#78

「失礼します」

とある日の放課後。日直であるなまえは、善逸と共に職員室へ来ていた。


「煉獄は今不在だ。俺が受け取ろう」
伊黒のデスクへ赴き、日誌を渡して頭を下げる。

「あれ?」
その瞬間に、デスクの上、折り畳まれたハンカチの上に、鏑丸が丸くなっているのが目に入った。珍しい。

「‥‥‥」
教師を見ると、うんざりした顔でため息をつかれた。

「みょうじがハンカチを返してきてから、机の上ではずっとこの状態だ」
どうしてくれる、と。伊黒はなまえを睨む。

「え‥鏑丸くんが、私の匂い気に入っちゃったって事ですか?」
「皆まで言うな」

なまえは嬉しくて口元がにやけるのを感じる。
「今度、伊黒先生のハンカチまとめてうちで洗濯しま(ズビシッ)」

‥言い終わる前に、指を4本付き出した伊黒の手が額に突き刺さった。

「ああああ何て事を!鬼!悪魔!」
後ろに隠れていた善逸が、血相を変えてなまえの前に体を滑り込ませる。

善逸くん、ありがとう‥でも私、他の先生からも色々くらってるから平気!





「失礼します」
職員室を出て、すぐの階段を上ろうとした時。

「煉獄先生!」
「!!!」

ソプラノの声が聞こえ、善逸の肩がビクリと跳ねた。
なまえは不思議に思いながら、そのまま防火扉の影に隠れた彼に着いていく。‥いた。黒髪ロングのミス☆キメツが‥。

隣にいた善逸が煉獄の背中を見て、うわっ、と‥呟いた。どうしたんだろう。


「少し、相談したいことがあって‥時間くれませんか?放課後とか‥」
煉獄にもなまえの事を言うつもりなのか、バレンタインより前に告白するつもりなのか。
隣の善逸は、再びギリギリと歯を食い縛っている。てか何で覗いてんの私達。

「時間は無い!俺は忙しい!」
(エェーーーーー!?)

煉獄の元気な200キロのストレートが、ミス☆キメツと覗きの二人に刺さった。嘘でしょ!?にべもない!


‥これは‥これは拒否だ。1年の頃、まだ全く友好度が高くなかったなまえに‥彼は言った。
"何かあれば、遠慮せずに相談してほしい。俺でなくても、担任の悲鳴嶼先生でもいい。"と。
それが彼のスタンダードな返答だ。彼は‥何を相談されるか、知っている‥?

「で、でも‥とても悩んでいて‥」
予想外の言葉に狼狽えた女子生徒は、弱々しく食い下がる。

「担任に相談すればよいだろう!この話はこれでお終いだな!」
そういって大股で職員室へ向かう煉獄から見えないよう、慌てて壁に張り付く。忍者か。


「「‥‥‥‥」」
階段を上りながら、善逸が震えた声を出した。

「煉獄先生、怒ってた‥。めちゃめちゃ凄い音してたもん‥」
「‥あの子、怖かっただろうねぇ‥」

相手が他人であっても、やはり冷たい煉獄を見ると怖いと感じる。それほどいつも、暖かい人なのだ。


「‥なまえちゃんはさ、本当優しいよねぇ。喧嘩とかしたことある?」
善逸は眉を下げた。優しいわけでは、ない。今回は、磐石なこちらの陣地に相手が丸腰で突っ込んできただけだから、気にしていないだけだ。もし入学そうそうで友人もいないまま、同じことを先輩にやられていたら‥孤独感で、泣いていたかもしれない。それか‥決闘を‥申し込む?

「どっちかっていうと拳で語り合うタイプ」
「あらやだ!俺なまえちゃんになら殴られてもイイ!っていうか‥ドキドキする!!」
何かに目覚めちゃった!

嘘だよ!と言っても、何故かゾクゾクし始めた善逸は聞いていなかった。帰ってきて!






(‥どうしようかなぁ)
その日の放課後。

高級デパートの食品売場にて、なまえは真剣に悩んでいた。
普段来ることの無い格式高い老舗デパートは、取り扱うチョコレートも高級なものばかりだ。ツヤツヤと輝く宝石のようなそれらをショーケース越しに眺め、ふぅと息を吐く。

手作りにするつもり満々でギフトボックスだけ購入したはいいものの。煉獄のような大人の男性には、ブランドチョコの方が合っているのではないか‥などと悩んでいるのだ。

高校生同士であれば、少し見てくれが悪くても手作りは喜ばれる‥とは思う。ただ、相手は煉獄なのだ。美しい容姿に、上品な言葉遣い、仕草‥服のセンスも抜群で、そのどれもに手入れが行き届いている。つまり完璧、高嶺の花なのだ。男性だけど‥。
‥その人に渡すのに相応しいのは、ここに並んでいる高級チョコだ。見た目的には。

真っ赤でつやつやなハートが真ん中に位置した、五粒入り。まるで宇宙のような繊細な模様に星の煌めきが再現された、三粒入り。あの人気の煉獄だ。きっと子供の頃から、散々チョコを貰い、告白されてきたのだろう。大人の女性からも‥そう、夜景の見えるレストランで‥相手は真っ赤なルージュに胸元の開いたセクシーなドレス、肩にファーを羽織り‥誰だそれは!‥怖い!自分の妄想力が怖い!


