#66

「着替えるか?」
混雑に巻き込まれぬよう、閉会の言葉の最中に煉獄と抜ける。確かに何人かの視線を感じたが、自分へのものか、格好いい煉獄へのものか‥なまえは判別が付かなかった。

「いえ、もうこのまま帰ります」
歩いて帰るなら流石に制服に着替えるが、恐らく煉獄は車だろう。であれば、待たせる事は避けたい。


「先生、やっぱり、私、大丈夫ですよ。ナンパはスマホ忘れたの一点張りで‥」
それに、そもそも申し訳ない。たかがナンパごときで、煉獄の手を煩わせるのはいかがなものか。

そう言って彼を見上げると‥煉獄の腕が伸びてきた。
「!」
骨張った手がなまえのジャケットを掴み、ジッパーを閉めていく。

‥ゾクリと、胸が痺れた。脱がされている訳ではない。逆だ。それなのに‥‥

「肌の露出は控えて欲しい」
だが煉獄は、なまえの断りも動揺もさらりと交わし、美しく微笑んだ。





ガチャリと、煉獄が助手席の扉を開いてくれる。座った後、荷物を後部座席に置かせてもらったことを後悔した。
‥ホットパンツが座ると上にずれ、太ももが丸出しだ。ジャケットが上から被さり、まるで何も履いていないように見える‥‥いやこれアウトだな。完全に露出狂だ。だからといってジャケットを脱いで膝にかけたら、上半身が真夏のパリピみたいになってしまう。
‥まぁ車内は暗いし見えないだろう。


バタンと、運転席の扉が閉まる。前回も思ったが、この時煉獄の香りがふわりと香るので、必要以上に意識してしまうのだ。密室で、二人きりであると。‥‥悲しいことに、相手は毛ほども気にしていないようであるが‥。


「君は大丈夫というが!」
「!」
サイドレバーをガコンと動かし、車が動き出す。暗闇に光る赤が変わらず美しい。

「俺が大丈夫ではない!」
「え?」

快活な話し方に意識が行くが、要は‥‥凄く、心配してくれているということか。いつも申し訳ないと思う傍ら、嬉しいと思ってしまった。修学旅行の時といい、些細な‥‥

「‥‥‥」
え?まさか、娘だと思われてる?
ゴインと、上からタライを落とされた気持ちになった。考えたこともなかったが‥
待って待って‥まさか卒業を目の前にして、娘ルート突入なの?

「あの‥」
「なんだ!」

教師に、こんな下らない質問をして良いのだろうか。いや今しないと今夜は眠れそうにない。

「煉獄先生、もしかして私の事‥娘か、妹みたいに思ってます‥?炭治カには、完全に妹だと思われてるみたいで‥」
‥はぁ、私は憧れの人に何を聞いてるんだ。調子に乗って、彼のテリトリーに足を踏み入れすぎなのではないだろうか。

「娘か‥」
‥珍しく煉獄が真顔で思案するので、なまえは不安になる。ウィンカーを出して右折する横顔を、じっ‥と見守った。

「‥うむ、ないな!」
‥何をそんなに熟考していたのだろうか?しばらく走行し、赤信号で停車するまでの沈黙の中、合否を告げられる受験生の如く緊張してしまった。ほぅ、と力が抜ける。

「俺は、親心でみょうじを心配しているわけでは無い」
「そうですか!」

心の中で胸を撫で下ろすなまえへ、煉獄が顔を向ける。
「嬉しそうだな!」

おっふ‥無自覚だったが、これはストレート過ぎただろうか?だが煉獄の表情に特段の変化は無い。もしかして、はっきり好きだと言わない限り、気付かない?

「‥伊黒は、そうかもしれないがな」
車が発進する。煉獄は、運転が上手い。発進も、停車も、摩擦を感じない。

「伊黒先生には、ペットと思われている気がします」
「ははは!ペットか!あり得る!」
あり得るのかい!

煉獄先生が笑ってくれたので、何だか幸せな気持ちになるが‥そしたら私、鏑丸くんの妹かな。

「催涙スプレーの出番はあったか?」
「ありませんよ!‥でも、有り難く毎日鞄に付けて登校してます」

煉獄が、小さく笑った。
「そのようだ!妬けるな!」
(え?)

