意のままに押せ!

宇髄天元という教師は、その眉目秀麗な外見から想像されるよりも豪快で、大雑把で、お調子者である。かと思えば誰よりも繊細で、人の懐にするりと入ってくるかと思えば、どこか一線を引いている、謎の多い男だ。

「なまえ、宇髄先生が呼んでるって!美術室!」
「え?」
そんな宇髄は、誰がどうみても。あの冨岡さえも気付く程露骨に、堂々となまえを気に入っていた。
ダンス部がうずスペ(美術室横の練習スペース)で練習しているときも、廊下ですれ違った時も、勿論美術の授業中も‥なんやかんやちょっかいを出してくるものだから、彼に好意を寄せる女子生徒達にあることないこと陰口を叩かれたり、はたまた無駄に応援されたりと、不本意に振り回された三年間であった。

「何の用だろう?」
だが宇髄は、一度たりともなまえに一対一で接近してきたことは無い。連絡先も勿論知らなければ、プライベートなど深い話をしたことも無い。
それ故なまえには宇髄の一連の行動が酷く上っ面で、女子避けの為のパフォーマンスに利用されているのか、若しくは自分の反応が彼のツボに入り、純粋に玩具にされているのか‥まぁその辺だろうが‥軽薄に感じていた。
‥‥そしてその分析を、悲しいと感じてしまう程度には、なまえは宇髄を想っている。


放課後に美術室なんて、呼ばれたことがない。三年間絡まれ続けて、初めてである。何事だろうか‥来週卒業式であるのに、ここ二週間程全く接触してこなかったのも疑問だったが、如何せん宇髄はこちらからは近寄りがたい。

なまえはふぅ、と息をはいてから、美術室の扉をノックした。
「おー、入れや」
失礼します、と足を踏み入れると、声の主は教室の真ん中で筆を握っていた。
流石に‥3月の寒風を招き入れる壁の大穴は簡単に板で塞がれており、室内はそれなりに暖かい。
「よォ」
そこ座れ、と椅子を指差し、教師は筆を置いてこちらを向いた。
いつもは自信に満ち溢れた切れ長の二重の目が、床に伏せられる。
珍しい。一体どうしたのだろうか。
教師はふぅ、と息をつくと、視線を合わせる。

「絵の‥モデルになってくんねぇか」
「裸婦画ですか?」
「違うわボケ!お前の頭どうなってんの!?」
なまえの質問に、宇髄はパァンッと風船(ガム)を割った。
あ、いつもの先生だ。

「何で私の絵を?」
あ、たまたまですか?誰でもいいみたいな?
いまいち状況が理解できないなまえは、ガシガシと頭をかく宇髄を見つめる。
ス‥と、教師の目がこちらを見た。
真っ直ぐな目だ。こんな顔、見たことがない。

「描きてェんだ‥お前を。卒業しちまう前に」
「‥‥」
この人は、自分が何を言ってるのか分かってるのか‥?
‥芸術家の頭の中は凡人には理解できない。なまえはドキドキと早まる鼓動を深呼吸で静めると、努めて明るく「どうぞ」と答えた。




‥絵のモデルとは、なかなか重労働だ。指定されたポーズのまま、依頼主がいいと言うまで動けない。今まで使ったことのない筋肉(ん?脂肪‥?)をフル活用して頑張る。

「‥‥‥‥」
対して宇髄は、今まで見たことも無いほど真剣に、汲々と腕を動かしていた。
手を止め眉間に皺を寄せたかと思えば、射抜くようにこちらを凝視し、再びキャンバスを揺らす。

‥それは微かな声だった。
「やっぱ、お前綺麗だわ」

言われたなまえはギクリと身を固める。
今‥宇髄はなんと言った?
「おい、顔がガチガチだぞ。どうした」
どうしたじゃないですよ!
なまえは思わずポーズを解いた。
「いや、先生、今‥え?幻聴?」
「‥‥‥」

え?幻聴?恥ずかしっ
‥一人で右往左往しているなまえを一瞥すると、宇髄はため息をついて筆を置いた。

「幻聴じゃねェよ」
「お前は綺麗だ。三年間ずっと」

鼓動が早鐘の如く全身で鳴り響く。
宇髄は何を言っている?
またからかっている‥?

「どんどん綺麗になりやがる。うざってェ」
‥うざってェ!!??
そもそも混乱していたなまえはトドメを刺された気分だ。おそらく顔は赤くなったり青くなったりしているだろう。

「生徒のくせによォ。頭の中でいつまでもキラキラと」

消えねェから、形に残すことにしたわ。
「!!」
そう耳が捕らえたと同時に、逞しい宇髄の腕がこちらへ伸ばされるのを視認した。
顎を捕まれ、目線を合わせられる。

「でも足んねェわ。」
顔が、近い。吐息がかかる。理解が追い付かない。
「やっぱ、お前が欲しい」
「‥‥はい?」
今何て‥!?

目が回る。そんなこと、先生が言うわけない。からかっているのだろうか?

「先生、私、生徒ですよ‥?」
勘違いしたくない。自己防衛からつい変なことを言ってしまった。

「んー‥」
目線を外しつつ何かを思案する。その様子さえ美しくて。
「‥別にクビになってもいいわ、お前が手に入るなら」
「何を‥」

何を言っているんですか。
そう言おうとした瞬間に、手が外れ、体が解放される。

へなへなと、床に座り込んでしまった。
宇髄は「悪ィ、いじめすぎたわ」と言いながら、目の前にしゃがみこむ。またも近い。

「‥一応?みょうじが卒業するまで待つわ」
「待つ?なにを‥?」
「手ェ出すの」
「は!?」

‥真っ直ぐ見てくる綺麗な赤紫の瞳が憎い。
まるで‥まるで。
「先生、私が断るっていう可能性は」
「んなもんねェわ。お前、俺の事好きだろ」
「!!!」
バレてた!?いつ、何で‥!?

目を白黒させるなまえの耳元に口を寄せると、宇髄は低く囁いた。
「なまえ‥お前が好きだ。」


- 100 -
*前戻る次#
ページ: