40,終末論

「すきだよ、雲雀」

 言った瞬間に、全身が軽くなったような気がした。
 雲雀の手が、ぴくりと跳ねる。掴まれた腕から、揺れはダイレクトに伝わってきた。

「昔お前が、もうひとりの自分を連れてこい、って俺に言ったじゃん」

 あの日が、もう何年も前の事のように思えた。
 肩を抱いた力強い腕。自分を貫くように覗き込んだ黒の瞳が、未だはっきり思い出せる。

「合ってるよ、アレ」
 雲雀の目が細くなった。
「近日のテクノロジーに期待すれば?AIとか進歩してるし」
「なんで科学でもう一人の自分を作ろうとしてんだよ。怖いわ」
「それくらいしか叶えられないでしょ。君の本望は」
「だから、お前は言ったんだろ」

『探すんじゃない、選ぶんだ。自分が側にいるべき相手を』

 不意に、腕が軽くなる。雲雀が手を放したのだ。
 小鳥を解放するように何気なく。


「僕を選ぶのかい?」


 向き合う。何もない、のっぺりとした地の真ん中で。
 二人きりになったような静けさだった。人類全てが死に絶えた世界で、互いを殺す寸前みたく見つめ合う。

「……、」
 口を開いて、上手く息が吸えなかった。
「馬鹿だね」
 指が伸びてくる。それが優しく頬を撫でて、少しだけ心が楽になった。
 小動物にそっと触れるような、清浄な手付き。

「当ててあげるよ。怖いんだろう?」
「……、は、っ」
「選んだ経験が無いから」

 首を傾け、黒い目が斜めから見下ろしてくる。
 奇妙な表情だった。手放した小鳥が、目の前で死にゆくのを見届けるみたいな。

「選んだ先が見えないんだろう?他人の感情を信用したことがないから、自分の感情が動く可能性も捨てきれなくて、自分自身も信用できない」

 浅い呼吸が苦しくて、目を閉じる。
 鼓膜に沈むような朗々とした声に、白蘭の姿がうっすらと浮かんだ。
 あの人も、他人の本質を見極められる人間だった。非情なまでに。

「レイ、時間が解決するよ」
「解決しない」

 反射で遮っていた。頭を撫でる手を感じながら、ゆるゆると首を振る。

「解決しないよ。解決できないものもあるんだ」

 怒りや傷やトラウマは、薄まっていく。
 けれど直らないものがある。性格やクセ、他人に気にいられたいと願う心。

「満たされないものをずっと抱え込んでいるね、君は」

 意味の無い苦しみを、意味の無い悲しみを、認めて欲しいという気持ちを、褒めて欲しかったなという思いを。

「くだらない」
 残酷なことばのわりに、口調は柔らかだった。
「そう思うよ。俺も、もうずっと」
「過去にいつまでもとらわれてる」
「そうだな」

 全部嫌いだ。生まれた時に強いられた環境も、解決させてくれない時間も、変わらないものなど無いと口をそろえて知ったように言う周囲も。皆皆全部全部自分だって嫌いだ。
 自分が一番嫌いだ。

「君は、ずっと誰かに認められるためだけに生きているみたいだ」

 髪をすくう手先。暴く言葉は鋭くて、自分の体内をさばかれているような気がした。
 白蘭と似ていて、けれどずっと容赦がない。綱吉も見抜く事に長けていたけれど、そういう行為はしなかった。君は君の、そのままでいいんだよと、包もうとしてくれた。
 それが、押し倒された時の目を見た瞬間に、無理させていたんだと思い知った。

