39,愛の定義

 雲雀の顔がこわばっている。
 それを眺めて、レイは乾いた気持ちで笑った。

「愛って何。家族って何」
「は……」
「俺の欠陥は俺が1番わかってる。だからその原因を、俺じゃないものに求めたい」

 わかってるんだ。
 自分が欲しい物は、もう一生手に入らない。不老不死を求める錬金術師のように、恋に破れて海に沈んだ人魚みたいに。


 与えられなかった家族の温かさを、他人に求めた。
 何の見返りもなく愛してくれる人を。相手のために動かなくても、「大丈夫だよ」と抱きしめてくれる人間を。

 そんな他人はどこにもいない。

 見返りも代償も無しに救ってくれる人間なんてどこにもいない。年齢を重ねればなおさらだ。大人の言う「大人」に近付けば近付くほど、置いていかれた子供心が泣いた。

 どうして。

 欠陥だ。社会的生物として致命的な欠点。自分自身を肯定しきれない、ひとりで立てない、ぐらぐらした足取りの人間。生まれたての小鹿のような。
 本当に、いっそ小鹿だったら良かった。側に見守り支えてくれる親がいたはずだ。

「……可愛いって言って」

 雲雀が目を見開いた。


 本当は、ずっとそう言われたかった。きれいじゃなくて、かわいいって。
 子どもの頭を撫でながら、母親がいとおしくてたまらないという顔で笑うみたいに。

「好きだって、……誰よりも俺が大切だって、例え何があったとしても、俺が変わっていっても、ずっと……ずっと、変わらずに……」

 大好きで可愛くて馬鹿でどうしようもなくて愛おしくて綺麗で好きで例え何をやらかしたって何を嫌ったって誰かを殺したって。
 それでも、どうしてもあなたが可愛くて仕方なくて好きなのだと、

 いっそ狂気みたいな愛で。


「……好きだって」

 どうして。
 とめどなく涙が流れていく。馬鹿だと思った。
 ミルクを欲しがる赤子のようになりふり構わない言葉が、みっともなくて幼稚だなんてわかりきっている。戯れ言だ。
 苦しい。得られない物が、吐き出す感情の共感者がいないことが、今この瞬間の自分が。
 苦しいんだ。ずっと。

 ……もう、疲れた。

「だから」
 雲雀がこちらを睨む。まるで呪うような目で。
「だから、無茶な行動に出たの。1人で」
「あわよくば」
 重い唇をこじ開ける。笑顔も大げさな身振りも無い。
 取り繕う必要は、もう無い。全てを吐露してしまった今。
「死ねないかなって」
「馬鹿が」
 唾を吐き捨てるようなゆがんだ顔。
 キレてる。あの雲雀が。
「君が殺した死人に謝りなよ。彼らの方がよっぽど」
「よっぽど生きたかったって?」
「よっぽど有意義に生きてくれただろ」
 なるほど。そう来るか。
 一理あるかもしれない。
「矛盾してんだよ、君は」
「?」
「死にたいと望んでるのに誰かを殺す」
 黒い瞳は憎悪に近い感情で燃えていた。それこそ殺すような眼光だった。
「死を望む身体で生き延びるために他人を刺した。結局生きたいだけだろ」
 口から空気を抜くように笑った。
「そうだよ」

 そうだよ、雲雀。
 俺はずっと死にたいと願いながら、それが怖くて誰かを刺している。

 雲雀が目を細めた。朝焼けのように強烈な光が凝縮する。
「開き直りかい?」
「事実だ。俺は汚くて卑怯で異常な人間だ」
「ついでに言うと八方美人のわりに他人に興味ナシ、寂しがりのくせに他人と繋がる努力をおこたる、つまるところ君は」
「君は?」
 視線を交えた先で、相手の男は口を動かした。
 興味があった。この人間が、自分をどのように評価するのかを。

