38,極地の果て

 馬鹿みたいに息切れする心臓を抱えて、辿り着いた先はどこぞの廃墟だった。

 
「……レイ」
 呼吸がキツい。全身が酸欠で痛む。
 こんな感覚は久しぶりだった。できれば、あと50年くらい忘れていたかった感覚。

「ひばり」

 ゆらり。幽霊みたいな動作で、よく知った男が振り返る。
 かしいだ首が不気味だった。霧のように煙と砂が舞う中で、彼だけが立っている。

 サッカー場を焼き払ったような、ぽっかりした空き地だ。元は豪邸だった。

「君、……全部、消したの」

 ジャリ。足元の砂が、風にのって飛んでいく。
 屋根も柱も草木も残らず消し去ると、残るのは灰色の地面だけらしい。まるで、死神が色彩もろとも連れていったようだった。

「うん。全部、消しちゃった」

 家、来ちゃった。みたいな軽さ。舞う砂埃より質量がない。
 こちらを見る目は、凍った湖面みたく凪いでいた。

「……短絡的な」
 息を吐く。とりあえず、目立つ外傷は無い。
「雲雀に言われたくはない言葉・ナンバーワンだな」

 レイが笑った。ぎこちない表情で。
 大馬鹿だ。いつも通りの雰囲気へ戻すには、状況が悪すぎる。

「短絡的だろう。そもそも、任務ですらない。大手とはいえ、マフィアのアジトを勝手に潰すだなんて」

 そっけなく言い放つ。
 沢田から伝令を受けた時、心臓が止まったかと思ったのだ。

 レイが、----マフィアのアジトへ単独で乗り込んだ。
 止めて欲しい。いえ、止めて下さい。今すぐに。

「問題あるか?」

 びゅう、と風が吹き抜けた。レイの前髪が舞い上がる。
 焼け野原に喜ぶのは、このつむじ風ぐらいなものだ。

「問題あるか、って?」

 嗤った。ガラス球をはめこんだような両目を、しっかりと見据える。
 色を失った瞳。白い顔。墓標にも似た立ち姿。
 生気を失ったレイの姿は人形じみていて、灰色の地面がよくお似合いだった。

「誰が、そんなことをしてくれって言った?」

 相手の目元が歪む。腹を刺されたみたく。

「君がたった今、消した大手マフィア。ソレが裏でコソコソしてたのを知っていたのは、3人だけだ。沢田とキャッバローネ、ミルフィオーレの頭」

 今回の件で、自分も知る事となったが。

「ゆっくりと包囲して、最後は経済的に制裁を加える予定だったらしいけど」
「……。」
「親の作戦を完璧に崩壊させた気分はどうだい?」

 レイの指先から、血が滴り落ちる。返り血だろう。ぎゅっと、その手が握られるのを見た。
 煽ったのは無論、わざとだ。

「雲雀、ごめん」
 静かな声が不穏だった。壊れる寸前の電子機器みたく。
 内心を隠して、鼻で笑う。
「何が?僕に謝罪されても困るしね」
「ごめんって、ツナに伝えておいて」
 レイのつま先が動く。それを認識した瞬間に、体が動いていた。

「逃げるな」

 腕を掴む。思いっきり、強く。
 踵を返そうとしたレイが、怯んだように硬直した。

「逃げるな。レイ」
「もう戻れない」
「戻る気が無いだけだろ」

 不気味だった。髪が逆立つように、奇妙な胸騒ぎを感じる。
 レイから滲むのは罪悪感じゃない。独断専行を悔いている人間の雰囲気とは違う。
 まるで、初めからこうなる事を見据えて行動したかのような。

「戻らないよ」

 腕を掴んだ先で、綺麗な顔は青ざめていた。
 無。真顔。虚ろな。感情の一切を振り捨てた表情。そこで、気が付いた。

「戻ったら、煩わしくなるから」

 これが、この人間の本当の顔か。


「俺は、俺を大切にしてくれようとする人を、いつも大切に思えないんだ」

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