#58

現在、17:50。
もうそろそろ自由時間が始まる。

善逸と伊之助は、あの二人が告白に呼び出しているらしいので、ロビーで炭治カと待ち合わせ、夜の古都散策に行く予定だ。
この部屋にいては、誰か呼びに来るかもしれない。時間通り、部屋を出よう。

ピコン。
「あ」

18:00ぴったり。炭治カから絶望のメッセージが届く。
"なまえ、ごめん!"から続く内容は、女子生徒に呼び出された、とても切羽詰まっている様子で何か相談したいらしいから放っておけない。終わったらすぐ連絡するから、部屋で待っていてくれ、との事だった。
それ告白だよ!

‥炭治カまで捕まってしまった。それはそうだ、彼は男女問わず人気者だ。そして誰かの相談を無下に断る事は絶対にできない。


なまえはふぅと息を吐き、手元のスマホで町の観光案内サイトを開いた。一人でも遊びに行こう、ここにいるよりマシだ。
とても美味しそうな甘味処を見つける。抹茶
飲んでみたい!大通りから外れていて、身を隠せるし。告白してくれる人には申し訳ないが、せめてバラけて欲しいからごめん!
何だか悪い奴らに追われているスパイの気持ちになってきた。よし、行こう!

「みょうじさん、呼び出しだよー」
なまえは膝から崩れ落ちた。
‥スパイ、ほぼオープニングで捕まったわ。





「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」


‥女子トイレにこもり、壁にゴツンと頭を打った。もう嫌だ。勇気を振り絞って気持ちを伝えてくれた相手にも悪いし、同じ日にまとめてこられて少しイライラしている自分にも嫌気が差してきた。自分が煉獄に、このように辟易とした気持ちでフラれたらどう思うだろう。最悪だ。私は酷い。

「痛い‥」
‥否、なまえは煉獄の都合を考えた上で告白するつもりだ。そもそも、卒業後、全く脈がなければ思いを伝えるかも怪しい。‥‥‥そろそろ‥‥‥、好意を少し、見せてみようか‥。
いや。‥‥‥だが、そろそろ自分の煉獄への依存も、限界に近い。


酷い顔をしている。鏡にうつったなまえは、眉を寄せ、口角は下がり‥泣きそうだ。情けない。


ガチャリ。
「あ、みょうじさん、」
「‥‥」
トイレに数人入ってきたので、入れ替わりに出たのだが。
入るところを見ていたのか?男子生徒が、遠慮がちに声をかけてきた。

はぃ、と蚊の鳴く様な声で答えたなまえは、白々しくどうしたの?と笑顔を作る。




ちょっと話があるんだ、と背を向けた彼に付いていくと‥そこは別館との間の渡り廊下だった。

少し落とした照明と薄暗い行灯で照らされた赤い絨毯が、老舗感と高級感を際立たせていた。少し寂しい雰囲気もあり、生徒が誰もいないので告白にはうってつけだと‥なまえは他人事のように考えた。


「入学式の日から、みょうじさんが好きだったんだ」
「えっ‥」

長い。彼は、筍組で同じクラスであった。そんなに話したことはないし、ドイツに帰ったときも、特に連絡も無かった。気付かなかった。
‥なまえが煉獄に恋をしていた全く同じ期間、彼はなまえに恋をしていたというのか。

辛いなぁ、と、なまえは目を伏せた。3年間、ずっとその人の事を考えて、想いを募らせて。その年月が、今拒絶されるのだ。自分の手で。


「ごめんなさい。」

男子生徒は暫く沈黙したあと、どうして、となまえを見た。
「他に好きな人がいるの?」


自分の唇が震えるのが分かった。今までずっと、避けてきた事だ。
自分が好きな人がいると知れれば、それなりに誰かは詮索される。数少ないなまえの接点の中から煉獄が見つからないように。ずっと隠してきた。自己防衛だ。
煉獄に知られ、チャンスを失うのが嫌だった。迷惑をかけることも、拒絶されることも怖かった。必ずふられると分かっていたから、告白はしないと決めていた。

だが‥‥‥さっき、心は決まった。もう、間もなく卒業だ。告白はまだ、しない。だが生徒のふりをし続けて、卒業後に青天の霹靂を彼に突き刺すよりは‥‥。気まずいまま、彼のみょうじなまえという生徒の記憶が終わるよりは。小賢しいやり方かもしれないが、少しずつ、貴女が好きだと‥滲ませ、彼の顔色を見て。迷惑なら身を引こう。


本当に彼が好きなのであれば。
彼を愛しているのであれば。
彼の気持ちを優先せねばなるまい。


‥好きな人がいるか、と問われた。
「うん、いるよ」
自分の声が、震えた声が廊下に響いたのを聞いた。


男子生徒が、息を飲んだのが分かった。

「‥やっぱり、炭治カ?」
あぁ、噂になってたから。
彼には苦労させてしまった。

「違うし、誰にも言わないよ」
「何で?‥じゃぁ、煉獄先生?」

‥しまった、と脳が震える。
同時に、自分の3年分の忍耐を、彼の単純なる興味で滅茶苦茶にされた気持ちになった。
‥そして、嘘でも違うとは、言えない‥。


「‥先生系はやめて。噂でも、迷惑かけたくない。」
「だって、先生と仲良いからさ、」
「あんな素敵な先生に恋人がいないはずないでしょう?迷惑だから、もうやめてね」

バイバイと、手を振って強制的に話を終わらせた。彼が去った後も、その場にしゃがみこんで動けなかった。

本館の方面からは、ガヤガヤとした生徒たちの話し声が聞こえる。あそこに戻れば、あと2人‥断らなければならない。時間までここにいようか。




「何で避けるの!?」
「!?」

突如聞こえた大声に、ビクリと肩が跳ねた。この声は、煉獄に想いを寄せる女性教師だ。別館の方から。これは‥。


「仰る意味が分かりませんな!」
煉獄の声だ。え?ここから、煉獄の声が聞こえるということは、まさか‥‥。

「飲み会も来ないし、LNEも返さないし。私を避けてるんでしょう!?」
彼女は興奮しているようだ。

「すみません!気付かず!では!」
「待って!」


なまえは、ハッと顔を上げた。まずい、先程の会話を聞かれたかと‥ショックを受けていたが、そんな場合ではない。これはあれだ、聞いちゃダメなやつ!

そろりと腰を上げる。あー!脚が痺れている!


「私の事、嫌いなの‥?」
弱々しい声が聞こえた。彼女が煉獄を引き留めている様が目に浮かんだ。

「先生に関しては、何の感情もありません!では!」
「私は好きなの!」


あぁ、限界だ。もうこれ以上聞いてはならない。煉獄の率直すぎる受け答えにはぎょっとしたが‥、これはダメだ。盗み聞きは。


「俺は先生を好きにはなりません。これで最後です。では。」
煉獄の感情の無い声が聞こえた瞬間と、よろよろと足を踏み出したなまえが、絨毯の皺に引っかかったのは同時だった。


「モブッ!!」
バターン!!


「あなた‥!」
バタバタと、足音が聞こえた瞬間‥鼻を押さえたなまえは、青ざめた女性教師と目が合った。

「聞いてたの!?」
「何をですか‥?いたた、」

嘘をついた。
鼻と膝を擦りながら、起き上がる。隣の花瓶に引っかけなくてよかった。高そうだ。‥などと考える程度には、この状況に緊張していた。


「みょうじ!転んだか!」
「煉獄先生‥」

後ろから来た煉獄が、女性教師の横をス、と通りすぎ、‥なまえへ手を差し伸べた。


「転びました‥」
転んだのを知られたのは恥ずかしいが‥先ほどと違う優しい声に安堵し、ふわふわと、その手を取る。

ぐっと引き上げられる。今度はちゃんと、適切な力加減だった。


「‥‥‥」
赤い瞳にじっと見つめられ、汗が出る。
本館からの生徒達の笑い声が遠く聞こえた。


「みょうじ、」
ちょいちょい、と手招きされ、踵を返す煉獄の背中を慌てて追う。


「煉獄くん!」
女性教師の横を通り過ぎた時、彼女が煉獄の背中のシャツを掴‥‥‥
「!」
‥めなかった。煉獄が勢い良く振り向き、そのまま二歩ほど後退したからだ。


「何か!」
先ほどあんな事があったのに、しっかりと対応する煉獄は大人だ。言い方にも嫌な感じがしない。
‥割りと露骨に避けたのは驚いたが。捕まれてしまった方が空気は悪化するだろうが‥。


女性教師はなまえを鋭く睨むと、一歩前に出る。

もうやめて、と‥なまえは思った。煉獄の為では無い。もう彼女がこれ以上、傷を増やすのを見たくなかった。もはや現在の彼女は、執着と嫉妬の濁流に飲まれ、理性を失っているように見えた。‥元々の人格を知らないけれど。誰もが、一歩間違えれば彼女のように、壊れてしまうのではないか。


「みょうじさんを構うのもいい加減にしないと‥勘違いされるわよ。ストーカー被害に遭ったから、気にかけているだけなんでしょう?」


フゥ‥と、煉獄が息を吐く音がした。

「その話はやめろ」
ビクリと、体が強張る。

‥あぁ、煉獄を怒らせてしまった。体中に悪寒が走る。優しい煉獄に、こんな冷たい声を出させるとは‥

彼は、自分の事で怒ったりしない。なまえを巻き込んだから、件の事件を思い出させるような事を口にしたから、怒っているのだ。 

「勘違いしているのは貴女の方だ。俺はそんなにお人好しでは無い。」


‥普段微笑みを絶やさない男の、怒気を帯びた冷たい視線に耐えきれず‥女性教師の目に涙が浮かんだ。顔は絶望し、悲しみにうちひしがれていた。


「行こう、みょうじ」
煉獄は静かに告げると、別館へと歩いていった。



- 58 -
*前戻る次#
ページ: