#46

夏休みに入った。入ってしまった。
最近煉獄は面談結果の取り纏めや中間試験作成、添削、補習授業等で通常期の比ではない程忙しくしており、殆ど姿すら見なかった。HRすら日直に任せて顔も出さない事もあり、正直酷く寂しかった。1年の時は週に2〜3回授業で会えるだけで、あんなにも幸せだったのに。

ミーンミーンミーン
今日は、勉強の日である。
家にいると、いざ勉強しようと思った時に何故か掃除を始めてしまったり、その際に見つけたアルバムを見返したりしてしまう魔法にかかる。それゆえ、大体駅前のカフェを転々としているのだが‥飽きた。

「‥学校の図書館‥行ってみようかな」





(あれ?誰もいない?)
少し寒いくらいに冷房のきいた館内は、いつもならパラパラと人がいるのに‥夏休み中だからか、誰もいない。

嬉しい。
早速テーブルに好きなだけ教科書や資料を並べ、勉強を始める。貸し切りじゃー!

ガリガリガリ。
シャーペンの音が響く。

今日は何かあったらすぐ質問に行こうという邪な考えから、赤本の日本史を解きまくると決めている。
ガリガリガリ‥

この学校の図書館は木目調をベースとしたアンティークなデザインで、二階と一階は螺旋階段で繋がれている。
中央エリアには個人用の机や大きなテーブルが設置されており、普段は自習スペースとして人気なのだが‥今日は人がいない。
10人くらい座れそうなテーブルを独占する。人目が無いし、新鮮でやる気が出る。
が。

ガリガリガリ‥
ガリガリむにゃむにゃ‥はっ
ガリ‥‥‥ぐーーーーーーー

ダメだった。
勉強時間、2時間。
なまえは机に額から突っ伏すと、眠ってしまった。





燃えるような夕陽が、窓から差し込む。
「‥‥‥」
あぁ、何だか暖かい。
大好きな匂いがする。幸せだなぁ。

確か、私、図書館に‥‥‥

ゆっくりと瞼を開く。
肩にカーディガンがかけられている。
‥ふと左上を見ると、隣の椅子の背もたれに浅く腰を預け‥赤本を捲る煉獄がいた。

「‥‥‥」
茜色の夕陽が細い筋となり彼の頭上から降り注ぐ。手元の本へ伏せられた美しい赤の下には長い睫の影が降りて、薄い唇は笑みを絶やさずいよいよ艶やかだ。
なまえの顔の横には男の腰がある。意外と細いそれは、あの雨の日に見た扇情的な腹筋のラインを思い起こさせ、ドキリと胸が跳ねた。

煉獄は、なまえが起きたのには気付いていない。パラリと頁を捲る音でなまえは覚醒した。


「先生‥おはようございます」
‥早速かましてしまった。今は夕方である。

煉獄は流し目でなまえへ視線を落とすと、一度手元の本へ戻し‥そして閉じた。

「おはよう。‥頑張ってるな、みょうじ。」
静かな図書館に、落ち着いた声が響く。

夕陽をあびた美しい艶笑と低い声に、全身が粟立つのを感じた。苦しい。‥煉獄が、怖い位に綺麗だ。

‥そういえば、まともに口をきくのは久々である。以前高熱で浮かされた電話以来、初めてだ。‥あの覚えのない7分間から。
‥今日は、元気かと、聞かないらしい。


「‥‥みょうじ、」
じっと見つめられ、惚けていると‥煉獄の腕が顔へ伸ばされる。

「‥‥っ」
煉獄の長い指が、額にかかった前髪を‥壊れ物に触れるかの如くよけ、額に親指が触れる。

「‥‥‥」
自身の心音が、静かな館内に響いているのではないか。煉獄が触れている額が、燃えるように熱い。

「インクがついている」
採点した紙に突っ伏したからか。

煉獄が椅子から腰を離し、屈んだ。
なまえの額を覗き込むように‥顔を近づける。
赤い瞳に、なまえの顔がうつった。

近い。近い、近い、近い。

夕日が誤魔化してくれているだろうか。
この真っ赤な顔を。

男の親指が、優しく額を擦り‥離れていく。

「ありがとうございます‥」

気のせいだろうか。
優しく細められた赤い瞳が‥一瞬揺れた気がしたのは。何かが変だ。煉獄は、煉獄は‥このように生徒に触れたりしないのに。
寝ている生徒に上着をかけ、起きるのを待ったりしないのに。


