・白蘭×下っ端隊員(スナイパー)
「今日もよく生き残ったね〜」
褒めたつもりでそう言った。更地と化した元廃墟の片隅、ひとり残っていた部下へ。
ぱちり。自分を見上げた瞳が、二度瞬きする。大きく。
「……なんで死ななかったの、」
「ん?」
「っていう遠回しな皮肉ですか?」
「違うよ」
真顔で返される。なんて子だ。
「そこまで性格悪くないって、僕」
「ウッソだぁ」
ノリ気な女子高生みたく返される。やはり、真顔で。
なんかインプットされてんのかな。表情に出さず、白蘭は見下ろした。
「我が偉大なるボスはマシュマロ掴むみたいに人の頭を握り潰すって聞きましたよ、俺」
「僕の握力ヤバくない?」
小柄な体躯。かろうじて身長を下回る長躯の狙撃銃。表情筋を凍らされたみたいな無の表情と、それに反してやたら軽薄に回る口。
顔は小綺麗なんだけどなあ。じっくり観察しながら、白蘭はそう結論付けた。
「ボスのお力なら容易いもんでしょう、そのくらい」
じっ、と。自分を見上げる大きな目。
射抜くような眼差しに、ちょっとだけ苦笑した。こちらの手の内を知っている人間の眼差しだ。警戒と畏怖、それから。
「……葵チャン」
「はあい」
「君って、変わってるねぇ。ウワサ通り」
警戒と畏怖、それから、それらを覆い隠すほどの無気力さ。
彼の目を満たしていたのは、端的に言えば「どうでもいい」という投げやりな感情だった。
声をかけたのは初だ。
白蘭直々に率いる第一部隊。匣兵器を用いる最強部隊は別にいるが、彼らは秘密裏だからそれはまた別。つまり、「人間の」部隊。
その端に常にいるのが、この真顔がデフォの部下だった。
スナイパーとしては一流どころか天賦の才。ちょっと変わってるけど。
アイツ、1500フィート先から頭を撃ち抜くんですよ。ラリってるか人間じゃないかどっちかでしょうね。
風さえ常に味方する。二脚をセットした瞬間に、そこが奴の戦場です。イカれてる。
「……って言うのが君の批評だけど、どう?」
「いや、特に……。1500は盛ってますしね。あと風使いはウケる」
「腹立ててもいいんだよ?」
「腹立てて欲しいんすか?お望みならコイツを空にぶっぱなして暴れ踊りますけど」
「それは腹立ててるんじゃなくて気が狂ってんじゃん」
淡々と軽口を叩かれる。歌でも口ずさむように。
ああ、なるほどね。確信を得る。彼の、「もうひとつの噂」の真偽について。
「っていうか、僕が望めば君は乱射も腹踊りもしてくれるってこと?」
「アレッいつの間にか俺のへそが露出の危機に」
「どうでもよさそうだもんね。何もかも」
笑いかけた。意図した微笑みで、彼の目をのぞきこむように。
視線が重なる。一秒、相手の目の奥が揺れて、それから伏せられた。
何かを諦める人間の仕草だ。適当に摘み取った花を棄てるような、実にあっさりとした。
「ね、葵チャン。死にたがりってほんと?」
初めて、相手は笑った。
「よくセンパイに叱責されるんすよ。危ないことすんなって」
「お子ちゃまじゃん。うける」
「ウケないっすよ。ほっといてやれってボスから命令しといてくれません?」
本来、スナイパーは怪我とは無縁だ。死ぬか生き残るかの二択だから。
見つかった瞬間がイコール死を意味する。いつの時代も狙撃手は真っ先に狙われるし、そして、近距離戦においてこれほど無能な兵は他にいない。
「う〜ん……でも優秀なスナイパーが死んじゃったら、僕としても残念だし」
「言い方言い方」
建前だけでも死んじゃダメだよとか言ってくださいよ。
