アンフォルメル

なまえは、宇髄が正直苦手だ。

初めて会ったのは、昨年の春。
教職課程の授業だった。彼は美術学部、なまえは音楽学部なので同じ大学の敷地にいても互いに知り合うことは無い。筈だった。

「うわっマジか!!」
ガシャーンと画材を撒き散らしてこちらを凝視する男に飛び上がるほど驚いた。
彫りが深く美しい顔、少し長めの明るい髪。
顔に似合わない彫刻のような逞しい腕に見上げてしまうほどの長身。一瞬で分かった。彼が、美術学部で有名な宇髄天元だと。

「あんた‥マジか!ド派手に可愛いなァ!付き合ってくれ!」
‥マジか。こっちがマジかだわ。

なまえは心の中で天を仰いだ。
場所は教室。授業前で大勢の生徒がいる。勿論全員こちらを見ている。
何だこの辱しめは。

キャーッと色めきと悲鳴が混ざった女子生徒の声と、オイふざけんな!という男子の怒声が聞こえた。

「‥とりあえず、座りましょう、ね?」
告白の答えは勿論NOなのだが、今何かしら言及するのは得策ではない。
彼は確か一学年上だったはず。一応敬語で彼を諭し、一番後ろの席に並んで着席した。

何故彼はあんなことを。宇髄と言えば、可愛い子に告白されては付き合い、すぐに振ってしまうという嫌な噂を聞いた事がある。軽薄というか、何というか‥。


教授が入ってきて、講義が始まる。意外な事に、宇髄の授業態度は非常に真面目だった。一言も喋らないし、こちらを見もしない。ので、講義が終わる頃には「からかわれたのかな?」などと思い始めていた。
が。
「なぁ、スマホ貸してくんね?」
講義が終わるやいなや、真顔で手の平を見せてくる。
不審に思いながらも、あ、スマホ忘れて何か調べたいのかな?なんて思った自分にビンタしたい。
ご丁寧にロック解除までして差し出したスマホを、彼は表情一つ変えずに操作し、「連絡先交換しといたから」等と言って返却してきた。
サイコパスかよ。

呆気に取られている間に宇髄は腰を上げると、
「じゃ、返事待ってるわ。あ、直接しか聞かねェから。またな」
ニヤリと口角を上げた彼は、まるで獲物を駆るかのような鋭い視線をなまえに突き刺し、何事もなかったかの如く去っていった。残されたなまえは、ぽかんと呆けてしばらく動けなかった。

次に会った時は、最初の出会いから一週間も経っていない。「今どこ?」とメッセージが来たのを、誤って既読にしてしまったのが運の尽きだった。
無視も心象が悪いので、今授業が無いので中庭で暇潰ししてます、と馬鹿正直に答えた。
来るなら来い。答えはNOだと、返り討ちにしてやるわ!

頭の中で背負い投げのイメトレをしていると、
「よォ」
と‥返信から5秒で実物が表れるものだから、ジュースを吹き出した。どんだけ近くにいたんだよ!

「返事くれると思ってなかったから、ビビったわ」
そういうと、隣のベンチにどかっと座る。
‥もしかして、既になまえを見つけてから連絡してきた?無視されたら、声をかけないつもりで?

ほうほう、意外と人の心を持ってるじゃないかと少し見直す。‥見直すも何も、例の噂に関してはそれほど信じてなかったけども。

「‥‥‥」
「‥‥‥」
座ってから宇髄は、一言も発さない。代わりに、なまえの顔をこれでもかというくらいに凝視してくる。文字通り、穴があくほどに。

「‥何でしょうか‥」
何ここ異空間過ぎる。なまえはたまらず声をかける。
宇髄はゆっくりと瞬きをすると。
頭をかいて、再びなまえに向き直った。

「‥や、ほんと可愛いわ、なまえ」
いや名前。
あと私が言うのも変だけど、可愛いと思ってる顔じゃ無いから。普通にこにこしたりするでしょう!何だその恐ろしいほどの真顔!


「あの、宇髄さん」
「天元な」
「‥天元さん」
「付き合ってくれ。俺マジだから。」
話聞けよ。

頭痛がしてきた。
‥目の前の男は、誰がどうみても正真正銘の美男子であり、恋人を探す必要性など微塵も感じられない。選り取り見取りだろう。
なまえも今まで、告白される事もあったし‥容姿がドンピシャだったのかもしれない。だが。

「お断りします。容姿が好みというだけで、私の事好きじゃないですよね?私も」
「好みとかじゃねェから。綺麗なの、お前。」
んーーー意味不明。
手強いぞこの人。
あんまり真っ直ぐな目で言ってくるから、少し照れてしまった。いやいや。

「骨格から肌から目の色から、造形が美しい。あと表情も憂いがあっていいんだよなァ」
ペラペラと、何を言っているのか。
ただなにか、彼がいう"可愛い"は俗世的な誉め言葉‥そこには下心も含め‥ではなく、純粋に美術的な観点から評価を下しているようにも見えた。付き合っての意味は分かんないけど。

‥‥‥"付き合って"か‥。噂では確か、告白されて可愛ければ誰でも付き合う→振るっていう‥‥なんだそれ!そんな嫌なルーティーンの一部に組み込まれたくないわ!


