37,バッドコミュニケーション

 可哀想な物は好きだ。
 よくあるパターンとしては、大雨に打たれるダンボールの捨て犬・公園でひとり遊ぶ子供・裏切られた瞬間の大人の顔。
 可哀想な物は、動物が嗅覚で食物を嗅ぎ当てるように、すぐわかる。

 だから、レイの持つ可哀想さに陰湿な色が滲んだ事には、すぐ気が付いた。


「どこに行くんですか?」
「……骸」

 今気が付きました、という顔で見つめられる。

「今、どっから湧いてきた?」
「どこって、普通に廊下の向こうから歩いてきましたが」

 この男は自分をなんだと思っている。
 アジトの廊下をすれ違っただけだ。それなのに、そう不審な目を向けられても困る。

「クマ、できてますね」
 ふと、気が付いた。指で、目の下をついっとなぞる。
「元々だよ」
 うっとうしそうに払いのけられる。懐かない小鳥みたく。

「君みたいな美人にも、クマですか」
「何が言いたい」
「君も人間だったんですねぇ」

 ガンを飛ばされた。
 あーん?とか凄まれそうだ。キャラが違うが。

「お前みたいなサイコパス紛いの人外とは違って、生まれた時からこちとら確かに人間ですけど」
「クマができるほど、何か思い詰めているんです?」

 レイが露骨に嫌そうな顔をした。車に水たまりを引っかけられた直後みたいに。

「俺は人間なので、眠れない時もあります」
「そういう時に何が効くのか知ってます?」
「……はあ?」
 眉をひそめられる。完全に、運気の上がる壺を押し売られてる人間の顔だ。
「ハーブティーなら、部屋にあるけど」
「手を繋ぐんですよ」

 カッとレイが目を見開いた。

▽▲

「……君、すぐに手出すクセ、直した方がいいですよ」

 冷や汗が頬をつたう。一瞬、避けきれないかと思った。
「なんで」
 たった今、右手を閃かせナイフを振るった男が尋ねる。なんで?
 おかしくないか。いきなり廊下でナイフ切りつけといて、疑問形。

「円満な対人関係に響きます」
「骸にだけは言われたくないセリフ・ベストスリーに入る発言をどうも」

 円満とは程遠い発言が、よくまあポンポン出てくるものだ。

「これでも、君の事を心配してるんですよ」
「何、骸の心配ってイコール挑発とかなの?」

 レイが目を細める。その手元で、ナイフがくるくる回っていた。
 殺気が滲むその立ち姿は、妙な気迫と色気がある。戦いの女神が人の形を取ったような。

「君、何かよからぬことを考えているでしょう。だから僕の気配にも気付かなかった」
「人を不穏分子みたいに」
「最近はケガも多いようですし」
「やんちゃ盛りなんだよ」

 愛想ゼロで返される。
 やんちゃって。イキがる高校生とかじゃあるまいし。

「心配ですね。悩みがあるならお聞きしましょうか」
「当面の悩みは、六道骸という男が俺の行く先を塞いでることですかね」

 仏頂面。その身体がぐんっ、と前に深く沈んだのを見た瞬間、反射で床を蹴った。飛ぶように後ろへ下がる。
 銀の刃が空気を掠った。ほんの数瞬前まで、前髪があった地点だ。

「物騒な。話せばわかる、という言葉を知りません?」
「問答無用」

 肩をすくめる。つくづく、ユーモアに付き合ってやろうという考えの無い男だ。

「君の考えていること、当ててあげましょうか」
「……へぇ」
 レイの目が細く光った。水晶球のような瞳が、殺意を帯びる。

「ココから、出て行こうとしている」

 対峙する相手を見た。
「どうです?」
 レイが口角をつった。
「かすりもしてない。ハイ残念」
「おや」
 急所を刺したと思ったのだが。肩を落とす。
「ココは好きだし恩もある。出てなんかいかないさ」
「そうですか」
「尚、お前は除く」

