#1

「今日から英語を担当する、みょうじなまえです。」

教卓からにこりと微笑んだ若い女性教師に、教室中が色めき立つ。

「先生、カレシいる!?」
「好きな食べ物は何ですか?」
「何歳!?」

口々に質問を投げ掛けられ、困ったように眉を下げたなまえの後ろから、白髪の数学教師がギロリと睨み付けた。

「お前らァ‥早速迷惑かけてんじゃねェ‥飛びてェのかァ」
「どこを!?」
「勿論空だァ」

ここは3階。開け放たれた窓から爽やかな風が吹き込み、身を乗り出した生徒達は音も立てず着席する。


「前任の先生から引き継いで、このまま副担任も務めさせてもらいます。宜しくね。」

再び微笑むと、男子生徒達が無言でガッツポーズをするのが見えた。それはもう盛大に。


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「へー、学校決まって良かったじゃん」

ソファにどかりと座った彼は、ビール片手にテレビから目を離さない。


「うん、新年度始まって間もないし‥頑張って生徒達と信頼関係築かなきゃ」
食後のテーブルを拭きながら、なまえはチラリと恋人を見る。

もう何ヵ月になるだろう。この冷めきった関係を惰性で続けるのは。


ガタガタと、何やらスマホを見ながら立ち上がる彼が視界を横切り。
「ごめん、なまえ。急に召集されたから帰らなきゃ。また奥さんの愚痴かも!」
慌ただしく玄関へ向かう後ろ姿を見つめ、うん、またね!‥と、笑顔を作る。

バタン、と玄関の扉が閉まり‥なまえはため息をついた。






「来てくれて本当に助かったよ、宜しくね、なまえ」

初めてくぐったキメツ学園の門。出迎えてくれた理事長は意外にも若く、初対面であるにも関わらず‥何故か酷く惹き付けられる人物だった。

(何だろう、ふわふわする‥)


4月も始まったばかりのタイミング。この学園の英語教師が実家の都合とやらで田舎へ帰る事となり、代わりに赴任してきたのがなまえだ。

産屋敷の安らぐ声に案内され、職員室で挨拶する。指定されたデスクに鞄を置くと、右隣の男性教師がぺこりと頭を下げた。

「宜しくお願いします」
「音楽教師の響凱だ、宜しく‥」

言い終わりに鼓をポンと打たれ、なまえは肩が揺れた。個性派!

「今日は宇髄は不在だからなァ、顔見せは俺と行くぞォ」
なまえの左隣を見ながら、正面席の教師が不死川だ、と名乗る。

‥確か、副担任を務めるクラスの担任は宇髄といった。隣の席らしい、これは心強い。


‥‥‥そして、冒頭に戻る。


「ありがとうございました、不死川先生」
教室を後にし、仏頂面の数学教師と廊下を歩く。

「おぅ。セクハラされそうになったら言えよなァ」
横目でこちらを見下ろす教師に苦笑する。先ほどの生徒達の事だろう。高校生なのだ、若い女性教師に興味があるのは自然な事だと、なまえは心得ている。


ガラリと自席の椅子を引き、腰掛けると‥なまえはふぅと一息ついた。明日から本格的に授業だ、授業内容を見直そう‥などと考え、デスクを開ける。

(あ、メッセージ来てる‥)
ポップアップがスマホ画面の真ん中に出てくるものだから。
特に何も考えず、アプリを立ち上げる。

(うぅわ)
"何で連絡返さないの?今どこ?"
‥などと言う内容のメッセージと着歴が、大量に来ていた。‥彼氏から。

はぁ、とため息をつき、そっと画面を暗転させる。今日からだと、昨夜言ったではないか。最近はいつもこうだ。会っている間は会話らしい会話はなく、内容も聞き流し‥離れていると、追い詰めてくる。

(何をしたいんだろう)

別れを告げようと、何回か試みてはいる。だがそれを言おうとする時の‥彼の表情が、怖いのだ。まるで、別人のように。
それこそ、浮気でも何でもしてくれたらこちらに大義名分があるのに。‥そうしたら、気兼ねなく別れを告げるのに。

決定打の無い延長戦が、もう半年以上続いている。






「宇髄!早いな!」
爽やかな朝日を浴びて煌めく焔色に目を細め、宇髄は車のロックキーを押した。

「おぅ」
新任に色々引き継がなきゃならねんだよ、‥と、あくびを噛み殺しながら駐車場を歩く。


グラウンドの方からは部活の朝練らしき掛け声が聞こえる。いつもより軽く1時間は早い。

「‥で、どんな奴だった?オッサン?」
「俺もまだ会えていない!‥だが宇髄のクラスの生徒が、窓から投げられそうになったと騒いでいた!」
「ウソだろゴリラかよ」

しかも初日からどんだけ狂暴なんだよ、扱い辛ェよ‥‥と、宇髄は鬱になった。


「おはよう!」
ガラリと勢い良く職員室の扉を開ける煉獄に続き、室内に足を踏み入れる。まだ時間が早いせいか、殆ど人がいない。朝練に顔を出しているであろう、冨岡のPCがスリープになっているのを横目に、奥の自席に向かうと。


「マジか‥‥アガるわ!!」
‥自席の隣を見て、思わず声が出た。


「え!?‥あ、宇髄先生、はじめまして!」
PCとにらめっこしていたなまえは、慌てて立ち上がる。

「みょうじ先生か!煉獄だ、宜しく頼む!」
にこにこと駆け寄ってきた教師が挨拶するのを見ながら、宇髄は鞄をデスクの横にかけた。




職員室奥のソファ席に案内され、軽く自己紹介をする。まるでモデルのような美しい顔立ちと身長、派手な出で立ちに‥なまえは目を白黒させた。"美術教師"という肩書きから、勝手に寡黙な‥そう、響凱のような人物像を想像していたのだが。色々と予想の対極の人物であったため、脳が処理しきれない。


「‥こんなとこか。質問は?」

切れ長の二重の目元は、非常に美しく、それでいて少し取っつきにくい印象を与える。
‥だが話してみると、話し方こそやや雑な部分こそあれ、非常に話がうまく、説明や引き継ぎも聞き終わってみれば丁寧であった。

「ありません」
「‥んじゃ、俺から質問な」
「?」

引き継ぎ内容をPCにメモり、お礼を言って立ち上がろうとしたところ。

意外な言葉に少々面食らうが、なまえは大人しく再び腰を落ち着けた。

「受験生担当したことは?」
「ありません」

「受験の経験は‥そりゃあるよな」
「あります、高校大学としました」

「恋人は?」
「います。そろそろ別れ‥え?」

バシーン!
「いってェ!何しやがる!」

なまえが質問のおかしさに気付くのと、宇髄の背中に竹刀が打ち込まれたのは同時だった。

「セクハラだ‥」
こちらに視線も寄越さない冨岡の、クールな横顔が自席に戻っていく。

‥そうか、今はこういう質問もセクハラになるのか‥気を付けないと、と‥何故かなまえが気を引き締める。
それにしても別れたいところまでスラスラ出てきてしまうなんて、おかしいのは自分か、それとも宇髄か。

「‥とりあえず、連絡先教えてくれ。すぐ連絡つくやつ」

真顔でこちらを見る美しい顔は何とも色気が凄い。大人の色気が。
‥先程冨岡に怒っていた顔は、まるで中学生のそれだったのに。

「番号は、‥」
何だか不思議な人だ。トークアプリのQRコードを表示させながら、なまえはぼんやり考えた。

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