#59

"ストーカー被害に遭ったから、気にかけているだけなんでしょう"
と、女性教師は言った。
本当にそう思っているのか、或いは願望か、なまえへの牽制か‥。


だが生憎、なまえはそんな言葉に傷つくほど期待もしていなかったし、煉獄の事を知らない訳では無かった。


‥3年間、煉獄との関係性について‥もう300回悩み、熟考してきた。煉獄がなまえに、ある程度心を許し‥炭治カと同じくらいには、可愛がってくれている事は‥分かる。

確かに、春に何度か‥煉獄の瞳に後悔と不安を見た過去もあった。だが今は‥少なくとも悔恨の情は、感じない。


更に、煉獄のこれまでの行動から、勘違い‥つまり、彼が自分の事を好きなのではないか‥、などという期待をした事など、一度たりとも無い。
煉獄は、とにかく清廉潔白である。今までの全ての場面において、彼から劣情を感じた事も無ければ、例えば嫉妬や何かしらの欲を見たことも無い。彼が万が一、なまえを好きで優しくしてくれるのであれば‥そこには必ず迷いが見える筈だ。彼であれば。教師と生徒という立場に悩み苦しむ筈であり、こんなに曇り無き明るさで堂々と接してくる事は無いだろう。


「散歩をしよう!」
「へ?」

なまえを別館に待たせ、広げていたPCやら書類やら‥仕事道具のような物をフロントへ預けた煉獄から、予想外の言葉が出た。散歩?わんちゃんなの?

ぽかん、と目を丸くしていると、煉獄は眉を下げて「その格好で寒くないか?」と首を傾げた。


‥今日は、オーバーサイズシャツにスキニーパンツを合わせている。シャツはお腹だけ軽くパンツに押し込んでおり、店員さんに習った通り首もとを引っ張り、うなじと鎖骨をチラ見せする気合いの入れようだ。‥寒いかな?

一応ストールを持ってきますと言うと、煉獄は別館の奥を指差し‥

「では、この突き当たりの出口で待っている!」
にこりと微笑んだ。




ストールを適当に羽織り、別館へ向かいながら、ふと考える。散歩かぁ、どこ行くんだろ?

散歩。
‥散歩!?煉獄先生と二人で!?

何故だ、何だ!?
煉獄がなまえを誘ってくれたことは、勿論一度も無い。何故誘ってくれた!?何のために?

「‥‥‥」
落ち着け、落ち着け。煉獄は、なまえが別館近くにいたから、メンタルがやられて助けを求めているのだと、心のケアをしてくれようとしているのだ。それで気分転換に散歩に。うん、散歩っていってもこの旅館の庭園だろうし、結果的にメンタルはやられたから、有り難くお言葉に甘えようではないか。


「お待たせしました!」
小走りで別館の出口にむかうと、煉獄は壁にもたれてスマホを操作していた。ほの暗い廊下の行灯に照らされた美しい横顔が、‥‥っていうか私を待つ煉獄先生とか夢かな!待ち合わせとかっ‥!緊張してきた!!


「今日は満月だな!」

砂利を踏みしめながら、並んで歩く。二人で歩くのは夏祭り以来だ。でもあれは、たまたまで、これは、‥‥‥いや、考えちゃダメだ。煉獄先生の暖かいご厚意を、謹んで享受しなければ。

そうですね、と言いながら‥月を背負った煉獄先生も綺麗だなぁなどと邪念が凄い。


「この辺は出張でたまに来るんだ!」
言いながら、煉獄が旅館の敷地から出た。
‥出ちゃった!?

「あれ?どこか行くんですか?」
てっきりお庭を見て回るものと決めつけていたなまえは、思わず話を遮ってしまう。

きょとん、と目を丸くしてこちらを見た教師は‥
「うむ!行く!」
と言い、さらりと手を上げてタクシーを止めた。‥散歩は?




乗り込むと、タクシー特有の匂いがした。乗ったことは殆んど無いが。

バタン、とドアが閉まる。後部座席に二人‥何か、緊張するんだけど初めてではないような‥はて。

「‥‥‥」
運転手に行き先を告げる煉獄の横顔を見る。知らない場所だ。この町では観光予定が無かったから、あまり調べなかった。

「今から行くところは、ご出張でも行かれたんですか?」

窓から外を見ていた赤い瞳がこちらを見る。暗闇のなか、対向車のライトや店の明かりが彼の瞳にうつり‥‥普段と同じように口角を上げた横顔の、‥色気が酷い。思わず肌が粟立つほどに。

「いや、行ったことは無い!一度行ってみたかった!」
「わぁ、楽しみです!どこだろう!」
善逸ではないが、ふわふわしてしまう。
煉獄先生が行きたかった場所って何だろう!
もう夜だから、寺などは閉まっているだろうし‥





「‥‥‥凄い‥」

目的地に着くと、なまえは口をあんぐり開けて固まった。長い一本の砂利道の両端には、濃藍の天をも貫く勢いで凛とそびえる竹が、視界の全てを覆い尽くしている。竹はそれぞれ色が異なり、若竹色、老竹色、青竹色‥様々な色が混在し、その全てを投光器が美しく照らしていた。ライトアップ、というのか。

「勝景だな!」
上を見上げながら歩く煉獄の頬に、投光器の光がぼんやりと射した。まるで絵画のようだと思った。寒色系の景色に炎が浮かぶ、その神々しい情景が胸にじわりと焼き付いた。

平日のせいか、人はまばらだ。足音が響くだけの、静寂が心地いい。



「無理矢理連れ出してすまない。君は、きっと喜ぶと思った」

そう言って目を細める煉獄を見上げ、なまえは一度瞬いた。

‥無理矢理‥では勿論無いが、思えば煉獄は、あの時間が告白タイムだと知っている筈だ。ならば、なまえが好きな人から告白される、ないし告白するチャンスを奪うかもしれないと‥煉獄であれば、考えない筈が無い。

であれば、やはり彼はなまえが別館付近にいたことから、逃げてきたと解釈したのだろう。それはとても有難い事だ。ストーカー案件と違ってなまえの身の危険は殆ど無いのに、こんな所まで連れてきてくれるとは‥。


「‥凄く、楽しいです。こんなに美しい景色を見ることができて、嬉しいです。」

本心が、薄っぺらく聞こえないように、気持ちが伝わるように‥しっかりと、煉獄の目を見て言葉を紡いだ。この美しい景色には、勿論煉獄も含まれているのだが‥偽りはない。


「君が‥‥、以前も言ったが。‥君が笑っていると、俺は嬉しい。」
赤い瞳が一度足元を見‥なまえへ戻る。


唇の熱を思い出し、ドクリと心臓が鳴った。

「煉獄先生、」

だが、いつまでも"守るべき生徒"として認識されていては、前へ進めない。
なまえはどう伝えていいものか思案し‥、足を早め、煉獄の斜め前で、彼に向き直った。

煉獄も足を止める。

「‥私、日本に戻ってきてからずっと幸せです。人並みに、悩みはありますけど‥でも、毎日楽しいです。ニヤニヤ過ごしてます。あの頃の弱みょうじじゃありません。」
‥んーーー言い方変だぞ?テンパってるな、自分。


ぱちりと、煉獄の大きな瞳が瞬いた。
「うーん」と、口角を上げて何かを思案した彼は、
「座ろう」
と、広まった場所にあるベンチへ腰かけた。


「‥‥‥‥」
ここが折り返し地点らしく、円形の空間は、360°竹に囲まれている。まるで‥自身がたった一人、竹林に迷いこんだかの如く。圧巻の迫力であった。


「難しく考えているようだが!」
「!」

急に授業中のような快活さで話すものだから、びっくりして隣を見てしまう。
煉獄の赤い瞳は、真っ直ぐ前方の竹を見つめていた。

「君に心配するなと言われてから、心配はやめた!君が以前、幸せだと言った言葉も、疑っていない!」

‥‥以前に「幸せ」なんて言ったっけな?
言った気もする‥が、思い出せない。


なまえが記憶を辿っていると、赤い瞳が急にこちらを見た。二人掛けのベンチだ、近距離で目が合うと、‥緊張して思考が止まる。


「それでも、俺は嬉しい。」




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