#81

「よく寝ているな」
眠る千寿郎を見ながら、煉獄が呟く。目を細め、微笑む姿から‥彼が弟を可愛がっている事がよく伝わった。知っていたけど。なまえはこの優しい顔が大好きだ。

「まだ、千寿郎くんにお粥を食べてもらって無いんです。お薬の時間もまだですし、お夕飯食べて行かれませんか?」

ハンガーを持ち、コートを着たままの彼に近寄る。少し強引過ぎるだろうか。だが千寿郎にお粥を食べさせてあげたいし、ご両親が不在ならば、迷惑にはならない‥筈だ。





煉獄にお茶を出し、預かったジャケットとコートを奥に掛ける。それを脱いだ時、ふわりと彼の匂いがして‥眩暈がした。
憧れの煉獄が今、家にいるのだと脳が認識し、あまりの緊張感から、何故こんな事に‥とまで考えた。全て己が招いたことであるのにも関わらず。


(よし、ごはん炊けた。肉じゃがも良い感じだし、後はお味噌汁に味噌を‥)
手伝う、と言ってくれたが断り、食卓の椅子に座ってもらっている。何だか視線を感じるなぁ、自意識過剰かなぁ‥などと一人で焦りながら、鍋に手を掛けた。


「うむ!新妻だ!」
「え!?‥熱っ」
「よもや!」

ガタリと煉獄が立ち上がる音がする。
とんでもない事を言うから、鍋に指を突っ込んでしまった。今絶対出汁出たよ!私の!

「大丈夫で‥」
振り向いた瞬間に、火傷した右手を掴まれた。そのまますぐに冷水で冷やされる。


「‥‥‥」
煉獄も右手でなまえを掴んでいる為、背中に彼の体温を感じ、ジワリと汗が出た。手以外、触れてはいないのに。


「やはり、ドジっ子か!」

真後ろで話さないで欲しい。それでなくとも鼓動が激しくて、立っているのもやっとなのだ。触れた指先から、この早鐘が彼に伝わってしまっていないだろうか。

「違いますよ、先生がっ‥‥‥」


カラン、となまえの左手からおたまが落ちた。
背中に、直に体温を感じ‥体が硬直する。

後ろから伸びてきた煉獄の左手が、なまえの右手を捕らえ‥するりと指を絡めた。


「‥‥‥‥‥」
両腕でシンクに閉じ込められ、身動きが取れない。背中を覆う男の体温と香りが、思考を遮断した。左手で絡め取られた手を、煉獄の右手が包む。骨張った長い指は見た目よりも柔らかく、冷たさを熱が溶かしていく。


煉獄がこのように、目的無く触れてきたのは初めてであった。それはまるで、恋人を愛するかの如く‥否、そういう関係でなければ、このように触れる事はあり得ない。


「みょうじ、」と、耳元で低い声がした。顔面が紅潮し、羞恥で涙がジワリと滲んだ。


その時。
「ゲホゲホッ‥うぅっ‥」
「!」

寝室から千寿郎の声が聞こえ、ピクリと煉獄の指が動いた。

「起きたのか?」
煉獄が体を離した隙に、タオルを押し付け後ずさる。真っ赤な顔を、隠す余裕など無い。
「お粥の‥時間です!!」
そのまま意味不明な事を口走りながら、なまえは寝室へ消えた。





「うぅ‥みょうじ先輩‥すみません‥」
半身を起こした千寿郎は、まだ目がうるうるしていて顔も赤い。

「兄に‥連絡しないとっ‥」
「大丈夫か、千寿郎!」
「!!!」

遅れて入ってきた煉獄に、千寿郎は大きな目をこぼれ落ちんばかりに見開いた。

「皆でごはん食べよう。お粥作ったよ!」
なまえが言うと、彼は更に驚いていた。



「前ね、私が風邪引いた時‥炭治カが土鍋でお粥作ってくれて、」
凄く美味しかったんだー、と言いながら、土鍋の蓋を開ける。

出汁の匂いがふわりと漂い、覗き込んだ千寿郎は目をキラキラさせた。
ネギ、しめじ、卵が入っており、味付けは塩と味噌だ。お椀に盛り、海苔をちぎってまぶす。

食べさせてあげようか、と言うと、千寿郎は赤い頬を更に紅潮させ、「自分で食べられます!」と叫んだ。それを見て兄がくすくすと笑う。

寝室では寂しいだろうから、リビングのソファにクッションを敷き詰め、トレーに乗せたお粥を渡す。

すぐ側の食卓には、先ほど全力で作った肉じゃが、きんぴら、さつまいもの味噌汁、サラダにごはんと、平日とは思えない(当者比)品数を並べた。煉獄家の食事は絶対にもっと豪勢なのだろうが‥!