「‥‥この大学は、一昨年出題傾向が変わった」
「はっ‥はい!」

戸惑うなまえに全く気付かない‥いや、無視したのか?‥煉獄は、隣の椅子を引くと、腰を下ろし、長い足を組んだ。

「過去問を解くなら昨年か、4年以上前のものを選ぶといい。持っていないなら、今度私物を貸そう」
「はい、ありがとうございます‥」

声は震えていないだろうか。
平静を装えているだろうか。

目の前の煉獄は‥煉獄である事は間違いないのに、何かが違うのだ。あの雨の日感じた違和感は、気のせいでは無かった。

何かを失った気もするし、何かを許された気もする。むせ返るような男の色気に、眩暈がした。

「‥‥‥‥」
‥折角歴史教師が隣にいるのだ。先ほど誤答だったものを質問したい。だが今の状況で、何かを理解することができるとは思えない。


‥答案を見つめるなまえの方へ、煉獄が体を近付けた。ビシリと固まり顔すら動かせないなまえの前へ手を伸ばした教師は、答案をその場で立てて持ち、目を通している。
‥紙を持つ煉獄の右腕が、なまえの左腕に当たっているが、どける気配は無い。

‥‥何だ。何が起こっている。一度休憩時間が欲しい。この状況を冷静に解釈する時間が。このままだと、気絶してしまうかもしれない。


「鎌倉文化だな」
手元の赤本と、なまえの答案を見比べていた教師が呟く。こんなイケボの鎌倉文化、聞いたことが無い。勘弁してほしい。

「室町と混ざっている」
そう、日本史専攻の難所が文化だ。その時々で影響を受ける中国の朝廷も違うし、禅宗と‥‥いや私、意外と切り替え上手!

脳内ノリツッコミのなまえをよそに、教師は机にあった資料集を開き、両者の違いを説明してくれる。‥それが、分かりやす過ぎる。感銘を受けるほどに。
この時代は、日本を離れていて煉獄の授業を受けられなかった。先生の声で、先生の言葉で説明してくれるなら‥満点以外取らない。






17:00のメロディチャイムが鳴ったところで、教師が赤本を閉じた。
‥やっと終わった。とても分かりやすく、為になる‥緊張とときめきの地獄マンツーマンが。カオス。
‥質問、得意科目だったからしたことなかったけど‥、教える時先生、あんな距離感なのかな。普段大体1m位は離れて話してる気がするから‥集中するとああなるのか。‥‥日本史苦手だったら良かった‥‥。

テーブルの上に散らばったテキスト類を全てしまうと、煉獄へお礼を言う。
肩へかけてもらっていたカーディガンは洗濯して返そうと思ったが、いらんと奪われてしまった。私が洗濯しても臭くならないよ!

「送っていこう」
「え?や、大丈夫です!まだ明るいし!」
もう不審者いないのに心配してくれているのか!優しい‥けど流石に悪い。

「用事が?」
「無いです」
「なら遠慮するな!」
「はいすみません!お願いします!」

外に出た途端にいつもの声の大きさになるものだから、勢いで乗ることになってしまった。‥‥申し訳ない‥。

「‥‥‥」
駐車場まで並んで歩く。
細かいことではあるが、実は隣を歩くのは初めてだ。何故かとても、‥とても、緊張する。煉獄は、恋人とどのような距離感で歩くのだろうか。‥手を繋いだり、するのだろうか‥‥。


ガチャリと鍵を開け、助手席の扉を開けてくれる。2年ぶりに乗る煉獄の車が懐かしかった。あの月光に照らされた彼の顔を、忘れた事は無い。

運転席の扉が開き、煉獄が座る瞬間。ふわりと彼の匂いがして、胸の奥がつんとした。
‥こんなに近くにいるのに、片想いなんだなぁ。手を伸ばしたら触れられる。だが触れたら終わりだ。拒絶されて、心は砕け散るだろう。


「夏休みは、受験の山場だな!」
グヘァ‥急に前向きな話題来た!シリアスな気持ちだったのに!
「はい!頑張ります!」
「うむ!いい返事だ!」

元気に話しながら、流し目にバックミラーを確認する煉獄がやたら格好いい。

「だが‥」
このたまに出す、穏やかな声にとても弱い。

「折角帰ってきたのだから、楽しむといい」
切り替えが大切だ、ということらしい。

「はい!炭治カ達と河川敷の花火大会に行くんです!初めてなので楽しみです」
宇髄ではないが、ヒャッとテンションが上がる。

ウィンカーの音がする。
「そうか!俺も千寿カにせがまれて、連れていく予定だ」
バッタリ会うかもしれんな、と。‥とんでもない朗報をなまえに突き刺し、教師はハンドルを右に切った。




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