何でも無いように言うと、煉獄はサイドブレーキを引いた。
「‥‥‥」
‥もう少し、言葉を選んでほしい。表情から察するに、彼はきっと何も考えずに言ったのだろう。だがこちとら煉獄ガチ勢3年目なのだ。貴方の一挙手一投足を、胸に刻んでいるのだと‥言いたい。


「ありがとうございました」
いつの間にか、マンション横に着いていた。なまえはお礼を言う。

「あっ」

運転席の扉に手を掛けていた煉獄が、なまえの声で振り向いた。
どうした、とこちらを見る煉獄の、頭頂部あたりに‥先ほどてんとう虫が止まったのを見た。学校から一緒に乗ってきたのだろうか?


「先生、頭にてんとう虫が」
「てんとう虫?」

首を傾げる教師へ体を向け、座面に膝だちになる。そっと取らなければ、潰されてしまう‥

「少し、こちらに来ていただけませんか?」
煉獄が体をこちらへ前傾させなければ、頭のてっぺんが見えない。

「‥‥‥」
煉獄が、なまえの方を向き助手席側へ体を傾ける。なまえはシフトレバーの横に膝を付き、煉獄の頭に手を伸ばした。

体が接近する。教師の体が、ギクリと強張るのを見た。
‥煉獄の顔は、なまえの胸の前にある。セクハラで申し訳無いが、ジッパーも上まで上がっているし、‥あぁ、太もも丸出しだった。

「いた!」
‥だが煉獄ほどの美丈夫であれば、大人の女性のあれやそれをいくらでも知っているだろう。娘か悩んでいた位だ、こんな未成年に接近されたとて、何かを思うことはあるまい。

‥そんな事をぐるぐる考えながらも、てんとう虫は無事救出された。人差し指に乗せ、ほら、と見せようとした‥瞬間。

上げていた手首を掴まれた。振動で、てんとう虫は後部座席の方へ飛んでいく。
真下の煉獄が、顔を上げる。近い。互いの吐息がかかる位に。

空いている反対側の手が、なまえの頬を包む。
暗闇の中、煉獄の赤い瞳がギラリと揺らめいた。何だ、この目は‥?見たことが無い。こんな、鋭い光は‥

ギシリ、とシートが軋む。煉獄が腰を浮かせた。
「せんせ、」
「‥‥‥!!」
なまえの声に、煉獄がハッと目を見開いた。

ゴンッ!!
「ぎゃー!!!」

‥次の瞬間、刹那に身を引いた煉獄がハンドルに額を強打し、クラクションが鳴った。
なまえは思わぬ爆音に思わず尻餅をつく。
前に車がいなくて良かった。路駐した車からクラクションが聞こえ、歩道を歩いていた人が驚いているのは見えたが‥‥


「煉獄先生、大丈夫ですか!?」
どうした、何があった!?

‥ハンドルに突っ伏したまま起き上がらない煉獄を心配し、肩に手を乗せる。
ビクリ、と肩が震え‥教師は顔を上げた。

「先生‥」
‥目を見開き、酷く困惑した顔をしている。
こんな表情は、初めてだ。

「先生、具合悪いですか‥?」
いよいよ心配になり、煉獄の顔を覗き込む。

は、と‥我に返った様子で、煉獄は運転席の扉を開けた。

(どうしたんだろ‥)
後部座席の扉が開き、荷物などを取り出している。なまえは慌てて助手席から降りた。


「今日は疲れただろう、勉強はほどほどに、早く休むといい!」
荷物を渡してくれた煉獄は、感じのいい笑顔だった。いつもと変わらない‥いや、何かが違う‥?

「ありがとうございました!おやすみなさい」
何だか、おやすみなさいって言うとデート終わりみたいだ!‥などと内心喜びながら、頭を下げる。

「ああ、‥おやすみ」
車の行き交う音。往来を過ぎる人々の話し声。

煉獄は口角を上げ微笑んだ後‥何かを考え込むような顔をして、車を発進させた。



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