#23

胸が熱い。鼓動が早まる。
先生が笑いかけてくれると、こんなにも。
好きで、たまらなくなる。

開け放たれた剣道場の窓から、生ぬるい風が吹き込んできた。
よく見ると、煉獄は手にジャージを持っている。恐らく、次の借り物競争の為に着替えに来たのだろう。

「‥元気そうで良かった」
「えっ‥」
煉獄が、ふと目を伏せて呟く。
‥外階段で目があったあの日。きっと、先生は私が何か嫌なことがあって、酷い顔をしていたと思ったのではないだろうか。‥気にしてくれたのか。とても嬉しい‥!

「元気に猫と戯れていたのに、」
ん?
ちょっと待って。

「煉獄先生‥あの、いつから私に気付いてました?」
「君が猫を追って、外階段に出てきたところだが‥‥何故倒れる!」
初めからだったーーーーーーー

ならばスカート捲れた時も!
ニヤニヤ猫ににじり寄った時も!
そろりそろりの時も!

見られていた事になる。
あああ絶対パンツ見えた。今度こそ終わった‥何色だったっけ!いや落ち着け!!!
なまえは両手と膝を床に付き、絶望に沈んだ。

「お見苦しいものを‥すみませんでした」
白い顔で謝るなまえ。膝から崩れ落ちるとはこの事だ。

煉獄はぽかんと見ていたが‥ふっ、と、眉を下げて笑った。
「何故謝るか分からんな!‥君は本当に、」
‥続きは言わず、なまえへ右手を差しのべた。


「‥‥‥」
煉獄の微笑みでドキドキしていたなまえは、差し出された手を見て石化する。
煉獄は、彼は‥生徒に触れたりしない。
どうしよう、自主的に倒れただけなのに。
私なんかが、触れてもいいのだろうか。

「ありがとうございます」
手を重ねる。大きくて、思ったより柔らかい。熱い。
煉獄はぐっと手を握ると、体勢を起こしてなまえを引っ張りあげる。その時だった。

「えっ‥‥‥‥」
「「!」」
悲鳴にも似た声が、廊下の角から聞こえた。
なまえは血の気が引くのを感じる。
あの人だ。先日煉獄のシャツを掴んでいた、あの女子生徒‥
生徒職員は全員外だ。グラウンドから煉獄を追って来た以外に、彼女がここにいる理由は無い。

「何でっ‥何でみょうじさんと手を‥」
(何故私の名を‥?)
なまえはパニックで立ち尽くしている。
「んぎゃっ」
‥と、突然煉獄に腕を引かれ、剣道場へ押し込まれた。
教師は後ろ手に道場の扉を閉めると、女子生徒に向き直る。

「俺に何か用か」

(先生‥)
ぽつん、と剣道場へ閉じ込められたなまえは扉からできるだけ離れ、窓際の壁に背を付け座り込んだ。
聞きたくない。あの人が誰かは知らないが、煉獄の拒絶の声を聞きたくない。‥彼に想いを寄せた者の結末を。

だが何故煉獄はなまえを隠した?
関係無いと、君は戻れと言われるつもりであったのに。

女子生徒とは面識が無い。先程の会話から、彼はなまえが告白現場に居合わせたことは知っていたようだが‥


内容は聞こえないが‥女子生徒は、泣いているようだった。

「煉獄先生、何でみょうじさんには優しいの!?‥あの人が美人だから?」
「‥俺は生徒を容姿で評価したりしない。勘違いするな。」

煉獄の低い声が、ぼんやりと聞こえる気がするが、窓の外の、体育祭の賑やかな声に掻き消された。

「じゃぁ何で!?あの大学生に、ストーカーされてるからっ‥」

「やはり、君か」
煉獄は扉の向こうへ聞こえないよう、更に声をひそめる。
「‥奴を焚き付けたのは」

‥あの日。炭治カが助けてくれた日。
茶髪ピアスが警察に自白した。キメ学の生徒が、なまえが夏祭りに行くと教えてくれたと。
‥廊下で日取りなど決めたので、女子生徒はそこで情報を仕入れたのだ。

「だって‥!先生とあの子が夜一緒に歩いてるの見たって!‥付き合ってるんでしょ!?先生、生徒とは付き合わないって言ったのに、酷いよ!私は、三年間、先生の事を‥」
「君は、自分が何をしたかわかっているのか!!!」

扉の向こうで、なまえの肩がビクッと跳ねた。
今の台詞は、はっきり聞こえた。
膝を抱えていた腕で、胸を押さえる。

‥煉獄が、‥怒鳴った‥‥‥。あの、煉獄先生が‥?
怖い。悲しい。苦しい。

廊下から、すすり泣く声が聞こえる。
同時に、煉獄のため息が聞こえた。
「もう君の顔も見たくない。二度と彼女にも近付くな。破ったら‥‥‥退学だ」

泣き声と、足音が遠ざかっていく。
なまえは、呆然と床板を見つめていた。

あの人が、しつこくして煉獄を困らせているのは分かる。
でも何故か、酷く悲しい。彼女の砕かれた恋心も、煉獄の怒りも、何もかも。


‥いつの間にか、剣道場の扉は開かれ、煉獄が目の前に立っていた。

「‥聞こえたか?」
なまえは、首を横に振った。

「‥‥何故君がそんな顔をする」
‥酷く優しい声だ。
煉獄先生は、優しい。穏やかで、暖かい人だ。生徒を大切に思っている。
あの人は、先生に、何をした。

どっと窓から強めの風が吹き込んで、窓ガラスがビリビリと音を立てる。

(‥冷静にならなくちゃ)
なまえは、部外者だ。個人的な負の感情を彼に押し付ける事は許されない。煉獄を好きな事は、彼には関係ない。困らせてしまう。
何か言え、ごまかせ!

「‥膝がっ‥きしむんです」
おばあちゃんか!
「あっ違うんです、骨には異常が無いんですけど、痛くてっ‥」
止まれ私!膝の怪我も先生に関係ないから!
「むんっ!」
止まった!‥というか、変顔してごまかした。‥穴があったら入りたい。

「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥ふっ」

ははははは、と、煉獄が笑いだした。
笑い顔可愛い。けど恥ずかしい。
そんなに変顔面白かった?

「っみょうじ、そういうところだ!」
ひとしきり笑うと、カッと目を見開く。
「わっ」
「君の長所の1つだ!」
「ありがとうございます!」
よく分からないが、誉められた。重たい空気が霧散していく。

‥恐らく、というか、確実にバレているだろう。なまえが一連のやり取りを聞いて、悲しい気持ちになっている事は。

「だが!‥もう少し心を開いてくれないか」
「えっ‥」
煉獄の赤い瞳が、優しく細められた。
西日が射し込み、頬に睫の長い影が伸びる。

「俺に遠慮するな」
「何でも話してほしい。」
頭の上に、煉獄の手がある。
撫でられて、いる?

以前車の中でそうされた時と違い、ずしっと、彼の腕の重みを感じる。

なまえはパニックだ。
「ありがとう、ございます‥痛っ」
何とか言葉を絞り出すと、最後にボフッと強めに撫でられた。

「では!俺はこれから着替えてくる!」
「はい!借り物競争応援してます!!!」
突然くるりと背中を向けた彼は、いつものハキハキした煉獄だった。

夕陽が射していてよかった。
なまえは真っ赤な頬をパチパチ叩きながら、グラウンドへ戻っていった。

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