そう言って目元に濡れタオルを押し当てれば、居眠りしていたレイが飛び起きた。
「……で、オレに言うべきことは?」
「寝込みを襲うなんてサイテーだよ。獄寺センパイ」
「ちっげぇだろ!!」
殴られた頬を押さえて叫ぶ。カフェのテラス席なのを考慮して控えめに。
頬杖をついたレイは笑っている。穴に落ちた小動物を眺めているような目付きだ。人としてどうかと思う。
「しかも何してんだ、お前」
「ん?調べもの」
カチカチ。テーブルに置いたノートパソコンを触るレイは、やけに様になって見える。
「調べもの?」
上ずった声が出た。
「俺だってパソコンで調べものくらいするさ」
「そこに驚いたわけじゃねーよ」
別に、レイがパソコンを使っていることに動揺したりしない。わざわざ、カフェにノートパソコンを持ち込んで調べものをしていることに面食らっただけだ。
「なに調べてんだ?」
「んー……マフィア界隈?」
ざっくりしすぎてて何もわからない。
「ったく、ココまで迎えに来てやったっつーのに」
「迎え?」
向かいのイスを引く。周りの遠巻きな視線がうっとうしい。主に、一発殴られた獄寺へむけて。
仕方ないだろう。親切に後輩を起こしてやったところへ、もぐらたたきより素早い一撃が来るだなんて誰が予想できる。
「探してたんだよ」
「え、俺の事を?獄寺が?」
「10代目がな」
そっけなく答える。自分も心配はしていたが、素直に伝えるのは癪だ。
「……ツナが?」
「ああ」
顔、曇ったな。
気付いたが、とりあえず無反応に頷く。
「……大丈夫だよ。俺、夜には帰るから」
「高校生のガキみてぇなこと言うな」
「高校生よりは早く帰るさ」
意味の無い問答だ。レイが好きで、自分が嫌いな。
「10代目とケンカしたのか?」
感情を込めずに問いただした。
「……いや、」
レイの視線が落ちる。コーヒーとパソコンがたたずむテーブルへ。
「俺が避けてるだけ」
なるほど。足を組み、じっと真向いの男を観察する。
正装以外のレイを見るのはいつぶりか。がばっと首元が空いたジャンパーに、細身の黒スウェット。浮いた鎖骨が目に付いた。
痩せたな。がっつり空いた胸元をチラ見して結論付ける。見えそうで見えないところについ視線がいくのは、男の性だ。
「なんか任務でしくったのか?」
「いや。この前もちゃんとディーノに届け物したよ」
「跳ね馬か。お前初対面だろ、どうだったんだよ」
「最悪」
「わかる」
思わぬところで意気投合。
そのタイミングで注文したカプチーノが来た。ひと口すすって、もうひとつ。
「じゃあ、なんか言われたんだな。10代目に」
きゅっ、と。レイの唇がきつく結ばれる。
目は合わない。合わせる意思が無いのだろう。
「……プライベートの侵害だぞ」
「人が使ってた会議室をのっとっておいてよく言う」
「アレは雲雀がやったんだ」
「共犯者って奴はたいてい他責主義だな」
カフェの脇は人通りが多い。
通行人が生み出すざわつきに、落とし込むみたく囁いた。
「愛が恋に変わったんだろ」
レイの顔が上がった。ゆっくりと。
その目が暗く笑う。モノクロ写真みたいな虚ろさがあった。
「……知ってたんだ。ツナが、俺の事を」
レイがそこで黙り込む。不自然な途切れ方だったが、獄寺には続きがわかった。
いつかの会話がよみがえる。もうずっと昔にも思えた。医務室でレイを押し倒した、あの日の言葉。
『俺を救ってくれる人は皆、俺を好きだと言ってくれるんだ』
『それは、喜ばしい事じゃねぇのか』
『そうだね。……俺が、大切だと思えたなら』
「……10代目の気持ちは、受け止めてやって欲しい」
精一杯の言葉だった。レイの目が鈍く光るのを見つつ、唇を噛む。
ギリギリだ。レイを追い詰めたいわけではない。だが、10代目の心を無視して寄り添えるほど、自分は器用でもない。
「レイ、あの方はお前のことを思って」
「知ってたんだ。ツナが俺の事をなんて、ずっと。俺は」
遮られた。力の無い声を反芻して、気が付く。
自分に向けられたものではなかったのか。さっきの「知ってたんだ」は。
「ツナの気持ちに気付きたくないふりをしてた。罰が下った」
「気付きたくない、って、お前」
「卑怯者って殴れよ」
唾を飲み下す。表情筋が硬直したとわかった。
レイの目に濃い影が見える。何かを諦めたい人間の顔だ。
ビルの屋上、手すりをまたいで動けないでいるみたいな、そんな。
「……獄寺、俺を殺してくれない?」
雑踏が遠い。全部、水に浸かったみたいだ。
外界の声も通行人の姿もくぐもっている。目の前の人間だけが鮮明だった。
「……ふざけんな」
唇が震える。思いのほか声帯はしっかりしていて、力強く言い切れたことに安堵した。
「そんなこと、冗談でも言うんじゃねぇよ」
「白蘭はアレで甘いんだ。俺の事、本気で殺せない」
唐突な名前に混乱する。誰の、何の話だ。
「獄寺みたいなタイプだよ。俺を、本当に殺せるのは」
「……なんつー評価を」
「だって、お前はまともだから」
薄く笑う顔は、どうしてか異常に綺麗だった。
「他が全員、まともじゃねぇみたいな言い方するな」
「まともじゃないさ」
昼下がりの日光。テラス席を照らす白いぬくもり。通行人の笑い声。
日常のど真ん中だ。そこで、石像みたく端整な青年がいびつに笑う。
「俺が、一番」
今すぐ、ナイフを突き立てそうな雰囲気で。