だから来るなと言ったのに。僕ひとりで充分だと。
「何ですか、ソレ」
顔を上げる。存在には気が付いていたから、特にリアクションはしない。
つかつか。書庫をまっすぐ歩いてきた六道骸が、目の前で立ち止まる。ひどいしかめっ面だ。
「昨夜、任務が長引いてね。寝れなかったらしい」
「はぁ、そうですか」
「君、すごい顔してるよ。面白いね」
「どんな顔ですか」
「いきなり腐乱死体がぶら下がってきた時の顔」
「君の例えは悪趣味すぎるんですよ。雲雀恭弥」
面白みのない会話を繰り広げる前で、レイはじっと目を閉じたままだった。
雲雀の肩に頭をのせ、ピクリともしない。本格的に眠りについたのか。
「そうしてると可愛げがあるんですがね」
骸が目を細める。窓から射し込む日光に目をやられたかのように。
「そう?」
「ええ。人形みたいで」
今日は、年に一度の虫干しの日だ。いつもは閉めきられている書庫の窓は、全て開け放たれている。
ふわり。風に押されて、レースカーテンがはしゃぐように舞い上がった。
「綺麗な顔してるからね。レイは」
「黙ってれば綺麗なだけで済むものを」
「口が悪いのも可愛いじゃないか」
「うわ。惚気ですか?」
乱れたレイの前髪をかき分ける。
二人分の長椅子で良かった。六道が座れば、自分と二人でレイをサンドすることになる。そんな地獄絵図はごめんだ。
「ひどい顔してるよ、君。大丈夫?」
「一応聞きますが、どんな顔ですか」
「いきなり千切った手首を投げられた時の顔」
「本当にスプラッタがお好きですね」
不意に、骸が指先を伸ばす。こちらへ。
とっさに身を引いた。つられて、レイの体が下がる。
「……ちょっと」ひくり、骸の口元が引きつる。
「やめて。触らないでくれる?」
ひえ。
目の前の男から、あまり発されたことのない声が漏れた。
「……独占欲の強い男は嫌われますよ」
「涼しい顔して、未だレイを狙ってる不躾な奴に言われたくないね」
「……きみ」
オッドアイが、すうっと目付きを変える。
「気付いているなら手加減は不要そうですね」
「うわ、カマかけたつもりだったんだけど。本気?」
「……君!」
思わず、顔をゆがませていた。珍しくうろたえる相手に、警戒心が高まる。
「妙なちょっかい出してるのは知ってたけど、そういうベクトルの感情だったのか」
「そういうってなんですか?!勝手に納得するのはやめてください」
「横恋慕をする男は嫌われるよ」
「ヨコレンボ」
今度は、骸がしかめっ面をした。口に腕でも突っ込まれたみたいだ。
「何を勘違いしているかわかりませんが、雲雀恭弥」
「なに」
「僕はこの男に恋だの愛だのといった感情は一切ないのでご心配なく」
「ふうん」
「全く聞いてませんね」
レイの頬に指を滑らす。上から苦々しげな声が聞こえたが、もとより聞く気はそんなに無い。
「ただ、最後は僕がもらいうけます」
「は?」
「彼を壊すのは、僕なので」
無言で顔を上げる。その頃にはもう、紫色の頭は遠ざかっていた。
「……そういう愛情ってどうなの」
大いにひねくれている分、発露した瞬間がまずそうだ。
引き続き危険視しておこう。そう心に決めた瞬間、入り口から声が飛んでくる。
「言い忘れていました。沢田綱吉が呼んでいます」
「へぇ。小動物が?」
「君ではなく、レイのことを」
今度こそ、扉が閉まる。
横を見る。穏やかな寝顔だ。まるで、幸福な夢を見ているかのような。
妙な事だ。こんな表情を間近で見てしまうと、肩にかかる重みも気にならなくなってしまう。柄にもなく。
「……起きて、レイ」
人という漢字は、支え合う人間からできています。
昔聞いた戯言を、なぜか思い出した。
「おはよう、レイ」
努めて朗らかに声をかける。扉を開け、滑り込むように入ってきた青年へ。
「おはよ、って時間じゃないでしょ。もう正午だよ」
「寝てたんでしょ?寝ぐせ、付いてるよ」
さらり。揺れる前髪の下、眠そうな目付き。
「……ウソ」気まずそうな顔。
「うそ」
「おい」
