5,Good-bye, dear..


 抱くとか抱かれるとか押し倒すとか組み敷くとか、どうしたってこの少年は面倒だった。上でも下でも複数人でも特殊紛いでも。始めにそう言っていたのは嘘じゃなかったのだ。
 本当に、この少年は何でもこなす。

「雲雀!」
 背後から叫ぶような声。イライラして、無視した。
 廊下を大股で歩きながら、モグラみたいに後ろから近付く足音に、聞こえないフリを徹底する。

「ちょっ、なんで無視するの」

 真後ろ。
 ため息をついた。次の動作が即予想されて、仕方なしに振り返る。
 中途半端に上げられた右手、機嫌を窺うように見上げてくる遠慮がちな目つき、そのクセ相手を非難するみたく曲げられた唇。袖を引っ張る寸前で凍らされたような格好で、少年はこちらを見つめていた。
 態度と表情がちぐはぐなのは、それがかわいく見えると知っているからだ。自分の見た目と仕草が他人の心にどんな影響をもたらすか、この天使みたいな容姿の小悪魔はよくよく理解している。
 顔色を窺うと見せかけて不服そうな口元。まるでおもちゃをねだる子供のようだ。実際、彼はそこらの大人よりよっぽど賢くタチが悪いのだけれど。
 ずる賢いのだ。あと手癖が悪い。

「僕は忙しいんだ」
「袖くらいひかせてよ」

 すねたような物言い。ぐらっと揺れる心に、大きく息を吸って抑え込む。

「いつでも誰のでも引けるだろ。君は」
「引く手数多だからね」
「上手いこと言ったとか思ってる?今」

 ドヤ、みたいな顔をされた。腰に両手を当て、得意げに胸を張るヴィーを見下ろす。
 この仕草は計算か、それとも素なのか。自分を判断にてこずらせるあたり、やはりこの少年はただ者じゃない。骸なんかは骨抜きにされてるらしいが。
「で、雲雀」
「……なに」
 聞きたくなかったが、しぶしぶ口を開いた。いくら相手が小悪魔みたいな中身とはいえ、自分よりはるか年下の子供から逃げ回るだけなど、自分の矜持が許さない。
 たとえ、相手の言う事が明日の天気並みにわかりきっているとしても。

「俺の事、抱いてよ」

 今日の晩御飯はハンバーグにしてよ。みたいな軽さで、さらっと小悪魔が言い切った。


 雲雀は好まない。無駄な接触も繋がりも。
 的確だという射撃の腕前や、時おり垣間見る戦闘意欲に満ちた眼差しにならまだしも、その細い腕をつかんで組み敷こうだとか、衣服を引きはがして押し倒そうだとか、そういった激情とは縁遠い。
 そう思っていた。宙から降ってきた少年を廊下で受け止めた、あの瞬間からいくばくかは。


「いやだ」
 もう幾度となく繰り返した答えを、そっけなく提示する。ヴィーは憮然とした顔で唇を尖らせた。
「なんで?俺、魅力ない?」
 息を吐く。廊下の窓ガラスから射し込む日光が、不意に陰った。雲雀の内心を代弁するように。
「そう思うなら精進することだね」
「嘘だ」
 見つめ返す。わずかな距離を置き、自分をまっすぐ見上げる少年を。
 くいっと顎を上げ、まだ15年しか生きていない男が目を細めた。気高い精霊のように。
 頭ひとつ分は下に顔があるのに、なぜかこちらが見下ろされているような気分になる。王女みたいな風格だ。他者がこうべを垂れて跪かせたくなるような雰囲気を、時折、彼は滲ませる。
 上でも下でも。かつて、相手が言った言葉を思い出す。実際、こなせるのだろう。人生経験というより、元からの気質だ。どういう形であれ、ヴィーには惹きつける要素がある。

「俺に欲情しない人間はいない」

 きっぱり言ってくれる。雲雀は片頬を緩めて笑った。
「自信満々だね」
「真実だ」
「自己肯定が高くて結構だけど、僕は君を抱かない」
 ヴィーが首を傾けた。時計の読み方が急にわからなくなったみたいな顔だ。
「別に抱く方でもかまわないよ?」
「僕がかまう」
 即答した。ますます、相手が混乱した顔になる。
 譲歩してるのに、みたいな不満顔をされても困る。雲雀には雲雀の思惑があるという、根本的な部分をこの少年はさっぱり理解していない気がした。それなりに成長した人間なら誰でも自分を抱きたがるものだと、そういう前提が自分の中で確立しているのだろう。傲慢だ。
 哀しい傲慢さだ。プライドを持つところが、大きくずれている。
 だから、嫌なのだ。雲雀は。

「何度訊ねられても、僕は君を抱かないよ。ヴィー」
「……どうして」
「いい加減、君は理解した方がいい」

 背を向ける。後ろ、ぽつりと疑問を口にした少年から、離れるために歩き出した。
 初めて出会ったあの日に、いっそ、咬み殺しておけばよかったのかもしれない。二度と目覚めないように。
 そうすれば、ボンゴレの誰も惹きつけずに終わっただろう。自分自身も。

「君の体は、そんなことのために使うものじゃないだろ」

 もう、後ろから追いかける足音は聞こえなかった。気配すら遠い。
 突き放すことで示す愛情もあるのだと、馬鹿みたいな事をひとり思った。

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