#28

雨が静かに降っている土曜の朝。
起きる気力が無い。なまえは布団をかぶったまま、静かに目を閉じた。

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「すまん!大丈夫か!」
用具入れから出た後、煉獄はいつも通り、快活であった。
「君を隠したかったのだが、思ったより狭かった!潰れたか!」
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恐らく、煉獄は生徒の怯えを緩和すべく、自身も一緒に入ってしまったのだろう。それは彼の無意識の優しさであり、同じシチュエーションであれば相手が誰であろうと同様の行動を取った筈だ。そう、例えば例の前田氏でも。
以前、車の中で接近した時と何も変わらない。彼はひとえに清廉潔白であり、その行動の根底には生徒を思いやる優しさがある。そこに私欲や劣情が挟まる余地は無い。

だが自分はどうだ?
煉獄の体に触れ、何を思った。


‥‥今までなまえは、煉獄を好きだと、潔く認め、向き合っているつもりであった。
彼の程よい物理的距離感と、周囲の素晴らしい評価、信頼、暖かい優しさに溺れ、煉獄という偶像崇拝に身を落としていた。彼は人懐こい性格であったが、遠い人だった。彼にまともに触れたのは、差し出された手を取った一度きりであった。
それなのに、煉獄はその心地よい物理的距離感、いわば偶像と信者の相容れない絶対的な壁を刹那に打ち砕いた。なまえを守るために。

頬に触れた煉獄の体は熱く、逞しく、生々しく。彼が一人の男だという紛れもない事実を、今更に思い知らされた。また同時に、男を好きだと、追いかけるとはどういう結末を望むことなのかと‥目を背けていた己の浅はかさに絶望した。また同時に、このような距離を許された何者かが存在し、自分が知らぬまに彼の腕に抱かれているのではないかと、蓋をしてきた愚かな妄想が心に爪を立てた。それは醜い嫉妬というよりは、悲哀や恐怖に近かった。




悶々と雨の音を聞いていたなまえは、せめて珈琲でも入れようと起き上がった。
最近は休日でも殆ど外に出ていない。それほどに、文化祭の一件はなまえへ恐怖心を植え付けた。もうギリギリだった。あと一押し、何かあれば。なまえはドイツに帰されるだろう。

ここにいたい。煉獄の側にいたい。だから、思い付く自己防衛の全てを実行しているのだ。‥炭治カや千寿カくんに迷惑をかけたくないし。

ピーンポーン
珈琲を飲んで一息ついていたところ、インターホンが来客を告げた。
また可愛い千寿カくんかな?と一瞬期待したが、彼とはもうスマホで連絡が取り合える。何かあれば、予めメッセージがくるだろう。

「‥‥‥」
真ん丸の、くもりなきまなこが画面いっぱい映っていた。近いんだよ皆!

「なまえすまない!連絡を忘れた!誘いにきたんだ、開けてくれ!」
年頃の女子の部屋にアポ無しで来るな!しかもまだ朝10時だよ!?
心のなかで文句を言いながら部屋を片付け、玄関の扉を開ける。
「あ?お前、いつも寝間着だな」
伊之助は一発でこぴんさせて欲しいけど‥皆の顔を見たら、物凄く安心した。ありがとう。



「なまえちゃんの部屋ァァァァァ!!!!パジャマ!!!可愛すぎる鼻血出そう!!!ブハッ(バタッ)」
「「善逸ーーーーー!!」」
部屋に入るなり叫ぶ善逸。近所迷惑だからやめていただきたい。

「これから、皆で不死川先生の家に行くんだ!なまえも行かないか?」
「そうなんだ!だが断る!」
「何でェェーーー!?」
善逸が抗議のブリッジをする。ゴンッと床に頭を打ち付けのたうち回るオプション付き。

何でって、怖いからだよ!
‥以前、職員室でムギムギされた恨みは忘れていない。そもそも、数学が苦手ななまえは不死川によく思われている気がしない。
「でも‥玄弥が凄く料理上手くて、夕飯ご馳走してくれるって」
「ごちそう‥行く!」
(食いしん坊‥)←炭治カ    




歩けない距離ではないが、雨が酷いのでバスに乗って移動する。
玄弥とはクラスが違うので接点が無いが‥彼の射撃の腕に感動した炭治カがにこやかに話しかけ続けた結果、家に呼ばれるまでに仲良くなったらしい。人たらしだなぁ!