なまえだって、普通の大学生である。宇髄のような美男子に迫られて何も感じないかと言えば、嘘であった。それなりに緊張するし、ドキドキもする。でもそれとこれとは別だ。何より、彼が好きなのはなまえの外見だけであって、中身ではない。そんなもの、より好みの女性が現れればすぐに捨てられて終わりだ。だから何だそれ!こっわ!





その後、宇髄は何だかんだなまえを見つけては、可愛い、付き合ってくれと繰り返し迫り。

‥季節が2つ変わった頃、ついになまえが折れた。

「天元さん、デートしませんか?」
「え?」

もう挨拶代わりにフラれ続けていた宇髄は、珍しく目を見開いて固まった。

「‥いいのか?」
「デートだけですけどね」
「マジか、おっしゃ!」

色とりどりのネイルをした手をぐっと自身に引き寄せガッツポーズをする。
何で私なんだろう、本当に。

「ただし、行き先は私が決めますね」





当日は、どんよりとした曇り空だった。
大通りを抜け指定の場所へ着くと、時間前だが彼はもう来ていた。

若干派手だが、その長身とスタイルを余すことなく魅せつける彼は、センスも良い。何より、顔がいい。‥1人の女に執着する意味がいよいよ分からない。

「よォ」
見た目と言葉遣いからイメージする彼と、意外と真面目な性格のギャップがまた、なまえを悩ませる。無下に捨てられる可能性さえなければ、彼が本当に真摯になまえに向き合っているのならば。付き合ってみて、人となりを理解していく形もありだったとは思う。


「で、どこ行くんだ?なまえ」
当たり前のように名前を呼ばれるのももう諦めた。大学はまぁ、そういう文化あるし。

「ピアノのコンサートです!」
じゃーん。どや!興味無いだろ!
にっこり笑って発表する。
が。

「‥‥‥お前、笑うと、マジか」
「‥‥‥」
コンサートへのリアクションは?
真顔で口元を押さえた宇髄に内心、手強いな‥と舌打ちをする。


「行こうぜ!俺コンサート、初めてだわ!」
「‥‥‥」
今度はなまえが惚ける番だった。
ヒャッと笑ってニコニコと手を引くこの人、だあれ?


「おっ意外と派手なのな!」
席についてもご機嫌な宇髄に目が点になる。
この好青年、誰?
「もしかして、楽しんでます?」
恐る恐る聞く。はぁ、興味ねーよ、帰るわ。‥といったリアクションを期待していたのに。

「んなの当たり前だろ?お前が選んでくれたんだし」
「‥‥」
初めてだしアガるわー、と。
‥‥私は悪役か?





絶対寝ると思った。
まさか、終始真面目に耳を澄ませているとは。
‥横にいる宇髄が気になって気になって、なまえの方が楽しみにしていたコンサートを殆ど聞くことができなかった。

「な、俺あの曲良かったわ。雨だれ?」
「‥はい」
「なんかさ、魂入ってんのな。鳥肌立った」

‥なに?
なになになに?

なまえに取り入るためにわざと演じている?
いや、演技には見えない。

「なまえもピアノ弾けんだろ?今度見に行くわ、練習」
「‥はぁ、いいですけど‥」

‥終始彼のペースだった。
曇天の元、彼だけが色づいて見えた。
これが、昨年の秋。


そして今。
バケツをひっくり返したような雨が降る午後。なまえは美術棟を歩いていた。
"ちょっと来てくれ"
宇髄からの憎たらしいメッセージのせいである。何のご用で。‥聞いたけど一切の返信が無いので、仕方なく来てしまった。

「天元、さん‥」
指定された教室は、壁も天井も真っ白な部屋だった。
「‥‥‥」
文句の1つも言ってやろうと思っていたが。

イーゼルの前で筆を動かす彼が目に入った瞬間、何も言えなくなった。


形のいい眉を寄せ、切れ長の二重は真っ直ぐにキャンバスを見据えている。日本人離れした高い鼻が影を造り、形の言い唇は固く結ばれている。この表情は、本気だ。


声をかけるのも憚られたので、大人しく隅の方に移動する。が、床に落ちていたパレットを誤って蹴ってしまい‥ハッと宇髄がこちらを向いた。

「おっ来たな!」
先程の真剣な表情から一変、楽しそうな宇髄はぐいとなまえの腕を引くと、キャンバスの前へ連れていく。

「どうよ!できたわ!」
「わぁ‥‥‥」


それは、抽象画だった。先程まで手を加えられていたであろう巨大なキャンバスには、喜びや幸せを思わせる明るい色と、憂いや悲しみを滲ませる控えめなそれが大胆に交錯し、歪に融合した何かが描かれていた。

