は、『幼児に歳聞いてるんじゃないんだから』と笑った。

『名前は?』
『名前?……そうだな、じゃあ、レイで』
『じゃあ?』

 彼の視線を追う。名を告げる前、その目が路面店に向けられたのは見ていた。
 シャッターの降りた商店街。塗装が剥げた中、店名だけがむなしく光っている。

『本当の名前は?』
『野暮だな。答えたくないから、今、命名したんだ』
『名前は、君が生まれて最初のプレゼントだよ』

 言いつつ、その横顔を盗み見た。自分の予想が当たっていれば、おそらく。
 ぎらり。一瞬、隣の目が鋭く光る。

『……ろくでもないプレゼントだ』

 静かな声。
 煮えたぎる感情を抑え込んだような平坦さが、返って不気味だった。

『俺は、別に生まれてきたいなんて欲してなかったのに』

 小雨に紛れるほどの低さ。おそらく、聞かせるつもりは全くないのだろう。
 そして、その呟きが、綱吉の胸を一番強く打った。

『レイ』
『……。』
『レイ!』
『?!……ああ。俺?』

 がっしり、肩を掴んで立ち止まらせる。
 相手は居心地悪そうに、視線を泳がせた。

『そう。君は、レイ。今日から、レイだよ』
『え、ああ、そう。……なんか、あんたちょっと変わってるな』

 唇をすぼめ、さりげなくディスられる。
 何て子だ。これは、熱心な教育が必要だな。そう思って、口元が緩む。

『今日は、君の誕生日です。はい、ハッピバースデー、レイ』
『えっ、……ちょっと、俺、状況ワカンナイ』
『大丈夫だよ、レイ』

 目を合わせる。顔を近付けた。
 小雨の中でも、はっきりと届くように。

『……オレが、君の親になってあげる』

▽▲

「……ツナ?」

 あの時と同じ、けれどずっと深みが増した瞳。犬が人に懐くと浮かぶ、親愛の色。あれと同じだ。
 窺うような見つめ方に、苛立ちに似た悲しみが湧く。

「レイ、」

 そうだ。ずっと、君の目にあるのは親愛だ。
 それは自分と同じじゃない。そして、きっと同じにはならない。

『本当にレイが僕を選んだら、選べって言ったその口で泣くでしょ。君』
『あいつを救えるのは、きっとお前じゃないんだ』

 知ってる。知っているんだ、全部。
 レイが欲する「普遍愛を与えてくれる人」になったフリをした。唯一無二の立場で抱え込もうとした。胸の内にあるのは、そんなやさしい温度の感情じゃないくせに。

『守るべきものが増えすぎたから、一線越えられないんだろう?』

 自分には、何より大事な仲間がいる。それら全てを抱えたまま、レイに触れることはできない。
 だから、仲間と同じくくりに囲った。そうすれば、レイも守れる。
 その、はずだったのに。

「レイ、……お願い」

 彼は、「ボンゴレ」というくくりからも、逃げ出そうとするだろう。いつか、必ず。
 自分に向けられる性愛に、誰よりも敏い人間だから。

『オレが、怖いんです。レイはいつ消えるんだろう、って』

 怖い。ぎゅうっと、掴む手に力を込める。
 ディーノはレイを「手に余る」と評した。だから、深入りするなと。
 でも、自分にはそれができない。白蘭の言う通り。
 だって、自分が本当に怖いのは。

「ずっと、ここにいて。いつまでも」

 レイが凍り付いた。その顔がこわばる。
 初めて、悪意ある言葉を向けられた瞬間みたく。


「……オレ、君が好きなんだ。レイ」


 自分が本当に怖いのは、抑えきれずに持て余している、彼への凶悪な感情なのだから。

▽▲

 ソファに押さえつけた。勢いのまま、敵を組み敷くように。
 これは、押し倒すと同義だな。両手首を縫いとめ、思う。
 レイは水から引き揚げられたばかりみたく、顔が白い。動揺か混乱か、失望か。

「あー、頭いた……」

 グラつく視界に、意味もなく呟く。自分の下、当然みたく転がるレイと目が合った。
 ああ。そこで、やっと気が付く。銃を向けられた鹿に似た目。
 おびえている。彼は。

「馬鹿だなあ」

 レイの手足に、力は入っていない。はねのける素振りも、抵抗の気概も見えない。
 これでは、勘違いされても仕方ないだろう。まるで誘いを受け入れてるみたいだ。

「レイ、好きだよ」

 動かない身体に、どうしようもない感情が湧き上がる。興奮ともいう。
 ヒバリさんが相手なら、きっと戸惑いはしても怯えはしないだろうな。はやる心臓をなだめながら、そう思った。

「……ツナ、それは」
「ん?なあに」
 鼻先が触れる。その距離で、レイがひるんだように口を開いた。
「その好きは、……ラブ?ライク?」
「家族愛にライクはないでしょ。ラブだよ」
「か、ぞくあい?」
「うん」

 馬鹿だなぁ。泣きそうな気持ちをぐっと抑えこんだ。
 すぐ目の前、揺らぐ瞳に微笑んで。少し、唇を近付ける。

「好きだよ。レイ」

 額に口付けたまま、ささやく。密着した体が、びくんと震えた。
 ごめんね。胸の内で謝る。この声が家族愛以上を含んでいることは、レイにもとっくに伝わっているだろう。

「だから、ずっとここにいて」

 楔を打つみたく、そう告げた。

▽▲

 ドアを閉める。そのまま、ずるずると背中を滑らせた。
 中には、まだレイがいる。今も、ソファに転がったまま動けずにいるだろう。

「あー……」

 意味のないうめき声が出る。手の甲を目にのせ、力なく笑った。

「やっちゃった」

 本当は、もっと大事にしたかった。
 性欲だとか悦楽だとか、そういった感情の一切を捨てて。本当の親子みたいに。変わらない愛情とぬくもり。たまには叱って、時には笑って。

 それが、君の望んだものだと知っていた。

 感情とは厄介だ。それでも、ボスとしての理性ではなく、昂ぶる心の方が先行する。
 白蘭と関係があって欲しくなかったし、ヒバリさんを見て欲しくないし、自分を選んでもらいたかった。
 全部、もう遅い。

「好きだったよ」
 
 傷付けたかな。傷付けてしまっただろう。他人の心情に鋭い子だ。
 それでも、自分の想いは知っておいて欲しかった。


 情欲を含まない綺麗な愛なんて、もう、どこにもないんだよ。レイ。

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