43,終わりなきディレンマ

 軽やかに回るドアノブ。音もなく現れる侵入者。
 自室を堂々とアポ無し訪問されたのは、初の経験だ。

「……お前、ノックって知ってるか?」
「何、鍵もかけずにノックしなきゃヤバイことでもやってんの?」
「一般常識の話をしてんだよ」

 一で返せば十返ってくる。それがレイだ。
 ため息をつき、悠々と歩く男を手招きする。自分が座るイスとは、別のソファへ。

「何しに来た?」
 単刀直入。こいつが危うく大参事手前だったのは知っている。
 だが、そこをつつく気は無い。
「お茶とか出ないの?」
 真顔の要求。
 イスから転げ落ちるかと思った。会話ってなんだ。コミュニケーションを取れよ。

「用があるから来たんだろ、お前は」
「まあね」
「ならさっさと用を済ませろ。お茶出しなんていらねぇだろ」
「大人同士の訪問って、お茶とかお菓子で段階踏むのが一般常識じゃない?」

 一番、常識を説かれたくない奴に言われる。屁理屈屋め。

「まあいいや。獄寺も忙しいだろうし、さくっと済ませる」
「絶妙に上から目線なんだよな」

 お前より4歳年上だぞ、こっちは。
 一応、念押しする。レイは肩をすくめてざっぱに流した。何て奴だ。
 吹っ切れたのはいい事だが、だからって何でも許してもらえると思うなよ。

「ごめんね、獄寺」

 一瞬、何と言われたかわからなかった。

「は……」
「骸と違って、お前には迷惑かけた罪悪感あるから。謝っておきたくて」

 思わず、レイの顔を見つめる。
 整った鼻筋。凛とこちらを見据えるその瞳は、どこか芯が出来たように見えた。

「何、その顔」
「いや、……お前にも、謝罪とかできたんだなって」
「しなきゃよかったと今思ったよ」
「てっめ」

 レイの鼻へ指を伸ばす。サッと避けた相手は、清々しいほど綺麗に笑った。子どもが楽しければ笑うように、自然に。



 不思議な気持ちだと思った。
 いつか、この青年の喉元を握り潰す日は来るのだろうか。
 性を象徴するように出っぱった喉仏。この両手で押し潰せば、きっとこいつはもがきながらも受け入れる。死がレイにとっての救いであり続ける限りは。

『きっと、お前だよ。俺を唯一殺してくれるのは』

 いつか、レイが忘れる日は来るのだろうか。 
 『俺を殺してくれない?』と、こちらの喉を絞めるような目で懇願した己自身を。

 

「獄寺?」

 いぶかしげな声。眉間を突かれるようなそれに、目線を合わせる。
 頬杖をついたレイが、顎を上げた。女王が臣下を見るみたく、ナチュラルに見下す角度だ。

「……んだよ」
「別に。なんか俺の背後に焦点合わせてるから、何か見えてんのかと」
「UMAは興味あるけどユーレイは範囲外だ」
「ジャパニーズホラーとか見ない人?けっこう面白いのに」
「意外だな。ホラー好きなのか、お前」
「うん。骸に比べるとあんま迫力ないな、とか思って見てる」
「どういう楽しみ方だよ」

 馬鹿だな。哲学を語るように大真面目な顔へ向かって、顎をくすぐってやる。
 今度は拒まれなかった。猫が撫でられるのを気紛れに許すみたく、レイは目を細めて受け入れる。


 彼の喉に手をかけて、全てを終わりにしてやりたい。

 その本望は、おそらく消えはしない。
 このきれいで脆くて愚かで愛しい馬鹿な人間が唯一、縋る相手が自分であるまで。

 おかしなことだ。
 雲雀のように支えとされているわけでも、骸のように期待を寄せられもせず、ただ殺してくれる相手という認識を受けているにすぎないのに。
 それが自分自身だけであるという事実は、蜜を飲み込むような心地がした。


「……レイ。幸せになれよ」
「は?ホラーで幸せになるのは難しくない?」

 わざとか本気か、とんちんかんな言葉で首をかしげられる。それには答えず、ただ指先を滑らせた。
 綺麗な人間だ。喉元までよくできた彫刻じみていて、けれど圧迫すれば確かな鼓動を感じる。

「いやになったら、オレんとこに来い」

 凪いだ海に似た目が、少しだけ緩む。ゆるり、温度を上げるように。
 両手ですくいあげる格好のまま、レイの首元を包み込んだ。祝福のキスを贈るみたく。 


「待ってる」


 両頬の代わりに、その喉元に両手を添えて。
 

 幸せになるということは、レイが今日この日を忘れるのと同意義だ。
 こいつは、自分以外の誰かに導かれ、そいつを救いとするのだろう。それが10代目なのか雲雀なのか、骸となるかは知らないが。
 そして、自分もその未来を望んでいる。

「……獄寺」
「なんだよ」
「ありがとう」

 重ねられた手は暖かかった。
 目を閉じたレイの顔を、焼き付けるようにただ眺める。

 確かに望んでいるのだ。レイが自分を必要としなくなる幸せな未来を。
 その一方で、彼が全てを見限って、自分に死を請う時を切に願ってもいる。
 その瞬間はきっと、とてつもない幸福感だろう。

「……幸せになれよ」

 だから、最後の言葉に祈りを込めた。
 どうか、そんな日が来ませんように、と。

「へんな獄寺」

 ふにゃり。
 泣き笑いみたく綺麗に笑うこの男が、どうか今日この日を忘れてしまいますように、と。

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