#76

進路面談の日が来た。


何故か煉獄が、名前順ではなく席順で日にちを割り振ったので、なまえは炭治カの後、伊之助の前であった。

緊張しつつ、生徒指導室を目指す。
ちなみに、煉獄とはあの電話以来、特段話していない。彼はなまえと違い、件の出来事に対して気にする素振りは微塵も見せず、全くいつも通りであった。なまえはそれが有り難くもあったし、不安でもあった。あれは自分の願望が見せた幻なのではないか、とまで考えるほど‥現実味の無い事態であったからだ。何か実感が欲しかったが、あるのは年末の着信履歴だけであった。


「あっなまえ、おまたせ〜!」
ガチャリと重い扉が開き、生徒指導室から炭治カが出てきた。壁が分厚いので内容は聞こえなかったが、到着してからよく笑い声が聞こえていた。仲良しだなぁ。何となく分かるけど。

コンコンとノックをすると、「どうぞ!」と元気な声が聞こえた。あぁ、緊張する。



「失礼します、」
宜しくお願いします、と言いながら、煉獄の正面のソファに掛ける。改めて、煉獄の顔を見ると‥‥‥端整かつ華やかで美し‥は置いておいて‥‥、この人が、自分を好きかもしれない、と思うと。恥ずかしくて、緊張して、逃走したくなる。

煉獄は‥完全に教師の顔だ。うむ!と言いながら手元の書類を一枚捲っている。あ、なるほど、進路調査の紙を席の後ろから集めたから、そのままの順で予定組んだのか。効率的‥!


「みょうじは大学進学だな!志望校は変わっていないか?」
片手で書類を見ながら、煉獄が話し始める。

「はい、帰国子女枠の方は受かったので、」
「そうか!!おめでとう!!!」
「ヒィ!」

耳がァァ!!今の絶対廊下まで聞こえたわ!
煉獄はニコニコしながら何かを書き足している。そういえば、色々あって報告していなかった。というか、親にしか報告していなかったので、おめでとうと言われて何だか嬉しくなる。


「ありがとうございます。でも本命はこっちの大学なので、このまま受験しようと思います」
「そうか!みょうじの成績なら問題ないと思うが、模試の判定はどうだ?」

煉獄があまりにもいつも通りである為、なまえは段々と緊張が解れる。憧れの人と話している、という意味では‥リラックスはできないが。

「‥分かった、では次に‥ん?」
ブブ、と、バイブが鳴る。失礼、と煉獄がポケットからスマホを取り出し、横目で確認している。こういう時でも変わらず口角が上がっていて、とても印象が良い。



「‥‥‥‥」
‥と思ったら、急に真顔になった。ぱちり、と煉獄が瞬く。そのまま立ち上がり、机を迂回してこちらへ来るものだから、なまえは驚いて立ち上がった。

「どうされました‥?」
何だ?何の連絡が来た?え、まさか‥なまえの家に空き巣が入ったとか!?


真剣な表情の煉獄に、緊張と不安がよぎる。
「これは‥本当か?」
「え?」

見せられた画面には、以下のメッセージが表示されていた。


"兄上、みょうじ先輩がドイツに帰らないように説得してください。考えてる、と仰ってから連絡が無くて‥何かあったのでしょうか?"

千寿郎くんんんんん!!!


冷や汗をかくなまえに、煉獄がゆっくりと近づいてくる。お、怒っている‥?

「帰るのか?」
「いや、あのっ‥」

あの時とは状況が変わった、説明しなければ‥と脳内で言い訳を組み立てるが。

「日本にずっといると」
後ずさるが、狭い個室だ。すぐに背中が壁に当たる。

「俺に好きだと言っておきながら」
「‥‥‥‥っ」


じり、と距離を詰めた煉獄は、片手でなまえの顎を上げた。至近距離で見つめられ、顔に熱がかけ上る。

もう、煉獄との物理的距離はゼロだ。前に出ていた足の間に煉獄が脚を入れ、腰のベルトがなまえの腹に当たった。

「あの‥っ」
パニックになったなまえが、両手で煉獄の胸を押して距離を取ろうとするが、抵抗虚しく。真上から見下ろす赤い瞳に、鼓動がはち切れんばかりの警鐘を鳴らした。