呆れ顔で言う彼は、さっきよりも打ち解けたように見えた。
「隊の損失って言ってあげてるんだよ?これ以上の称賛はないでしょ〜」
「やっべぇ、ボスの倫理観が予想以上にメチャクチャで元気出てきた」
「僕をなんだと思ってるの?」
「キレーな顔してやべーこと言う人」
「見た目イコール中身なんて、アイドルの幻視か信者の偶像崇拝じゃん。僕は天使みたいな顔してても中身はイチ人間だよ。多分」
「待って待って、1回の発言でつっこみどころを5つ以上もってくんのやめて」
うける〜と片手で膝を叩かれた。拍手のつもりだろうか。
「戦闘終わったのにココ残ってんのも、やっぱ死にたいから?」
「う〜ん?」
ぐるん。大きな黒目が、朝食を思い出すように上を向く。
「いや……最近はもう、逆に『死ぬのなんていつでもできるしな』って気分になってきて」
「新しいタイプの悟り」
「まあ実際……死ぬのなんていつでもできますし」
「究極に後ろ向きなポジティブ」
自分でも何を言っているかいまいちわからなくなってきた。
白蘭にしては珍しいケースである。
「ていうか、死ぬのはオッケーなんだ」
「できれば楽に死にたいです。眠るように、安らかに。意識をゆっくりなくしていきたい。魔法みたく」
「わりとわがままで笑うんだけど」
「死に方くらい強欲にさせろ、って思いません?」
「死んだら一緒だから何でもよくない?」
「よくないっスよ。なんで死ぬ間際まで地獄を見なきゃいけないんですか」
笑った。今度こそ、声を出して。
死ぬ間際まで、ね。逆説的に「今も地獄」だと発言した彼を、横目で見下ろす。
「……葵チャンって、ホント面白いよねぇ」
「まじですか?生涯初の褒め言葉ですわ」
「褒めてないよ?」
「まさかの誤認識」
血の掠った痕の残る頬。くまがデフォルトの目元に、覇気の無い瞳。
生き人形みたく虚ろに見えるのに、なぜか彼には惹かれてしまう。足跡を追うように、目が彼の姿を探すのだ。常に。
「こんなにがらんどうなのに、銃ぶっぱなしてる時だけ輝いて見えるんだもん」
「どーいう意味っすか隊長」
「だからかなぁ、葵チャンのこと手元に置いちゃうの」
「ゲッ。俺がいっつもあんたの第一部隊に配属されるのって、隊長ご本人の趣味だったんスか」
「趣味ってなに」
というか、そんな盛大にしかめっ面をしなくても。仮にも一応、所属ファミリーのボスの前で。
失礼な奴、って消される可能性は考えないのかな。銃床を地面に当て、銃口で顎を支える男の首を見る。
薄そうな肌。匣なんて使わずとも、ナイフ一閃で頸動脈から血が噴き出して死ぬだろう。
「てっきり『お前みたいな下っ端は万一の時、白蘭様を庇って死ね』っていう先輩の見えない圧に基づく配置だと思ってました」
「え〜捨て駒扱いじゃん」
「なに手叩いて笑ってるんスか。俺みたいな新入りがこんな美味しいポジション与えられるなんて、どう考えてもそのくらいしかないでしょ」
「良かったねぇ、僕のワガママってわかって」
「余計嫌だわ、死に甲斐が無くて」
ずけずけ言う口。可愛くないそれをもっと間近で観察したくなって、遂に白蘭は膝を折った。
隣に座り込んだ自分を見、葵がワンテンポ遅れて振り返る。ぎょっとした顔で。
「うわッ何すか」
「なに死ねる気でいんの?」
「は?」
「死なせないよ。こんな面白い観察対象」
指を伸ばす。埃を取るように頬をなぞれば、隊服に包まれた肩がびくっと跳ねた。
「……観察対象て。俺はペットですか?」
「捨て駒扱いより格段にマシじゃない?」
「でもそれって、隊長がやっぱこーろそって思ったら死ぬ奴じゃん」