ピンポーン
炭治カがチャイムを鳴らす。緊張してきた。兄の方に‥。
だが先日の文化祭では、不死川が茶髪ピアスを捕まえてくれたらしい。彼も恩人だ。お礼を言わなければ!‥道中で買ったおはぎを抱え直す。

「おぅ。来たなァ」
扉を開けてくれたのは兄の方だった。彼はなまえを見ると驚いた顔をする。
「みょうじも来たのかィ」
ガシャーーーーーン!!

‥後方でフライパンを落とす音が聞こえた。
あれ?炭治カ達言ってないの?



雨だからゲームをやろう!と言いながら、炭治カが持参したゲーム機を設置している。
ちなみに玄弥に「初めまして!」と挨拶したのだが、無視された。こんなことある?
(後から炭治カに、玄弥は初心なんだ!とフォローしてもらったけども)

炭治カが持ってきたゲームはなかなか面白かった。ステージにインクを塗ったり、戦ったりするオンラインバトルである。
何が面白いって、素人目にも全員が下手すぎる。炭治カは緊張しすぎてエイムがブレにブレているし、善逸は敵を見たら逃亡するのでめちゃめちゃに煽られ、伊之助は操作が分かっていないらしく一生グルグルと走り続けていた。笑いすぎて腹筋割れそう。

玄弥だけは上手かった。スナイパーの様なブキを持った彼は、まるでプロの如く敵を溶かしていく。凄いなぁ!


不死川は、ガキだけでやっとけェ、と、ソファで新聞を読んでいる。煉獄先生だったらニッコニコで参加してくれそう。でも下手そう。
あ、宇髄先生も遊んでくれそうだな。生徒相手に本気で潰してきそう!


‥そんな事を妄想しながら白熱するゲーム画面を見学していると、後方から教師に呼ばれた。

ちょいちょい、と手招きされたのだが、指先が上を向いているせいで「かかってこい」みたいになっている。思わず笑ってしまった。

「あ?何だァ、ニヤニヤと」
失礼します、と隣に腰かける。
先生眉間の皺が怖い!

「‥元気かィ」
「元気です!先日はありがとうございました!」あ、これお土産です、とおはぎを押し付ける。
教師は何だか面食らった顔をしていたが、目をそらしておぅ、と頬を掻いた。‥この兄弟、ツンデレかな?

雨が窓ガラスに当たる。
きゃっきゃと楽しそうな声。隣からは、新聞を捲る心地いい音がする。
今日、ここにこれて良かった。ぐしゃぐしゃだった心が、落ち着きを取り戻した気がする。



「今日はありがとうございました」
玄弥の料理は本当に美味しかった。なまえは酷く感動して味の感想を大量に述べたが、本人は耳を赤くして「‥お、おう‥」と言ったきり目も合わせてくれなかった‥。

帰りは不死川が車で送ってくれるらしい。玄関先で、誰がどこに座るか(様々な意味で)大いに揉めたため‥ぶちギレた不死川に「みょうじが助手席だろォ、忖度しろやお前ら」と脅され怖かった。


「みょうじ、」
「!」
道中、後ろで騒ぐ三人に聞こえないよう、声を落とした教師が口を開いた。
こちらを見下ろす不死川は、顔立ちは端正だが‥傷跡や、逞しい肉体から想像するに‥男からみても怖いだろう。この人が味方で良かったと、妙な安堵感を覚えた。

「日曜以外は‥割りと遅くまで俺か、悲鳴嶼さんか、煉獄か、冨岡がいる。」
「何かあったら電話しろやァ」

それは、以前担任に渡された職員室直通の番号の事か。後ろから善逸の「キメ学の戦闘部隊‥」という声が聞こえた。

なまえの為にローテーションで残ってくれるというのか?‥そんな、わざわざ、流石に悪い!
なまえは焦って早口で断る。
「何かあったら警察に通報するので大丈夫です!!!ワークライフバランス!!」

「‥‥‥‥」
信号が赤になる。教師は横目でなまえを見ると、鼻を鳴らした。
「はん。安心しろ、お前の為じゃねェ」

‥‥そんなの嘘だ。
そう言いたかった。
だが、不死川はそれきり口を開かず、じっと前だけを見ていた。

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