#82

パイプ椅子が並べられた体育館は、割れんばかりの拍手に包まれていた。
しんと静まった空間に、所々から鼻をすする音が聞こえる。胸に花を飾った卒業生達は、穏やかな産屋敷の声に耳を傾け‥皆一様に、これからの輝かしい未来に希望を見るのであった。

なまえもまた、ふわふわとした気持ちで、この学校での学生生活を回想していた。一年間のブランクはあるが、友人や煉獄、様々なイベントや部活のおかげで‥なまえにとって学校は、単なる学舎では無く‥今や生活の主たる部分となっていた。日本での暮らしの、ほぼ全ての思い出がここにあると言っても、過言では無かった。

教室や、一階中央エリア横の自販機、部室、階段の踊り場やうずスペ‥全てに思い入れがあり、またそこに明日から自分が足を踏み入れる事は無いと思うと、まるで故郷を追われたかの如く、寂しさと、不安に襲われた。


教員席に座る、焔色の教師を見つめる。パリッとしたジャケットを着ており、変わらず美しい。彼と学校をここに残し、自分だけが違う世界へ飛ばされてしまうような、後ろ髪を引かれる思いがなまえの心に立ち込めた。彼が何といおうと、彼の生徒で無くなってしまうという事実は、どうしようもなく寂寥感をもたらすのだ。


「なまえちゃぁぁぁぁぁん!!!」
体育館を出るなり聞こえた声に振り返る。お前、一途だなぁなどと同級生につつかれながら、善逸が走ってきた。

「なまえー!善逸ー!」
伊之助と炭治カも走ってくる。一緒に教室に帰ろうと言われ、笑ってしまった。ものの数分の移動だ。わざわざ集合してしまうあたり‥この三人も自分同様、漠然とした寂しさと不安を感じているのだろう。大学一緒だけど。



「揃ったか!」
ガラリと扉を開け入ってきた煉獄は、後ろの黒板を見て、眉を下げる。
でかでかと"祝!卒業!"と書かれた周囲には沢山のイラストや、"煉獄先生ありがとう"、その横に"←伊黒先生もね!"、"蓬組さいこー!"などの文字が踊っていた。青春だ‥


「卒業おめでとう!」
イェーイ!とレスポンスが返る。このノリは、一年間変わらなかった。

教壇にジャケットの煉獄が立つのは、初めてだ。毎朝煉獄が、元気に教室に入ってくるのを心待ちにしていたが‥これが本当に最後であると、現実を突き付けられる。

溌剌と最後の挨拶を述べる教師をじっと見つめるが、別れの言葉にしか聞こえなくて、耳を塞ぎたくなった。‥いや、普通に別れの挨拶なんだけども。


「自分の信じた道を、心のままに進んで欲しい!以上だ!」
ワァー!‥と、煉獄の周りに生徒が集まる。彼はもみくちゃにされながら、ニコニコと写真撮影に応じていた。


「なまえ、今日の打ち上げ行くよな?」
ぼーっと教卓を見つめていると、炭治カが振話しかけてくる。

「うん、行くよー!イタリアンだよね!」
この後、蓬組の生徒だけで集まりがある。教師達も誘ったらしいが、卒業式の後片付けや、新学期の準備で忙しいらしい。‥まぁ彼らは業務時間内だ、仕方ない‥。

「まだ時間があるから、他の先生方にあいさつ回りしないか?」




わいわいと囲まれている煉獄を横目に、教室を出た。廊下に、他クラスの女子達がいる‥‥‥何で?
「卒業式恒例の、告白待ちなんだって」
炭治カが頬を赤らめながら、教えてくれた。

何でも、意中の教員に告白するため、順番に待つのだとか。何そのシステム!


「‥‥‥‥」
1、2、3‥歩きながら煉獄女子を数えるが、途中でやめた。何を気にしてるんだ。煉獄が遠い人過ぎて、いつまでたっても自分が選ばれる気などしないのだ。流石に前回の、自宅訪問時は‥‥‥刺激が強すぎて、若干の実感が沸いたが‥。


「あれ?」
美術室前。コンコンとノックをするが、鍵がかかっていて入れない。
匂いはするんだけどなー、などと言いながら、炭治カが室内へ声をかける。

「何だお前らか‥入れよ」
ガチャリ、と解錠の音がして、薄く開いた扉の隙間から、宇髄の目が見えた。
何この警戒‥開けとくと鬼でも入ってくるの?