だが。
"うまい!わっしょい!わっしょい!"
焼き芋をニッコニコで食べていた煉獄を思い出す。可愛いかったなぁ‥‥
「‥‥‥‥‥」

‥うん、手作りにしよう。先生は毎年30個位チョコを受け取っている。既製品より手作りの方が、目立つのではないだろうか‥。そう考えてる人多そうだけど‥それでも!三年分の思いを詰め込め!!

なまえは決意して、老舗デパートを後にした。





さつまいも、生クリーム、チョコレート。家に無い材料を買い足して、帰路を歩く。
容器に仕切りを入れて、小さく丸めたチョコと、スイートポテトを入れよう。可愛くリボンを結んで‥‥‥

「あっ」
足取り軽く歩いていると、煉獄邸の前に‥教師の車が横付けされているのを見つけた。

わぁー先生今来てるんだ!
この短い通過時間で会えるわけではないが、何だか同じ場所にいるというだけでとても嬉しい。
でも、駐車せずに横付けは珍しい。
すぐ帰るのだろうかなどと考えながら、ゆっくり歩いていると‥


「ん?」
「先生!」

冬の夕空は、一瞬だ。淡い茜色がキンと冷えた空気を覆ったと思えば、すぐに闇が降りる。その狭間の瞑色に燃える焔が、じわりと胸を焦がした。


「みょうじ!今帰りか!」
すぐに車に乗るためか、コートを脇に抱えている。あぁ、帰りはジャケットも着ているのか。ビシッとして格好いいなぁ‥。

「はい、‥あ」
嬉しくてにこにこしていたら、返事をし終わる前に荷物が奪われた。

「家まで送ろう!」
言うなり荷物を後部座席へ置いて、助手席の扉を開く。大丈夫ですとか、遠慮する時間は一秒も無かった。


バタンとドアが閉まり、煉獄がシートベルトを締める。ベルトを差し込む際に、彼がこちらへ体を向けただけでドキリと胸が跳ねた。私の免疫どうなってんの。仕事しろ。

「‥‥‥‥」
だがこれは願ってもないチャンスであった。バレンタインの日、なまえは入試で登校しない。煉獄に、どうにかチョコを渡す約束を取り付けたいのだ。こちらから私用で電話をかけるのはどうしても気が引けたし、校内でそんな話はできなかった。


「あの‥!」
「なんだ!」

あちこちに目が泳ぎまくるなまえと対照的に、しっかり正面を見据えた煉獄が快活に返事をする。‥忙しい!とかいって断られたらどうしよう!あああ緊張する‥!

「あの!」
「どうした!」
脳内で煉獄先生(猫)がニャーと鳴いた。

「14日なんですけど!」
「14日が、どうした!」

ぐぅぅーーー!爽やか!
いくぞー!
‥拳を握り締める。

「着いたぞ!」
「早っ」
タイミング!!
なまえは両手で顔を覆った。車はいつの間にか、マンション横に停車している。

「みょうじ?」
サイドブレーキを引いた煉獄が、こちらを見つめているのが分かる。今しかない。

車内は暗く、マンションの明かりがぼんやり差し込むだけだ。暗闇の中に浮かぶ赤は、何故かいつもゾクリとする。


なまえは顔を上げた。
「‥私、試験で登校しないんですが!夕方学校へ行くので、どこかでお時間いただけませんか?バレンタインチョコを渡したいです!!!」


「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
言えた!勢いで押した感あるけど言えたよ!

ドキドキと、緊張しながら煉獄の顔を見つめる。きょとんとした彼は、しばし沈黙した後‥口角をきゅっと上げた。


「みょうじが俺にチョコをくれるのか!嬉しい!」
「ぎゃっ」

密室ということもあり、映画館のような音量で聞こえた返事に飛び上がるが‥
喜んでくれたらしい!やったー!!

耳を押さえるなまえを横目に、煉獄はスマホを取り出すと‥学校の施設予約のページを見始めた。暗闇で突如照らし出された赤い瞳が明るく光る。色素が薄まった淡い赤もまた綺麗だ。

「17時なら、生徒指導室が空いているな!来れるか!」
「はい!ありがとうございます!」
わぁぁぁ約束してくれた!嬉しい!!

勢い良く返事をしたなまえににこりと微笑むと、煉獄は運転席の扉を開けた。

「試験、頑張れ!応援しているぞ!」
荷物を受け取り、お礼を言う。

「おやすみなさい!」
「おやすみ!」


(バレンタインに会える!)
煉獄と別れ、ふわふわと自宅へ戻る。バレンタインに約束‥!何と言う特別感‥!しかも、試験も応援してくれた。

幸せな気持ちで手を洗い、買った食材をしまう。
「あ」
ふと棚を確認すると‥砂糖が無い事に気付いた。翌日もスーパーに行くことになったが、1ミリも苦では無かった。



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