36,雷雨が続けば

 雨がひどい。雷もひどい。窓の外は、塗り潰したように真っ暗だ。
 書庫のドアは開いていた。クロームは何の疑問も持たず、するりと中へ入る。

「わ、……」

 暗い。夜の森へ吸い込まれたかのごとく。
 窓には、カーテンが引かれている。その生地を透かして、白い稲光が落ちていった。
 流れ星みたい。そう思いながら、手探りで壁のスイッチを探す。

「あれ、……つかな、」
「クローム?」

 ひゅっ。喉が細く鳴る。
 同時に、頬に手が触れた。冷たい。人形みたいな他人の手。

「きゃっ」
「あ、ごめ」

 慌てた声。指先が離れた。
 ひんやりとした温度だけが残る。触れ合った感触の名残だ。
 この声。ぼんやり、思い当たる。

「……レイ?」
「ああ、うん」

 驚かせてごめん。相変わらず、王子みたいに落ち着いた声音だった。
 そっか。今更のように、納得する。カギが開いていたのは、レイがいたから。

「レイ、……どうして、電気点けないの?」
「いや、点かなくて」

 苦笑混じりの声。首をひねって、声のする方へピントを合わせた。
 闇に目が慣れてきた。なんとなく、レイの輪郭が見えてくる。

「この雷雨のせいかな。ブレーカーが落ちたのかも」
「でも、廊下の電気は点いてた」
「え、マジで?」

 ピカリ。稲光に、綺麗な顎のラインが浮かび上がる。

「じゃあ、この部屋の電気だけおかしいのかな」
「電球が、……切れちゃった?」
「書庫の電球まるごと、全部?」

 くすぐるような言い方だ。
 これは、冗談。楽しんで言っている。

「クロームって、相変わらず面白いな」

 これは、ほんと。
 暗闇って不思議だ。顔は見えないのに、声だけで感情がわかる気がする。

「……からかって、る?」
「え?いや、そんなつもりは無かったんだけど。ごめん」

 言葉、間違えたかな。
 静かな声が、書庫に浸み込むみたいに響く。

「クロームって、相変わらず可愛いな」

 ……これも、ほんと。
 そう気付いて、固まった。じわり、肌が熱くなる。
 おかしい。雨粒が窓を手荒に叩くこの部屋は、寒いくらいなのに。

「……レイ、」
「ん?暗くて怖い?」
「あんまり、……どきどき、させないで」

 小石が部屋中に投げつけられているみたいな騒々しさだった。
 しいん、とした書庫の中で、鼓膜を打つ。激しい音が。
 それは、自分を抱きしめたレイの胸から聞こえていた。はっきりと。

「……やめて、クローム」

 かすれた声。耳の上をなぞるようなそれに、びくっとした。
 熱い。レイの息も、体を抱きしめる両腕も。

「レイ……?」
「俺いま、……あんまり、余裕ないから」

 稲光。また。
 白い光の中、鼻先に迫った目は奇妙にゆがんだ。

▽▲

 唇が触れそうな距離間。驚いたけれど、嫌だとは思わなかった。
 体を抱く腕も、名を呼ぶ声も。全部、熱に浮かされたように震えていたから。

「……レイ」

 腕を回す。この人は、自分よりずっと背が高い。他のボンゴレの人と同じで。だから、レイは膝をついているのだろう。
 こちらを抱きしめるその頭へ、そっと手を乗せた。

「前にも、言ったけど、……寂しいなら、手を繋いであげる」
「はは、……じゃあ、お願いしようかな」

 まるで、偶像にすがるような姿だ。もちろん、自分は偶像なんかじゃないけれど。
 どちらかというと、偶像みたいなのは。

「お願いついでに、もうひとつ。教えて欲しいんだ」
「……私に、わかることなら」

 レイが、顔を上げる。
 束の間の白い光に照らされて、それはいっそう、感情が削げ落ちて見えた。


「手を繋がなくても、寂しくならないようにするには?」


 ドンッ。足元が揺れるほど、大きな音がした。
 反射で身をすくめる。近くに雷が落ちたのだろうか。

「……ひとりに、なる?」
「え?」

 大きな目。そうすると、ちょっとだけ人形っぽさが崩れる。
 まるで、一人の男の人みたいに。

「私は、骸様に会うまで、……さびしいのも、よくわからなかったから」

 事故に遭うまで。夢の中、あのオッドアイに会えるまで。
 心はいつも静かだった。あらゆる感情から自身を閉ざすように。

「……そっか」
「でも、もう無理だと思う」
「なんで?」
「だって、……皆に、会えたから」

 会った記憶を失くすことはできない。居場所の温かさを、今更消すことも。
 氷が溶けても水が残るように、気持ちはずっと覚えている。

「……クローム」
「なに?」
「ほんと、お前って可愛いな」
「っ……?」

 あわあわ。焦って、暗い書庫のあちこちに視線を飛ばす。
 それから、気が付いた。自分の肩、ちょうどレイの頭がうずまったあたり。
 熱い。まるで、濡れたように。


「……俺は、いつまでこうなんだろう」


 ひっそりとした呟きだった。雷雨に紛れ込むみたく。
 きっと、答えは欲してないだろう。だから、黙っていた。

「出来る事なら、誰とも繋がらずに生きたかった」
「それは、……きっと、すごくさみしい」

 頭に置いた手を、控えめに動かす。傷付いた猫をいたわるように。

「そうかな。誰かと繋がる事を知らなければ、その寂しさを知る事も無い」

 淡々とした声。冷えているけれど、こちらを追い詰めたいわけではないとわかって、クロームは頭を撫で続けた。
 だって、レイの声はくぐもっているから。

「寂しさを知らない人間なんて、……いないよ」
「クローム、お前のすぐ近くに六道骸というヤツがいまして」
「だって、そんなの、人形みたい」

 ドッ。壁がうなるように揺れた。落雷。
 暗い中で、顔を上げたレイと目が合った。こちらの言葉の奥の奥まで探るような、虚無の目。
 まるで人形だ。綺麗で、美しくて、皆が一目で目を奪われる。

「それは、……いやだな」

 ぐにゃり。泣き笑いに近い顔。
 人形が崩れ、形を変える。レイという、整然とした見目の混沌とした青年に。

「大丈夫、だよ」
「ん?」
「……もうすぐ、雷も止むから」

 抱きしめる。頭を抱え込むように、強く。
 雷は止む。雨も止む。そしたら、電気も点くだろう。
 それと同じだ。きっと、この人が抱えている闇も、いつかは晴れる。

「変なの、……変なクローム」

 耳元で囁く声。それは確かに、笑っているように聞こえた。
 目を閉じる。二人きりで、真っ暗な書庫の中。互いを包む温度。
 それはまるで、闇がやさしく抱きしめてくれているようにも思えた。母胎に子をかくまうみたく、じんわりと。



 だから、クロームは見落とした。
 レイの後ろ、散らばったいくつもの資料と、切り抜かれた新聞紙の破片を。

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