「じき、ひとりで生きていくことしかできなくなる人間だ」



 ひとりは楽だった。
 気遣いもご機嫌取りも必要ない。自分がどう見られているかという評価はそこにない。
 馬鹿みたいに怯えては、相手の望む姿になろうと躍起にならずに済む。

「馬鹿じゃないの?」

 罵る声が冷たく耳を打った。そのまま、鼓膜を滑り落ちていく。

「そういう生き方で生きてきたんだ」

 相手にとって最適な姿になり切ることで、相手の唯一無二になろうとする。

「ただの道化師じゃないか。愚かだと思わなかったのかい?」
「同じこと言われた。ディーノにも」

『綺麗なピエロみたいだなと思ってたんだ』
 目を細め、なぶるような口調。でも、ディーノが真実だ。

「昔、俺に言っただろう」
「何を」

 学生みたいに度を超えたはしゃぎも、心を無にして内臓にナイフを突き刺すのも。
 全部、できる。言ってしまえば、なんでもできるのだ。

「ちぐはぐだって」

 だから、とらえどころなく見えるのだろう。

「プライドがないね」
 冷たい刃のようだった。雲雀の目は。

「だから、お前は綺麗に見えたよ。ずっと」

 ブレのある気立ては、全て本気だったけれども処世術から来ている。生来のモノじゃない。
 それを見抜いたディーノは、道化だと言った。

「愚かだ」
『業が深いよ。お前は』

 低い声が、いつかの批難と重なって聞こえた。
 相手の好みと傾向を察して、1番居心地の良い存在になり切る。安心が欲しいなら微笑みを、騒々しさを求めるなら空騒ぎを。
 顔を使って、耳を傾けて、肩を貸して、手を握って。
 貴方が求める者になるから、貴方も俺を気に入ってね。

「……君はそんな生き方しなくても、たくさん人間が寄ってくるだろ」
「いらないよ」

 疲弊していた。そういう生き方しかできない自分に。
 大事だよと言ってくれる人に、いつも愛想笑いしか返せない。だって自分は大事に思えない。偽った自分を好きだと言ってくれるんだから当たり前だ。
 居場所を転々としては、違う自分になろうとした。なのに、いつも辿り着くのは同じ場所だ。

 大切だよ。そう言ってくれる他人の手を、冷めた気持ちでしか見返せない己。

「俺は、お前だけがいてくれればいいんだ。きっと」
「は」
「だってお前は、俺を大事だと思わないだろ」

 己のみに従う雲雀に、はじめから純粋な尊敬を抱いていた。
 そして、彼は他人に愛を注がない。注ぐことに興味を見出してない、と言った方がいいのかもしれない。

「何それ」
 平坦な声音。雲雀の顔が、不穏にゆがんだ。
「お前は、俺を性愛の対象者として見ない」
「ああ、そういう意味?なるほどね」
「そうだろ?」
「そう思うと、沢田やミルフィオーレは趣味が悪いね。ほんと」
「この期に及んで罵倒がキレッキレ」
「だって面倒くさいし、君。これを抱けるとか意味が分からない」
「おい、なんで当然みたく抱く側なんだよ。俺が抱く側かもしれないだろ」
「は?僕は抱く側に決まってるでしょ」

 笑った。本当に、こいつは凄い。
 人類万物、全てを抱くと信じて疑ってない顔だ。

「そういうとこだよ」

 変わらない情なんて無い。特に、愛や恋なんて揺れやすい感情など。
 知っていた。

「だから、最初に人外だと思って見てたんだ。お前のこと」
「何それ。褒め言葉?」
「人外みたいな美形だしな」
「君に言われてもね」

 サラッと褒め返される。おそらく、本人にその自覚はないのだろうが。

「異種族を見るみたいな気持ちだった」
 言葉を選びながら、思い出す。

『人を好きになるのは怖い?』

 白蘭が最後に残した、呪いのような問いかけを。



「お前が、お前だけは特別だった。……雲雀」

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