 そんなハッキリ言わずとも。

「つれないですねぇ。そんなに僕が嫌いですか?」
 肩をすくめられる。
「任務の邪魔はするし刺してくるし。どこに嫌われない要素があると?」
「僕達は似ている。そう言ったでしょう」
 一瞬、よろめくようにレイの体が揺れた。
「またその話か。冗談もほどほどにしろよ」
 骸は頬を緩めた。
「そうですね、冗談です。僕らは似ていない」
「あ?」
 ワントーン下がった声で聞き返される。不機嫌な獣のようだ。

「お前、言ってること無茶苦茶――」
「僕は君みたいに他人を気にしませんし、盲目的に縋りたい他人もいません。信じるのは自分のみ」

 沈黙。
 氷が張ったように、冷たい緊張感だった。向かい合う相手は、未だナイフをかまえている。

「……俺は、そんなふうに強くなれない」

 ぽつり。張った氷に一滴、雫が落ちるような呟き。
 見下ろす。これが本心だと、わかった。

「強いだとか強くないだとか、そんなこと考えてるから眠れなくなる」
 嗤った。
 レイの口元も歪む。その目に、再び冷たい炎が宿るのを見ていた。
「そうかもな。お前みたいに、強くたくましく雑草みたいに生きてる奴とは違って、俺はデリケートなんだ」
「さしずめ、タンポポの綿といったところで」
「放っておいてくれないか?」

 目を細める。突き放した声音に、はっきりと一線引かれたのを感じた。

「そこをどいてくれ」
 ナイフの刃先が、こちらへまっすぐに向く。そのまま3歩、彼が前へ出れば、こちらの胸を貫くだろう。
「嫌です、と言ったら?」
「何お前、俺のこと好きなの?」
 息が止まる。この世の建前という建前を嘲笑うような声だった。
 レイが1歩前へ出る。銀のナイフは、生き物のようにぬらっと光った。

「俺のことが大好きで仕方ないのはわかったから、かまうのやめて通してくんない?」

 吐くような笑い方で、石像じみた美貌が歪む。
 どうにかして相手を傷付けようとする、悪意の潜んだ言葉だ。

 初めて見る顔だった。
 初めて見る表情と言葉に、幻を見たように全身が止まった。


 ――ああ、そういうことか。
 目が覚めるような感覚で、ぱっと理解した。

 殺戮衝動。

 挑発的に笑うレイの胸に、たった今、三叉槍を突き刺したいと思った。
 自分に向けられる好意の全てを、冗談へ流してしまうこの男に。

 美しいものは壊したい。けれど、レイは惜しいと思った。
 惜しいと思ったのは、壊せば二度と見られなくなるからだ。美しいと思った容姿も、よく動く唇も、自分とよく似た思考から生まれるズレた行動も。
 惜しいと思った時点で、終わりなのだ。
 綺麗な血の海へ沈めるより、生かすことを望んでいる時点で。

▽▲

「……失敗しましたか」

 駆ける足音は廊下を曲がり、遠くなっていく。
 隙ができたのはたった2秒だったが、その2秒を見逃す相手じゃない。

「残念ですね」
 ため息をついて、驚いた。本当に、残念だと思っている自分に。


 他人を傷付けるためだけに、言葉を発する。そういうレイを見たのは初だ。いつでも、相手の心をうかがって、言葉を選ぶ人間が。
 今までも互いに罵倒しあってきたが、そこに悪意は無かった。敵意は多少あったとしても。

「円満な対人関係とは、難しいことだ」

 届かない内心だとか、うまく言えない言葉だとか。
 そういうものを、挑発しあうような会話の中に混ぜ込むのは困難だ。

「……雲雀恭弥に、連絡しておきましょうか」

 あの男なら、そこらの機微を汲めるのだろう。
 そういう関係を作れなかったのは残念だが、もう仕方ない。


「おそらく、レイが死にます、と」

back


ALICE+