そしてこの大作を描く為に彼がどれほどの時間をかけ、悩み、苦しみ、また喜びをぶつけてきたのだろうかと。彼の思いが流れ込んでくることに目眩を覚えた。

"なんかさ、魂入ってんのな"
なまえに取り入るためではない。本心だ。
彼もまた、己の信じる道へ全身全霊を投じているのだ。なまえは美術に関してはずぶの素人であるが、‥‥無から有を生み出すのは、並大抵の努力ではできない。

彼は、自身の興味から逸脱した森羅万象を受け入れ、己の心で噛み砕き、解釈し‥彼なりの新しい表現で、こうして作品に昇華しているのであろう。興味のある無しなど関係ないのだ。なまえは自分を恥じた。

‥なまえには、できない。否、真似る必要も無い。これが宇髄天元という人間なのだ。


「これ描くの一年かかってさ、‥泣く!?」
「え?」
ギョッと目を剥いた宇髄の言葉で、涙が出ていたことに気付いた。
「え?何で泣くの?」←なまえ
「いやお前だよ!」

冷静に、自分でも意味が分からない。
慌ててハンカチで目元を拭いた。

絵に込められた宇髄の想いが、心を揺さぶったのだろうか。


外で突風が吹いた。
バリバリッ‥と、雨が窓を打つ。

「‥なまえを見てさ、俺、衝撃を受けたわけ」
‥うん、荷物ガラガラ落としてたよね。
腕を組んでキャンバスを見つめながら、宇髄がぽつりと話す。

「綺麗だなァって。困ったり、怒ったり、どんな顔も」
「‥‥‥」

「俺様芸術家だからさ、美しさが全てだと思って‥告られたら付き合ったりしてさ」
‥例の噂か。本当だったのか。

「でも好きじゃねェから優しくできなくて、すぐフラれんの」
あんたがフラれてたんかい。

申し訳ないが、ちょっとじわじわ来て涙が引っ込んだ。
‥宇髄は至極真面目に話している。

「でさ、お前、すげェ可愛いのよ」
「‥‥‥」
「俺の好みど真ん中ストレートでさ、どうしても手に入れたくて」

そこまで言うと宇髄は気まずそうに、頭をガシガシと掻いた。
急にだまりこくるものだから、キャンバスから目を離して宇髄の方を向く。

「デートでコンサート行ったときから、何でかなまえの表情が変わった」
「俺の事、見てくれるようになった」
「笑って、話してくれるようになった」
「ピアノ弾いてるの見て‥」

堰を切ったように言葉を紡ぐ宇髄は、キャンバスを見たまま言い淀む。

「あ、俺こいつが好きなんだなって気付いた」
宇髄の流し目が、なまえを刺した。


「‥‥‥」
初めて言われた「好き」の言葉に、酷く動揺した。
宇髄の、心を感じた。嘘。少しずつ、感じてはいた。

「好きだ。俺と付き合ってくれ。めちゃめちゃ大事にするから」
自信家の彼の、不安げな顔。
赤紫の瞳が揺れた。

窓ガラスを打つ雨の音が遠い。
声が出ない。そうか、疾うに私も彼の事を。

頷くのが早かったか、それとも。
彼が動いたのが先か。

息もできないほど強く、抱き締められた。
背の高い宇髄の胸に、顔が埋まり苦しい。
香水と、絵の具と。彼の甘い匂いが強く脳を支配した。

「ありがとな」
なまえの肩に顔を埋めた宇髄から、掠れた声がする。

宇髄は腕を緩めると、なまえの頬を片手で撫でた。反対側の手は腰へ回る。

そのまま顎を持ち上げ、顔を近づけた‥


バァァァァン!!
「キャーーーー!!」


「宇髄!飲みに行こう!誘いに来たぞ!!」
「最近つれねェからなァ‥!」


‥物凄い勢いで扉が開き、誰!?
赤と黄色の何とも派手な人と、顔面傷だらけの怖い人が乱入してきた。他校生!?


呆気に取られていると、手を離した宇髄がぶちギレている。
「馬ぁ鹿ァ!!直接来んな!あとタイミング考えろ!!」


ガヤガヤと入ってくる二人に、思わず後ずさる。赤い目の人が、こちらを見た。ヒィ!

「む!宇髄の彼女か!一緒に飲もう!」
「行くかボケェ!何されるか分かったもんじゃねぇわ!」

迫力が凄い。陽キャの権化か!

ギャァギャァ騒がしい三人を置いて、そそくさと出口へ向かう。
あとで電話するわ!と叫ぶ宇髄に手を振り、足を滑らせながら必死に帰った。


後日、あの絵画が私だった事を聞いて愕然とした。色々爆発してた気がするけど‥。芸術は難しい。





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