「え?」
美術室へ入った二人は、中にいたメンバーに目を丸くする。
主である宇髄の他に、冨岡、不死川、伊黒、胡蝶が、各々机に座り、何やらPCで仕事をしているではないか。


「あの、これは何の‥」
炭治カの問いかけに、宇髄がうんざりした顔で答える。

「隠れてんだよ。外にいると生徒に見つかるから」

彼が破壊した壁は冬仕様にビニールで覆われており、中央でストーブが働いている。それに手をかざしながら、胡蝶が悲しげに眉を下げた。

「卒業式の後はね、よく告白してくれる子とか、連絡先を教えてって子がいるの。でも私達、お仕事中でしょう?だから、申し訳ないんだけど‥」
「お前らも、時間ずらして帰った方がいいぜ」

そうなのか‥!なまえはこの異常事態に衝撃を受けた。告白の風習から何から、全く知らなかった‥。卒業式に告白したら‥いやこの状況だ、できたか分からない。避けられて良かった。
それにしても、仕事への支障と濁しているが‥本当は皆修学旅行のなまえの様に、断るのに精神を削られるからではないだろうか。


「あの、煉獄先生は‥」
教室で生徒に囲まれていた彼を思い出す。
もう既に、女子達からは見つかっていたと思う。
あぁ、‥と、宇髄は悲鳴嶼の如く両手を合わせた。

「三年の担任は隠れる時間が無いからダメだ。あいつはもう、助からねぇ」
エェーーーー!?見捨てた!!

「煉獄先生っ‥」
炭治カが歯を食い縛る。何そのシリアスな顔!やめて!

「煉獄はタフだから問題無いだろう」
伊黒先生は副担任なのに何故こちら側に!?

なまえは壁越しに蓬組の方向を見た。卒業式の日に、今後について何かしら話せるかなぁなどと呑気に考えていたが、そんな次元では無かった。今日は無理だ。疲れきった彼に、追い討ちをかけるようにアタックできる精神は持ち合わせていない。


「んで?ご用件は?」
ガチャリと再び施錠しながら、宇髄が腕を組んだ。ご挨拶です、というと、真面目か!と驚かれた。


「固い話は無しにしようや。2年後飲みに行こうぜ!そんでみょうじは俺が潰す」
「私に何の恨みが!?」
‥宇髄は本当に、なまえをからかうのが好きらしい。炭治カとともに、楽しく笑っている。

「何かあったら他人を頼れ。催涙スプレーの補充が欲しければいつでも言え」

「鮭大根‥ありがとう。‥やっと礼が言えた」

「何かあったら‥何もなくてもお話しに来てね!妹も紹介するわ!」

「また飯食いに来いよ。元気でなァ」

皆、柔らかく微笑んでくれた。日本に帰ってからは特段困ったことも無かったが、それでも胡蝶などはしょっちゅう話しかけてくれていた。伊黒には世話になりっぱなしであったし、冨岡や不死川は何度も助けてくれた。皆生徒を思う気持ちは変わらない。このような温かい恩師に恵まれ、幸せであったなぁとしみじみ考えた。

炭治カもそれぞれから言葉を貰い、涙ぐんでいる。後は煉獄先生に、感謝の気持ちだけでも伝えてから帰りたいところだが‥






「ちょっとぉぉぉぉぉ!炭治カ!なまえちゃん!!」
教室に戻ると、二人を待っていた善逸と伊之助以外、もう誰もいなかった。

「聞いた!?ねぇ聞いた!?煉獄先生の話!」
「「見捨てられたって話?」」
「何それ気になる!‥違うよぉ、さっきさぁ!!」

‥善逸の話によると、だ。
煉獄が教室を出たタイミングで、出待ちをしていた女子生徒達が話をしたい、個別に時間が欲しいと集まってきた。煉獄は、仕事が残っているので話ならここで、と断った。

「もう絶対告白されるシチュエーションなのにさ、あの人全然悪気なく断るから、俺女子達が可哀想になっちゃって!」

割って入ろうとした善逸に、後ろから付いてきた伊之助が何気なく
「煉獄先生、カノジョがいるから断ってんじゃねェのか?」
などと言うものだから、女子生徒達がショックを受けてしまった。
煉獄は口角をあげたまま黙っていて。