「ふふ。まあね」
おかしな節をつけて、あけすけに彼は言い放つ。
ずいぶんあっけらかんとしたものだ。嫌がる猫のように身を引かれて、するり。肌から指先が離れる。
どうやら、頬に触れられる方が気になるらしい。明日の生き死にもわからない己の立場より。
「やだ?」
「ヤッターウレシーとか言ったらやべー奴でしょ、俺」
「でも泣いたり抵抗したりしないじゃん。もっと嫌がってもいいんだよ?」
「言い方言い方」
完全に悪役のセリフっすからね、それ。呆れた目と虚ろに光る銃身。
「大体、言ったじゃないっすか。俺はいつ死んでもいいんですよ、嫌な死に方じゃなければ」
「つまり?」
「つまり、」
よいしょ。年齢に見合わぬ掛け声で立ち上がり、葵がこちらを見た。
「隊長の側にいるのも、やぶさかではないってことです」
真一文字の唇。その端っこが、ほんの少し。
一瞬だけ、空気がぶれるように緩んだのを、確かに見た。
「……うわぁ。何それ、もしかしてプロポーズ?」
「はあ?」
「困ったなあ。同性の部下に好かれる経験とか無いんだけど……葵チャンなら、ボクもやぶさかではない!」
「脳幹ぶち抜いてやりたい……」
スナイパーライフルを背中に背負い、歩き出す彼を追う。その肩に手を回して、野良猫にかまうみたく笑いかけた。
「どう?ビッグファミリーのボス直々の申し出だよ?超優良物件だと思うんだけど」
「自分で言うあたりどうかと思いますわ〜倫理観の欠如を肌で感じる」
「望めばすぐに殺してあげるし!」
「こんな物騒な口説き文句があるかよ」
やれやれ、みたいな口ぶり。その顎をくすぐれば、嫌そうに眉が寄った。
それでも振り払われないということは、やはり。
「とか言って、けっこう僕に惹かれてるでしょ。葵チャン」
「え〜もう何その自意識っぷり、超生きやすそう」
全く、可愛くない言葉ばかり吐いて。
すくうように、顎下から口元を掴む。相手が目を見開くより早く、その小うるさい唇を強制的に塞いでやった。
「……っ?、は?!え、」
「わ〜真っ赤。カワイイ顔するじゃん」
朱に染まる顔。口元を押さえる相手に、心底愉快な気持ちでにっこり笑う。
「ちょっ、嘘でしょ……部下ってか下っ端の、年下の男にマジで手ぇ出すとか……一生の恥っすよ」
「自分で言うの悲しすぎない?」
別に、彼個人に思い入れはない。その心持ちは、おそらく今後一生変わらないだろう。
話が弾もうと思い付きでキスしようと、この部下が特別な立ち位置に動く事は無い。白蘭にとって彼は所詮、「ちょっと腕のいい普通の人間」にしかすぎないのだから。
「え〜初ちゅー?ねぇ初でしょ?」
「貞操観念もなきゃロマンもへったくれもねぇなオイ」
ただ、なんとなく気になった。
「怒った?僕のこと撃っちゃう?あっ死にたくなったりしてる?」
「煽り方まで雑ときましたか」
ボスにファーストキス奪われたくらいで死にたくなってたら、俺はとっくに死ねてますよ。
流れには身を任せます、みたいな顔で言い放たれる。取り繕ったそっけない言葉に、馬鹿だなあと内心で嗤った。
「つまり……もっかいしてもいいってことだよね?」
「はあ?!」
思考回路どーなってんすか、と腹から叫ぶ葵の唇を塞ぐ。
興味が湧いた。端的に言うと、それだった。気候にも戦場にも二度のキスにも嫌悪を示さない、つまり生への意識が希薄な彼の性質に。
単純な好奇心と悪意に近い欲望。
ーーこの男が、心から死にたくないと懇願する様。それを、見てみたい。
これが、白蘭と葵の始まりだった。