距離が、距離がおかしい。この艶かしい雰囲気は何だ。煉獄が、こんな風に女性に迫るのを‥想像した事も無かった‥


「かっ‥、帰りません!」
もはや、拷問だ。煉獄の低い声と密着した下半身に耐えきれず、なまえは目を瞑り下を向いた。顔は真っ赤で、どうにかなりそうであった。

「‥‥‥‥‥」
煉獄は、沈黙している。
頭上から痛いほどの視線を感じ、もはや言葉を選ぶ余裕など無かった。


「煉獄先生がっ、‥側にいると言って下さったから、‥行くのはやめまし‥た‥」

両手が触れた男の胸の固さに目眩がした。異性の体に、このように触れたことなど無い。
目を開いたら、卒倒してしまいそうだった。ぎゅっと目を瞑り、震える声を何とか絞りだす。


「‥わかった」
「‥‥‥」

ス‥と離れた体温に安堵し、恐る恐る煉獄を見上げる。眉を下げた煉獄が、ぷにりとなまえの頬をつついた。

「‥その顔は、俺以外に見せるなよ」
「‥‥‥顔」

優しい声と、煉獄が背を向けた事に安心し、ほぅと息を吐いた。そんな酷い顔だったのか‥。自分的にも、毛刈り前の、お腹出された羊くらい震えた気はするが‥。




「ありがとうございました」
それから、受験のスケジュールや学校への出欠の取り扱いなどを話し、面談は終了した。

ガチャリ、と扉を開くと、伊之助が「セーフ!」と言いながら走ってきた。

もう既に、廊下は薄暗かった。電気が二、三回瞬き灯される。確か、今日は伊之助で最後だ。

「なまえ!今日は、煉獄先生か!?」
一回目の進路面談は、教師の都合で副担任だった。掃除で埃を撒き散らし、伊黒の怨みを買った伊之助は、面談中ネッチネチやられてご不満だったらしい。

「そうだよ!」と言うと、やったぜ!と言いながら、ノックもせずに入っていった。伊之助も煉獄先生好きだよね。いや、煉獄先生嫌いな人いないか‥。


よし、寒い中頑張って帰るぞと、蓬組の教室へ戻ると‥炭治カが待っていてくれた。

「おかえり!なまえ、帰ろう!」
家へ帰ると弟たちがうるさいんだ!などと嬉しそうに微笑む炭治カは、きっと家の手伝いも兄弟の世話もこなしつつ、勉強を頑張っているのだろう。尊敬する。


「もうすぐ卒業だねぇ」
薄暗い帰り道、今後について話をした。
受験期間中は、受験組はほぼ選択授業のみになる。出欠も気にしなくていいと言われたが、何だかとても寂しい。煉獄に毎日会えるのも、もうあと数ヶ月であるのに。


「あぁっ!!みょうじ先輩!!」
「!」

煉獄邸が見えた時。掃き掃除をしていた千寿郎がこちらに気付き、走ってきた。遠目にも分かる。ニッコニコだ。

「兄から聞きました!ドイツ行き、やめて下さったんですね!!」
あまりに嬉しかったのか、勢いよくなまえの手を握り、ぶんぶんと振っている。あ、炭治カさんこんにちは!などと言いながら。

「あはは、うん、やめたよ。心配かけてごめんね!」
よしよし、と、頭を撫でると、彼はまた真っ赤になって後ろに飛び退いた。あぁぁふわふわだ‥!見た目通り‥!


こんなに心配してくれてるなら、もっと早く連絡してあげれば良かった。再び帰路に着いた後も、千寿郎は嬉しそうに手を振ってくれた。

なお、ドイツ行きの件が寝耳に水だった炭治カが、真ん丸な目でなまえを見つめ続けるので‥言い訳が大変であった。



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