「何その沈黙!?もう肯定してるよね!?ああああああもうリア充ざっけんなよ!」

「おい何怒ってんだ紋逸!」
「キィィィー!!」

‥などというやり取りの後、固まった女子生徒と怒り狂う善逸を置いて、煉獄はどこかへ行ってしまったらしい。


「そうだったのか!それで、善逸は何に怒っているんだ?」
シャランと耳飾りを鳴らして首を傾げた炭治カを、善逸がキッと睨む。

「羨ましいからだよ!!女の子といえばなぁ!一人につきおっゴハッ」
「ごめん!ただなまえに聞かせてはいけない気がした!」


(煉獄先生、チョコだけじゃなくて、告白も回避してくれてるんだ‥)
途中から善逸の話を聞いていないなまえは、廊下を見渡す。誰もいない。


‥やはり、今日、一目でも会いたいと思った。今後の話はいらない。優しい彼に、3年分のお礼を伝えて卒業したい。

「先会場行っててくれる?ちょっと寄り道してく!」





入学式の日、煉獄に恋をした。
一目惚れだと思っていた。だが今思うと、そうではない。
なまえは一度、校門の前で煉獄に会っていた。


"すまないが、俺は君の事を生徒としか考えられないし、これからも変わらない。"
"君も学生なら本分である学業を全うしろ。この話はこれで終わりだ。"

明白な拒絶の言葉に、胸が痛かった。だが同時に、彼の教師としての凛とした姿勢に感心した。転んだ時、すぐに駆け寄ってくれた姿に、彼の人となりを見た。眉を下げて微笑んだ笑顔に‥温かい心を感じた。

外階段へ続く扉を開け、桜の木の下を見る。煉獄はいない。代わりに何組かの男女を見つけ、慌てて校舎へ戻る。

煉獄の事が、大好きだった。3年間、ずっと想い続けた。貴方の心が欲しいと、願い続けた。3年間、幸せだった。

最後に、教師 煉獄に伝えたかった。ありがとうと。今日言わなければ、意味が無い。明日からは、もう煉獄は先生では無いのだ。

生徒指導室は、消灯していた。何故か煉獄が、なまえと邂逅したどこかにいる気がした。階段を下り、一階のカフェテリアを抜け、奥の自販機の前へ‥


「みょうじ?」
「煉獄先生‥!」
ベンチの死角側に、驚いた顔をした煉獄が座っていた。脚を組み、膝の上にノートPCを置いている。

在校生は登校しておらず、卒業式の為食堂も休み。ここは無人であった。


「良かった、探してたんです!」
どうしても今日、お礼が言いたくて、‥ふぅと息を吐き、なまえは教師の正面に立つ。

煉獄は、パチリと瞬きした後‥膝の上のPCを、隣に下ろした。


「ストーカーから守って下さって、ありがとうございました」
「!」
なまえが自ら嫌な記憶を口にした事が意外だったのか、予想外の事だったからか‥煉獄はぽかんとしている。

「1年間、毎月メールで励まして下さって、ありがとうございました」

「いつも気にかけて下さって、ありがとうございました」

「あと‥」

「煉獄先生に会えて、毎日楽しくて幸せでした」

「大変お世話になりました」

言いたいことを指折り数えながら、やっと言言い終わると‥ぺこりと頭を下げた。


「‥‥‥‥」
煉獄は、終始真顔でなまえを見つめていたが‥ふっと、眉を下げて笑った。

「!!」
なまえはこの顔に弱い。自分が今長々述べた口状が今更恥ずかしくなった事も相まって、逃げ出したくなった。
くるりと向きを返る。

「でっでは失礼しまぁぁぁ‥あうっ」
だが走り出した瞬間に、パシリと手首が掴まれる。

「みょうじ」
「!」
真顔で見上げる赤い瞳が、真っ直ぐになまえを捕らえた。

「14日、食事に行かないか」
「!!」

じわじわと、頬が紅潮するのを感じた。同時に、幸福感が足元からビリビリと押し寄せる。

煉獄が、誘ってくれた。これは‥凄いことだ。
物凄く‥。

嬉しいです、と、ギリギリ返事をした。
煉獄が微笑む。離された腕がいまだ熱い。

「俺の方こそ‥君に会えて良かった。ありがとう」




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