 かなしかった。

「代償無くとも存在するだけで愛されたかったと願う心は、不純で怠惰で愚かなものなのかな」

 初めて吐露する、醜い願い。
 けれど、確かに本心だった。

「それが、君の本懐か」
「くだらないだろ」
「じゃあ求めれば?」
「何を」

 不意に、雲雀が右腕を上げる。真っ直ぐにこちらへ伸びる腕。
 首を絞められるのか。とっさにそう判断した。身構えた背中を、勢いよく引き寄せられる。


 思い切り強く抱きしめられて、叫ぶような息が漏れた。


▽▲

 置かれた場所で咲きなさい。
 そういう言葉を聞いた。

「泣けば」
「……なに、そのクッソどSみたいな」
「もう泣いてるのか」

 呆れた声。すぐ真上から降ってくる。
 分厚い肩だ。腹が立つほど。その骨に噛み付く勢いで顔を押し付け、うずめる。

「うるさい」

 ひゅうひゅうと喉が鳴っている。ちっちゃい子が泣いてるみたく無様だ。
 涙なんていつぶりだろう。ひどい嗚咽を噛み殺そうとしながら、そう思った。

「君って、追い詰められると語彙力ひどくなるね。レイ」
「この期に、及んでッ、冷静に分析してんじゃねえよ。馬鹿」

 くそ。ますます、顔が上げられない。
 なのに、それを助長するみたくグッと頭を押さえつけられた。

「無理しなきゃいいのに」
「……っえ、」

 不意に、胸が詰まる。

「泣きたいなら泣けば」

 気だるげな口調。雲雀は何とも思ってなさそうだ。
 そっけないようでそうじゃない声が逆効果だ。余計に涙が止まらなくなる。

「、うるっさ」
「我慢はストレスの元だよ」
「お前にッ、言われると、謎の説得力あるわ」

 この暴力男。破壊魔。次から次へと罵っている最中も、背中は抱きしめられたままだ。一生離れないんじゃないかと思うほどの力だ。痛いくらいに。
 互いの骨がきしみ合って、その音が体内で響く。

「無理するから、いつまでも傷が治らない」

 かさぶたをゆっくりなぞるような、そんな声だった。
 ずっとつっかえていた胸のどこかが、すっと楽になる。それで、気が付いた。

 そうか。
 無理したらだめだよと。そう言って欲しかったのか。自分は。

 
 置かれた場所で咲きなさい。与えられた境遇を受け入れなさい。
 ひどい言葉だ。そう思った。
 斜面に木々が芽吹くのか。乾燥してヒビ割れた地に花が咲き乱れるのか。

 それとも、そういう場所で咲き誇る努力をしなければ駄目なのか。

 望んでそこに置かれたわけではないのに。

「過去に執着しないお前が羨ましいよ。雲雀」

 雲雀の肩に顔をこすりつけ、乱暴に目元をぬぐった。
 相手は動じる素振りひとつ見せない。嫌な奴。

「羨ましいから僕の事好きになったの?難儀な性格してるね、君は」

 過去は、いつまでも己の足を引っ張って放さない。悪意に満ちた蔑み、情欲の視線。
 放したかったけれど引き剥がせなかった。

「まーた煽る。もっとロマンチックに返せないのかよ」
「君こそ。優しいところに惹かれたとか、媚びの一つでも売ったらどう?」

 鼻で笑おうとして失敗する。首を絞められたように喉が鳴った。
 
「愛や優しさが人を支えるだなんて嘘だ」
「急にロマンチストになったね。概ね賛同するけど」
「恨みつらみこそが、人を生かす」

 トラウマや身に受けた傷が、逆に自分自身を前へ奮い立たせる。皮肉にも。
 あの頃よりはマシだ。
 そうやって、全てを引きずるように生きてきた。

「それはそれで極論だけど、君はそうやって過ごしてきたんだろうね」

 ゆっくりと、固い手のひらが頭を往復する。
 あんまりに優しい手付きだ。笑ってしまう。

「なに笑ってんの」
「いや、……これ、本当に雲雀かなって」
「どういう意味」
「優しすぎるから」

 殴られると思ったのに、降ってきた声は静かだった。

「僕がしたいから」
「え?」
「そうしたいから、そうしてる」
「したい、から……」
「優しく思えたのならそれはそれでいいけど、そんなつもりはないよ」

 付け加えられた言葉に、張り詰めた心がふっと緩んだ。安堵する。

「お前らしいよ。雲雀」
「勝手に決めつけないでくれる?」
「あと手が痛い。力が強すぎる、お前」
「ああ、そう。じゃあもうちょっと耐えてね。僕はまだこうしてたいから」
「我慢はストレスの元だって、お前が言った」

 散々悪態をつきながら、それでも嫌じゃなかった。
 自分を抱きしめる腕の中で、目を閉じる。寄り添うというより、食らいあってるみたいな体勢だ。

「愛って痛いんだな」
「お望みなら肋骨折るけど」
「なんでそうなるんだよ。空気読めよ」

 適当に返す。頭を撫でる手が離れるのを感じた。
 途端、ぐいっと顎を持ち上げられる。かなり無理やりに。

「?!」
「黙って」

 短い命令。なんて横暴な。
 目を見開いた瞬間に、視界が暗くなった。

「…………?!な、んで?!」
「空気読めって言った」
「い、言ったけど」

 しどろもどろで視線をさまよわせる。ふっ、と笑う気配がした。

「馬鹿だね。君は」

 雲雀が自分を抱く腕は暖かくて強い。身体に刻み込むような抱擁だった。
 名前で呼んでほしい。そう呟けば、確かにやさしい声が、名をなぞるように呼んだ。


「レイ」


 生まれた瞬間、親が祝福を込めて名前を授けるみたいに。

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