「うまい!うまい!」
「良かったです!」

一口ごとにうまい!と言う煉獄に笑ってしまう。仕草やマナーは上品であるのに、これはどういうシステムなのだろう。可愛いからいいけど!

「お粥も、美味しい、です‥!」
ソファから、弱々しい声が聞こえる。ぷるぷると手を伸ばして、土鍋からおかわりを掬おうとしていたので、代わりによそってあげた。
また嬉しそうにふぅふぅと冷ます千寿郎が、可愛すぎる。

「千寿郎くん、いい子ですよね。私もあんな弟欲しいです‥!」
席に戻り、箸を進める煉獄に話しかけると。
「ははは!プロポーズか!」
などという返事が返ってきたので、千寿郎が盛大にお粥を吹いた。



「わぁ!これ有名なプリン‥!初めてです!」
食後の珈琲を入れながら、冷蔵庫から煉獄の手土産を出す。よくメディアで特集されている、美味しいと名高いプリンであった。

「出先のデパ地下で見つけたんだ!」
お礼を言いながら、箱を開ける。6個も入っている!

千寿郎に好きなものを取らせ、煉獄と自分の分を並べる。口に入れると、程よい甘さと卵の香りが瞬時に広がり‥まるで生クリームのように蕩けて、すぐに消えてしまった。

美味しいです!!!幸せです!!!と声が大きくなる。


「それは良かった!」
教師はその様子を、珈琲を飲みながらにこにこと見ていた。
‥もし、煉獄の彼女になれたなら。‥こんな風に、楽しい時間を過ごせるのだろう。それはとても‥夢のような、幸せな未来だ。
‥先程のように触れられたら、心臓がもたない気もするが‥‥‥‥。





「‥寝たな」
薬が効いてきたのか、千寿郎はソファで寝てしまった。

「洗い物をしたら、お暇しよう」
言うなり煉獄は、Yシャツの袖を捲りシンクへ向かう。
いいです!やります!‥と言ったが、「それ位させてくれ!」‥と、椅子に戻されてしまった。あの麗しの煉獄に、皿洗いなどさせていいのだろうか。いや、よくない。

あわあわと、煉獄の後ろでシンクを覗き込んでしまう。不審者だこれ。


「‥そういえば、」
煉獄の背中に話しかける。
彼は着痩せするタイプなのだろうか。球技大会の時見た、或いは面談の時に触れた‥逞しい筋肉は、皺一つないスーツに覆われ。スラリと美しい後ろ姿にため息が出た。


「さっき、何か言いかけませんでしたか‥?」
「‥‥‥‥」
カチャン、と最後の一枚を立て掛け、煉獄が振り向く。微笑んだ口元に、何故かドキリとする。


食事の前。‥煉獄が、指を絡めながら‥「みょうじ、」と呟いた。恥ずかしくてあの時は聞けなかったが‥何だったのだろう。


「‥聞きたいか?」
渡されたタオルで手を拭きながら、赤い瞳がこちらを見つめた。
「え?」
聞きたいか、と言われれば、煉獄の言葉なら何でも聞きたいが‥わざわざ聞くと言う事は、よくない事?

うーんうーんと悩み出したなまえを見て、煉獄は小さく笑う。
「大した事では無い。‥早く、卒業してくれと言おうと思った」

「え?寂しい‥!」
なまえは逆だ。毎日当たり前の様に煉獄に会えていたのだ。美しい煉獄を毎日眺める事が、あまりに幸せだったのだ。

「私は、毎日先生に会えなくなるのが寂しいです」
ヤバい、心の声がそのまま出た。


ハッと口を押さえたなまえにニコリと微笑むと、煉獄の腕が伸ばされる。
「‥‥‥」
突然の接近に、緊張して固まってしまう。ダメだ、全く慣れない。

煉獄の指が、髪をサラサラと伝い、顎を持ち上げる。そして、親指でなまえの唇をするりとなぞった。

「先日の君は、ずるかった‥」

そのまま上半身を屈め、自身の顔をなまえに近づける。唇が、ギリギリ、触れない位置で‥止まった、


「俺は、君に触れる権利が欲しい」



- 81 -
*前戻る次#
ページ: