#39

球技大会当日。
予報は曇りであるが、朝からどんより暗く。いつ雨が降ってもおかしくない天気である。

5月は春というより初夏の気候だ。ジャージは要らないだろう、等と考えながら部室で着替えを済ませる。そういえば今日は部活の日誌当番だった。他の部員の動きもしっかり見ながら踊らなければ!

「なまえ!おはよう!」
校舎から出ると、炭治カが駆け寄ってくる。
「準備運動をするんだ!なまえもやらないか?」

流石炭治カ、真面目だ。いや、とても大切な事なんだけど。抱えた日誌を取り敢えずその辺の花壇脇に置き、校舎前の広いスペースに移動する。

「あだだだだだだだ!!!もげるもげる!!!!腕ェーーー!!!」
既にストレッチを始めていた善逸が、伊之助に新種の関節技のようなものを決められている。伊之助、自分が体柔らかいから悪気無いんだろうなぁ‥

分厚い灰色の雲の切れ間から、一筋光が漏れた。薄明光線、いわゆる天使の梯子である。
綺麗だ。若干善逸が召されてる感が気になるけど。午後は晴れるのだろうか?


「みょうじ!」
ぼうっと上空を見ていたので気付くのが遅れた。光の梯子を背景に、美しい焔色がなまえを呼んでいる。天使かな。いや、大天使か。

「はい!おはようございます!」
あああ煉獄先生!!また話しかけてくれた!
彼は今日は朝から運動服だ。白い半袖のTシャツから、綺麗に筋肉のついた腕が惜しげなくさらされており、少しゆとりがあるにも関わらず盛り上がった厚い胸板と綺麗な背中のラインに目が釘付けになる。格好良すぎない?

‥惚けるなまえは、その彼がこちらにバレーボールをパスするのを見た。これは‥?
とりあえず本能でレシーーーーーブ!!!

「うむ!良い反射だ!竈門!」
煉獄は楽しそうになまえのボールを今度は炭治カへパスする。既にスタンバっていた炭治カは、「はい!!」と元気よくボールを返す。
「我妻!」「嘴平!」と、ボールが繋がれる。

これは‥遊んでくれてる?
これがっ‥担任と生徒の空気感か!!!!!
最高だー!!
先生バレーに出るのかな?私達がバレーって知ってるのかな?
何だっていいや!こんなニコニコしてる煉獄先生と円陣パスできるなんて幸せ!!!





今、初めて気付いた事がある。
「なまえちゃぁぁぁぁぁん!!俺ここで応援してますから!!一途に!!こっち見てェェェ!」

「‥みょうじ先輩、我妻先輩と仲よしなんですね!」
炭治カ達は、3人とも校内で有名人らしい。
朝も一緒にバレーしてましたし!と聞いてくる後輩の顔にはありありと、"羨ましいです!"と書いてある。この子は‥善逸推しだ。さっきの絶叫聞いてた?

‥善逸は、なまえガチ勢である。恋慕というよりは‥アイドルの如くもてはやされている、となまえは感じているし、これが通常運転3年目なのでもはや慣れた。何故彼がそんなに自分をちやほやするのかは全くもって不明だが。

とにかく、なまえと彼らの間にあるのは純粋な友情であって、その関係性において誰かに羨望だの嫉妬だの、失望だのされる覚えも必要も無いのだ。もうそういうのは勘弁してほしい。ライバル(?)に割くエネルギーがあるなら、好きな相手本人に120%ぶつける方が余程効率的だ、となまえは考えている。善逸が好きなら、好きになってもらえるよう、頑張っていただきたい。

‥とまぁこのようなパターンが、炭治カ、伊之助の分もありそうだ。男子バレーの応援の声から察するに。確かに3人とも綺麗な顔をしているし、性格もなまえは大好きだ。恋愛においては、手強いだろうなと思うけれど‥特に伊之助。





午後。
「なまえ、目が虚ろだよ?どした?」
ダンス部の同期が心配そうに覗き込んでくる。虚ろにもなる!!
‥天気が怪しいという理由でサッカーの時間が早まり、ハーフタイムのパフォーマンスに予定より早く駆り出されたのだ。おかげで煉獄先生の試合を5秒しか見られなかった!相手は冨岡先生で、見所しかなかったのに!!!
あぁーー‥先生のアタックとか見たかった!


体育祭と同じ、クロップド(へそ出し)ノースリーブに今回から導入された短パンをはいて、控える。
一昨年より胸囲が大きくなった分、より上まで腹が出る。今回も腹筋100回したが‥うわ、あの子ウエストほっそ!

「ぎゃァァァァァなまえちゃん待って!可愛すぎる!!ってか衣装えっちすぎない!?ブッ」
やめなさい!ほら冨岡先生に殴られた!

試合は終わったらしい。というか、さっきの女子‥善逸くん、こんなんですけど合ってる?





演技が始まった。軽快なBGMと裏腹に天気は下降の一途を辿り、淡いグレーだった雲はより分厚く、おどろおどろしく圧を放つ。
−降る。

ザァァァァァーーーッ‥‥
「うわっ」
「キャー!!」

突然、バケツをひっくり返したような雨が始まった。一粒一粒の雨が重い。足元に凄まじい早さで水溜まりが生まれていく。

校庭にいたダンス部の面々も、観客たちも蜘蛛の子を散らすように走っていく。なまえも部室を目指して走った。ロッカーには、ジャージとタオルがある。

「あーーーっ!!」
もう少し、というところで足を止めた。日誌が。部の日誌を花壇に置き忘れた。あれはただの紙だ。これはまずい!!!

‥どしゃ降りの道を、校舎側へ引き返す。もう既に髪も服もぐしょぐしょであり、自棄になってきた。ウエスト丸出しの衣装が寒い、という問題はさておき。

生徒たちは既に校舎の内部、あるいは体育館に捌けてしまっているらしく、誰もいない。

「みょうじ!止まれ!」
道中、冨岡が駆け寄ってきて青いジャージをかけてくれた。俺はどのみち濡れるからいい、と言い残して去っていく教師は、ファンが見たら卒倒するほどにイケメンだった。

‥いや日誌!
なまえは慌てて花壇に駆け寄る。あれ?無いぞ?
慌てて周りを見渡す。無い。
まずい。あの日誌は既に終わりが見えるほど使い込まれていて、終わった日誌は部室の保管庫に大切にしまわれる習わしである。ぐしゃぐしゃになってしまっては‥

花壇の裏側を覗く。やはりない。
呆然と立ち尽くす。‥絶望だ。




「‥‥!」
バシャバシャバシャッ‥と足音がして、‥突然雨が止んだ。

振り向くと、‥‥同じく全身ずぶ濡れの煉獄が、なまえに傘をさしている。

「どうした‥」

薄墨色の曇天を背負った赤い瞳は見開かれ、眉根を寄せてこちらを見下ろしていた。
いつも元気にかきあげられている前髪は水を吸い額に半分落ちている。その毛束の先から雫が一滴、地面に落ち‥その様子がまるでスローモーションのように脳裏に焼き付いた。

雫を追って下を見たなまえはギョッとした。
彼の鍛え上げられた肢体に濡れたシャツがべったりと張り付き、美しい肉体の形容を浮き彫りにしている。逞しい胸筋から、綺麗に割れた腹筋‥へその窪みまで。

慌てて顔を上げる。
形のいい薄い唇は引き締められており、彼がこの状況を咎めたい気持ちで有ることは明白であった。冷えたせいかいつもより赤みを増して、目を逸らしたくなる程官能的なそれは‥しかし続きを発する気配は無い。

ふと、煉獄の視線がなまえの肩にかかる青いジャージにうつり、一つ瞬きをした後‥寒そうに露出した二の腕と腹を通過し、瞬時に逸らされた。

目の前の煉獄の破壊力に茫然としていたなまえは、傘に当たる雨音でハッと我に返る。

「部活の日誌を探しているんです。大切なものなのに、無くしてしまって‥」

「日誌‥」
教師は真顔で思案すると、あ、と呟いた。


「表紙が青い冊子か?であれば、竈門が朝拾っていたが!」
「え」

思わず間の抜けた声をだしてしまった。朝、円陣パスをした後同級生に呼ばれ、一足先に体育館へ向かった。その時、炭治カが忘れ物と気付き‥拾ってくれていた?

「良かったーーーーーーー‥」
安堵し、膝の力が抜けるが耐える。胸に手を当て、ふーと息を吐いた。

「ありがとうございます」
顔を上げると、赤い瞳と視線が合う。
モノクロの世界で、彼だけが色彩を所有しているかの様だ。彼の唇がうごく。

「君は‥俺に、心配させるのが得意だ」

そんなつもりでは、申し訳ないと言おうとしたが。
口を開く間もなく、
「風邪をひく!早く着替えてくるんだ」
‥と持っていた傘を渡され、教師は校舎へ走っていってしまった。



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