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‥みょうじなまえは、不思議な生徒だった。

入学式の日、華やかな容姿からは想像できない「ヘブッ!!!」という声に耳を疑った。

少し、抜けている子だった。
成績が良く、授業態度も真面目。受け答えもハキハキしていて、礼儀正しい。挨拶もかかさずする。そんなしっかり者の彼女が。
毎日のように転ぶ。テスト回答を全てずらして提出した事もあったし、何故か髪が濡れた状態で登校してきた事もあった。職員室で書類を撒き散らした時は、我慢できずに笑ってしまった。

美人だが飾らず、気さくな子だった。
竈門ら友人から愛されていた。彼女が危ない目に合わないよう、よく守っていた。

警戒心が薄い子だった。自己評価が低いのか、暢気なのか‥悲鳴嶼先生の話を聞いてから、段々と、彼女が心配になった。
自宅まで送った時、彼女の身を案ずるあまり、怖がらせてしまった。
大きく見開かれた瞳。睫が震え、月光がその細い首を照らした時‥彼女の危うさを感じた。

嬉しいとき、惜しみ無くにこにこと笑う子だった。ハンカチを貸した時、上着をかけてやった時。犬のように、尻尾がぶんぶん触れているのが見えた。竈門と仲がいいようだが、確かに似た者同士だと思った。自分も教師である前に人間だ。竈門のような子は、可愛いと思う。

遠足の日、宇髄からみょうじを気に入った、とメッセージが来た。何故真面目に返信をしたのか、自分でも分からない。
だが芝生で無防備に昼寝する彼女を見ていたら‥‥自分も随分と彼女を気にかけている事に気付いた。

剣道の試合の日、彼女が盗撮被害に遭ってからは、心配でたまらなくなった。
可愛げのある一生徒だった彼女は、いつの間にか守るべき対象になっていた。他意は無い。生徒の健やかな学生生活を守るのは教師の責務だ。

彼女の何がそんなに男を狂わせるのか、わからなかった。相手は子供だ。分かりたくもなかった。俺はただ、守りたかった。

だが、彼女の成長は目覚ましかった。
幼い面影は、日を追う毎に大人へと近づいていった。

体育祭の日、チアを踊る彼女を見て、そのあまりの華やかさに目を奪われた。毎年同じ衣装の筈なのに、肌の露出の多さに閉口した。リレーでは、担当の学年ではなく、彼女を目で追ってしまった。
焼き芋をした日も、いつもと違う出で立ちの彼女に、素直に可愛らしいと感じた。‥そんな自分を責めた。
それほどに、彼女は変わっていった。


だが、彼女の中身は何も変わらなかった。
女子生徒を拒絶した時、彼女はその場にいたにも関わらず、その一切に触れてこなかった。見て気持ちのいいものでもなかっただろう、彼女はひどく傷ついた顔をしていた。だが、相手を困らせまいと必死にごまかそうとする様子は、思慮深く頭の良い彼女が、彼女たる体現であった。


この頃、既に暗雲は立ち込めていた。彼女のストーカー案件はもはや学校中の喫緊課題であり、担任の悲鳴嶼だけでなく、理事長をはじめとする他の教職員も警戒していた。

文化祭の2日目。ついに男が彼女の前に現れた。不死川の情報をもとに駆けつけた時、彼女は酷く怯えた様子で、すがるように俺を呼んだ。
後から考えれば、彼女だけを隠せば良かった。だが怯えた彼女を1人、暗いところに押し込める事ができず‥思わず腕を引き連れ込んだのだ。
ふわりと香った彼女の匂いと、その体の柔らかさにぎょっとした。自分の浅はかな行動を酷く悔いた。

最後の日。
宇髄から、例の女子生徒が、クリスマスパーティーでもう一度煉獄に接触するつもりらしい、と聞いた。辟易とし、職員室に残ると自ら当番を志願した。

悲鳴嶼から、みょうじは欠席だと聞いた。彼女の精神の限界を感じ、心が痛んだ。

そして、数日後、彼女は日本を発った。あの夜から、一度も顔を見せないまま。




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