シャツの肩口に、クッキリ皺が付いている。さっきまで誰かと寄り添っていたのだろう。
目ざとく気付く自分が、少しだけ憎い。
「ツナが本当に24歳か、たまに本気で疑う」
「失礼な。確かに童顔だけど、めっちゃ頼れる24歳でしょ」
「頼れる24歳は、ハートマーク付きで『ウソ!』とかやりません」
つん、とそっぽを向く綺麗な顔。
不機嫌な猫みたいな素振りだ。笑ってしまう。
「で、君に新しい任務を任せたいんだけど」
「え、なになに」
途端、こちらへ身を乗り出すレイ。
近いな。
デスクに座ったまま、ややたじろぐ。椅子を引いたのはほぼ無意識だった。
「ええっと、任務というより訓練なんだけど、これからは銃の練習の方も、」
広げた書類だけを一心に見つめる。うつむいたまま、意識して口だけを動かした。けして上を見ないよう。
「ツナ」
「え?なに」
なのに。名を呼ばれ、反射で顔を上げてしまう。
染み付いた体の方を恨む。レイに呼ばれると、本能が反応するのだ。
「ごめんなさい」
ひゅうと喉が鳴った。のは、自分か、それともレイか。
近い。前髪が触れ合う距離で、レイの顔がある。
「俺のせいで」
「えっなにがふぐぅ」
むぎゅ。頬を両手ではさまれる。
フリーズする自分の前で、レイの顔がぐしゃりとゆがんだ。
「そんな顔、させたくなかったのに」
吐くような声だった。痛みをこらえるように、目が揺れている。
それが見えた瞬間、ずきりと胸がうずいた。心臓がわななくようで煩い。
オレも、そんな顔して欲しくないんだ。レイ。
「ツナ、今までたくさん無理させてごめんなさい」
息を呑んだ。
レイは堰を切ったように喋り出す。子どもがしゃくり上げているみたいだった。
「今まで、俺をたくさん守ってくれてありがとう。俺が望むものをくれようとしてくれてありがとう」
拍動が痛い。どくどくと、全身の血管が熱くなる。
嫌な予感が、つま先から這い上がってきた。もしかして、レイは。
「ツナは本当の親みたいだった。俺の事をずっと考えてくれて、そのためなら自分の気持ちも無視して」
「レイ……」
「本当にごめんなさい。だから、」
彼は、本当にここから出て行こうと、
「だから、もう無理しないで。ツナがやりたいように、ツナの思うままにやって」
「……え?」
目が合う。ぽかん、と口を開ける自分の前で、レイは真剣そのものだった。
……ん?
「あれ、……今、俺は別れを切りだされるのかと」
「え?」
きょとん。一瞬呆けたレイが、ぎょっとしたように目を見開いた。
「な、なんで?違うって。俺はそんなつもり毛頭ないよ」
「え、あ、なんだ、良かったぁ……」
全身から力が抜ける。
「ツナが出てけって言ったって、俺はボンゴレにしがみついて離れないよ。一生、『犬』として尻尾を振り続けるからね」
良い笑顔で言い放たれる。それもそれでどうなんだ。
「ただ、ツナのやりたいようにやればいいよって伝えたくて」
そういえば、そんなことさっきも言ってたな。安堵した瞬間、言葉が脳に届く。
それから、その発言の内容に気が付いた。
「……ん?」
「ツナの思うままに動いてよ。俺は、もう無理して欲しくない」
数秒固まる。そこへ、とどめを刺すようにレイの追い打ち。
ちょっと待て。気疲れした脳内に沁み込む言葉が、理性をぐらつかせてくる。
「……レイ、それどういう意味で言ってる?」
「?どうもこうも、言葉のまんまだけど」
レイが首を傾ける。意味がわからない、という顔だ。
「ほぉん」
我ながら、ずいぶん平坦な声だった。
頬をはさむ両手首へ、気配ゼロで手を伸ばす。
「まあ、レイは深い意味なく言ってるんだろうけど」
「ッ?!」
一気に形勢逆転。レイの肩を引き寄せたまま、額を合わせる。
ほぼキスできる近さだ。目を白黒させるレイ。あー、可愛いなぁ。
「じゃあ、これからこういう感じでいくね?」
「えっ待って待って待ってツナっ、あっちょっどこ触っおいッ!!」
数分後、炎で半壊した部屋から、「もう俺ボンゴレやめてやるからな!!絶対に!!」とレイは半泣きで飛び出していった。