およそエンジュシティの雰囲気には似つかわしくない、ジムの自動ドアを抜けて中に入る。ひんやりとした空気はソラの体温を徐々に奪っていくけれど、そう気にすることは無い。ゴーストタイプのポケモンの傍では良くあることだ。それよりも気になるのは不自然な程の静けさ。入ってすぐの場所からじっと目を凝らすけれど、イタコさんの一人も見当たらない。
「あのう、 マツバさんは居ますか」
彼女にしては少し大きめの声は空虚な空間にこだましたが、しかし返事が返ってくることは無かった。ジム自体は開いているから中に人は居る筈なのだけれど、不気味な位に人気が感じられない。一瞬、引き返そうかとも思ったけれど、ソラはその考えを振り切った。何回も入口に戻されながらも漸く奥の開けた場所に辿り着いた。
「誰か、居ませんか」
大声で叫んでみるも、返事は無かった。観念して帰ろうと思うと、急に背筋が凍りつくような感覚がした。さっきまで全く感じなかったのに。後ろに、誰かが居る。
「僕はここだよ」
後ろに居たのはマツバだった。丁度来た道を塞ぐようにしてソラの背後に立っている。彼女はパニックと恐怖で後ろを振り向くことも、動くことも出来ず震えているだけだったが、マツバは特に気に掛ける様子も無く彼女に話し掛けた。
「ところで、何しに来たんだい?」
「あ……えっと、マツバさんに、謝りに来ました」
彼女は声を震わせ、何か罪を告白するかのようなか細い声音でマツバの質問に答えた。
「もしかして、ホウオウのことかい?」
「はい」
「ああ、別に気にしなくて良いよ。勿論、君が選ばれたと知った時には呪い殺してやりたいくらい君のことを怨んだんだけどさ」
あくまでも明るい声音を保ちながらマツバは続けた。けれど、その発言の衝撃的な単語に彼女はより恐怖を募らせた。マツバも彼女が怖がると分かっていながら敢えて言っているのだろう。
「ごめんなさい」
その言葉にマツバは薄く憫笑を浮かべる。先程からマツバの方に振り向かない彼女には当然、彼のこの表情が見えることは無い。
「良いんだ。何もかも僕の努力不足のせいだからね。」
マツバから悲痛な感情を読み取った彼女はもう何も言えずにただ俯いている。自分がしたことへの後悔の念に苛まれ、何かを考えることすら出来なくなっていた。
「それに、ホウオウよりもっと魅力的なものを見つけてしまったんだ」
何故かその言葉からは嫌な予感がした。マツバの恍惚とした声音の対象が何に向けられているのか、彼女には何となく分かってしまった。
「君だよ、ソラ」
この人は、おかしい。そう思って逃げようにも力が入らなかった。どうしても自分の意思で身体が動いてはくれない。マツバはそんな彼女に追い打ちを掛けるように後ろから彼女に手を回した。
「マツバさん、離して」
「僕から逃げる気なのかい。無駄だよ」
だんだんと身体が重くなっていく。ソラは目の端にゲンガーを捉え、やっと理解した。ずっと生気を吸い取られていたらしい。バランスを崩しかけた彼女をマツバは支えた。
「僕も強引に君を手に入れたい訳じゃない。けれど、寂しかったんだ。生きがいだったホウオウも居なくなって、僕には何も残っていない。」
マツバは先程までとは違う、哀しみを帯びた声音で呟いた。仄暗い罪悪感が彼女を苛む。思考すら奪われかけていた彼女は、だからこそこの要求を受け入れてしまった。
「良いですよ。マツバさんが満足するまで、傍に居ます」
マツバはこの言葉を聞いて満足そうな笑みを浮かべたが、すぐに回していた手の力を強め、ありがとう、と泣きそうな声で何度も繰り返した。
この時から、彼女はマツバに心を許してしまった。そんな彼女の心をマツバが奪うのにそう時間は掛からなかった。マツバは信じやすい彼女の心を利用して、ソラを手に入れた。これまでのマツバの言葉は全て、彼女を上手く手に入れるための演技だったというのに。
「私も、マツバさんが好きですよ」
それでも、何も知らない彼女は幸せだった。
2019.01.30