35,他責主義な共犯者たち(下)

「……てめぇはいつも面倒だな」
「知ってるよ」

 ああ。ゆらりと揺れる瞳に、自分はいつも弱い。困ったような泣き笑いの目付き。
 なんでこんな奴を好きになったんだろう。回りくどくて不器用な、愚かで頭の良い人間だ。
 厄介なのに見離せない。

「10代目だって、何もお前に恋人になれとか言ってきたわけじゃねーだろ」
「だから嫌なんだ」

 レイが目を伏せる。どこか腹立だしげに。

「白蘭みたいに、いっそ迫って来てくれたら」
「お前、白蘭に何されたんだ」
 さすがに引く。あの白髪頭、レイに手を出していたのか。
「この前は肋骨折られかけた」
「……は?」
 手を出す(物理的な意味で)。
「嘘だろ、アイツそういう愛情表現する奴だったか?!」
「白蘭の性癖遍歴なんて知らないけど」
「オレも知らねーよ」
 知りたくもない。
「ただ、白蘭は俺を殺してくれなかった」
「……レイ」

 やはり、そこへ戻ってくるか。
 大きく息を吸う。自分があと何秒、平静な態度を保てるか計算した。次、殺してくれと懇願されたら。
 おそらく、耐え切れない。きっと首に手をかけてしまう。

「前に言っただろ。お前の欲しいモンは手に入らねーよ、代理で埋め続けてる以上」
「白蘭とおんなじこと言うんじゃねぇよ」

 レイの口調が乱れる。自分も熱くなっているのがわかった。
 互いに冷静でいられない。まずい兆候だ。レイの手がカップに当たって、派手に陶器が震える。

「なら、珍しくアイツも正論だな」

 まずいのは、レイと自分ではまとう熱気が違うからだ。
 レイは怒りからヒートアップしている。弱ったところを暴かれたくないから。
 自分を侵しつつある熱気は異なる。もっと、今にも手元が狂いそうな。そういう昂ぶり。
 
「正論なんて腐るほど聞いた」
「聞いても脳に届かせる気ないだろ。てめーは」

 これは、高揚だ。

「認めたくない」
 うめくような声。はっとする。
 視線を向けた先で、レイがうつむいていた。その唇が苦しげに開き、閉じて、また開く。
「ツナが代理だったなんて、思いたくない」
「レイ……」
「ツナは俺に言ってくれたんだ。ハッピーバースデーって」
 脈絡ない言葉だ。だが、なんとなく察する。

「望んで生まれてきたわけじゃない、って言った俺に、オレが親だ、って……」

 浅い呼吸に邪魔されて、レイの言葉が切れる。その頭がさらに下がった。ほとんどノートパソコンにつっぷすみたいに咳込んでいる。
 もしかしたら、過呼吸気味なのかもしれない。そう思ったが、腕は痺れたように動かなかった。

▽▲

 代理だと思いたくない。

 そう苦しむ時点で、レイにとっては大きな変化だ。今まで、バッサリ他人を切り捨ててきたであろうこの男が。
 けれど、更に傷付くのは見えている。レイが望んでいるのは恋人じゃない。互いの求める姿が違うのに、一緒にいようとするのは自殺行為だ。
 それでも、その仲を取り持ってやりたかった。実際、何とか取り持とうと思っていたのだ。


『俺を殺してくれない?』


 投げかけられた懇願に、自分の心臓が異常なほど高鳴るまでは。

▽▲

「……落ち着け、レイ」
「いき、くるし、」
「馬鹿、なんで今更過呼吸になんだよ」
「いまさら、って、なに、……」
「そんな繊細な神経してねぇだろ。平気で人の顔殴るくせに」

 努めてフランクな声掛けをする。周囲はまだ気付いていない。手で口を覆い、必死で呼吸を整えるレイの姿に。
 良かった。こんな場面を一般人に見られたら、大事になる。

「もっと、慰めの言葉、あんだろ」
「自力で回復できるやつにくれてやる慰めなんてあるか」

 するり。顔を上げたレイの頬を、そっと撫でる。
 良かった。こんな顔を一般人に見られたら、誤ってそいつを殺していた。

「今なら、隙だらけだったのに」
「は」
「確実に殺せたよ。俺のこと」

 指先が伸びてくる。見えていたのに避けられなかった。
 ゆっくりと、仕返しのように頬を撫でる指は冷たい。いつかの医務室で取った手と同じで。


「……多分、お前が唯一の人間だよ。俺を殺してくれる、唯一の」

▽▲

 同情が恋情にすり替わったのだと思い込めれば、どれほど楽だっただろう。
 おぼつかなく立ち上がる小鹿を健気に思うように、哀れな孤児に無意識で手を差し伸べるように。
 きっと、10代目はそういう始まりだ。憐憫から愛情を与えて、それが恋に行き着いた。報われないのは苦しいけれど、綺麗な恋愛だ。

『大切な物ってなんだ。誰かを愛しく思うってなんだよ。どうして生い立ちも過去も知らない相手の事を、好きだなんて言えるんだ』

 自分は違う。
 無様に他人を拒絶するレイの姿を、好きだと思ってしまった。

 これは、悪夢みたいな恋だ。
 
▽▲

 財布から引き抜いた札を置いて立ち上がる。大して減っていないカプチーノを気にかけられるほど、自分の精神は安定していない。

「!」
「先帰る。お前も夜には戻ってくるんだろ」
「待って」

 手首を掴まれた。人肌の温度に、かっと目の前が赤くなる。

「触んな!」

 振り払った瞬間に後悔した。レイの顔が露骨に傷付く。
 けれど、駄目だ。これ以上は、こっちが壊れる。

「生まれる時も自分の意思じゃなかったんだろ、レイ」
「は、」
「死ぬ時ぐらい、他人に請うんじゃなくて自分の意思で選んで死ね」

 レイの目が大きく開かれた。その瞳孔が揺れている。
 泣きそうで絶対に泣かない瞳。見たくない。

「獄寺……」
「オレに、そんなこと押し付けんな」

 振り返らずに店を出た。息が苦しい。
 なんで、どうして。足早に行く道すがら、レイの表情が浮かんで消えない。

 オレは、どうしてあいつが苦しむのをやめてやりたいと思えない?

▽▲

「……クソッ」

 肌が粟立つ。レイの声はまだ、消えない。
『俺の事、殺してくれる?』
 自分はレイの隣には立てない。始めから劣情を抱いているからだ。
 そして、そこを付け込まれた。

 獄寺みたいなタイプだよ。俺を、本当に殺せるのは。

 見抜かれていた。見抜かれた上で、付け込まれた。
 気が狂いそうだ。

「ふざっけんな、」
 絶対に手に入らない人間を殺す。
 永遠に覆らない二律背反だ。レイの本望を叶えてレイを消す。
 けれど、それを一瞬でも甘美だと思ってしまった自分にぞっとした。

「……何とかしろよ。ヒバリ」

 手に負えない。このままでは。
 腹立ち紛れに責任転嫁して、自分も白蘭と同じだなと嗤った。

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