軽やかに回るドアノブ。音もなく現れる侵入者。
自室を堂々とアポ無し訪問されたのは、初の経験だ。
「……お前、ノックって知ってるか?」
「何、鍵もかけずにノックしなきゃヤバイことでもやってんの?」
「一般常識の話をしてんだよ」
一で返せば十返ってくる。それがレイだ。
ため息をつき、悠々と歩く男を手招きする。自分が座るイスとは、別のソファへ。
「何しに来た?」
単刀直入。こいつが危うく大参事手前だったのは知っている。
だが、そこをつつく気は無い。
「お茶とか出ないの?」
真顔の要求。
イスから転げ落ちるかと思った。会話ってなんだ。コミュニケーションを取れよ。
「用があるから来たんだろ、お前は」
「まあね」
「ならさっさと用を済ませろ。お茶出しなんていらねぇだろ」
「大人同士の訪問って、お茶とかお菓子で段階踏むのが一般常識じゃない?」
一番、常識を説かれたくない奴に言われる。屁理屈屋め。
「まあいいや。獄寺も忙しいだろうし、さくっと済ませる」
「絶妙に上から目線なんだよな」
お前より4歳年上だぞ、こっちは。
一応、念押しする。レイは肩をすくめてざっぱに流した。何て奴だ。
吹っ切れたのはいい事だが、だからって何でも許してもらえると思うなよ。
「ごめんね、獄寺」
一瞬、何と言われたかわからなかった。
「は……」
「骸と違って、お前には迷惑かけた罪悪感あるから。謝っておきたくて」
思わず、レイの顔を見つめる。
整った鼻筋。凛とこちらを見据えるその瞳は、どこか芯が出来たように見えた。
「何、その顔」
「いや、……お前にも、謝罪とかできたんだなって」
「しなきゃよかったと今思ったよ」
「てっめ」
レイの鼻へ指を伸ばす。サッと避けた相手は、清々しいほど綺麗に笑った。子どもが楽しければ笑うように、自然に。
不思議な気持ちだと思った。
いつか、この青年の喉元を握り潰す日は来るのだろうか。
性を象徴するように出っぱった喉仏。この両手で押し潰せば、きっとこいつはもがきながらも受け入れる。死がレイにとっての救いであり続ける限りは。
『きっと、お前だよ。俺を唯一殺してくれるのは』
いつか、レイが忘れる日は来るのだろうか。
『俺を殺してくれない?』と、こちらの喉を絞めるような目で懇願した己自身を。
「獄寺?」
いぶかしげな声。眉間を突かれるようなそれに、目線を合わせる。
頬杖をついたレイが、顎を上げた。女王が臣下を見るみたく、ナチュラルに見下す角度だ。
「……んだよ」
「別に。なんか俺の背後に焦点合わせてるから、何か見えてんのかと」
「UMAは興味あるけどユーレイは範囲外だ」
「ジャパニーズホラーとか見ない人?けっこう面白いのに」
「意外だな。ホラー好きなのか、お前」
「うん。骸に比べるとあんま迫力ないな、とか思って見てる」
「どういう楽しみ方だよ」
馬鹿だな。哲学を語るように大真面目な顔へ向かって、顎をくすぐってやる。
今度は拒まれなかった。猫が撫でられるのを気紛れに許すみたく、レイは目を細めて受け入れる。
彼の喉に手をかけて、全てを終わりにしてやりたい。
その本望は、おそらく消えはしない。
このきれいで脆くて愚かで愛しい馬鹿な人間が唯一、縋る相手が自分であるまで。
おかしなことだ。
雲雀のように支えとされているわけでも、骸のように期待を寄せられもせず、ただ殺してくれる相手という認識を受けているにすぎないのに。
それが自分自身だけであるという事実は、蜜を飲み込むような心地がした。
「……レイ。幸せになれよ」
「は?ホラーで幸せになるのは難しくない?」
わざとか本気か、とんちんかんな言葉で首をかしげられる。それには答えず、ただ指先を滑らせた。
綺麗な人間だ。喉元までよくできた彫刻じみていて、けれど圧迫すれば確かな鼓動を感じる。
「いやになったら、オレんとこに来い」
凪いだ海に似た目が、少しだけ緩む。ゆるり、温度を上げるように。
両手ですくいあげる格好のまま、レイの首元を包み込んだ。祝福のキスを贈るみたく。
「待ってる」
両頬の代わりに、その喉元に両手を添えて。
幸せになるということは、レイが今日この日を忘れるのと同意義だ。
こいつは、自分以外の誰かに導かれ、そいつを救いとするのだろう。それが10代目なのか雲雀なのか、骸となるかは知らないが。
そして、自分もその未来を望んでいる。
「……獄寺」
「なんだよ」
「ありがとう」
重ねられた手は暖かかった。
目を閉じたレイの顔を、焼き付けるようにただ眺める。
確かに望んでいるのだ。レイが自分を必要としなくなる幸せな未来を。
その一方で、彼が全てを見限って、自分に死を請う時を切に願ってもいる。
その瞬間はきっと、とてつもない幸福感だろう。
「……幸せになれよ」
だから、最後の言葉に祈りを込めた。
どうか、そんな日が来ませんように、と。
「へんな獄寺」
ふにゃり。
泣き笑いみたく綺麗に笑うこの男が、どうか今日この日を忘れてしまいますように、と。