#84(終)

「大学の準備は、進んでいるか!」

熱々の鉄板の上からもんじゃ焼きを掬う。ソースと具材がたまらなく美味しいし、焦げてカリカリの部分も最高だ。

「とりあえず毎日私服になるので、服だけ大量に買いました!」
大学生のお友達に見立ててもらったんです、これも!‥と言って、なまえはニットの生地を引っ張った。

「よく似合っている!」
ニコリと微笑んだ煉獄が‥何かに気付き、スッと視線を上げる。
「‥‥‥」
酔っ払った男性客二人が、なまえの横を通過しながら、彼女の胸元を見ていた‥が、煉獄の視線で、足早に去っていく。

「だがもう少し‥ゆとりのある服を着てほしい。‥特に大学では」
「え?」

煉獄が黙ったタイミングでお茶を飲んでいたなまえは、男性客に気付いていなかった。

「煉獄先生と会う時はいいですか?」
よくわからないが、このチャンスに次の約束をねじ込んでみる。我ながらナイスガッツ。

「うーん‥」
口角を上げて頬杖をついた煉獄は、何とはなしに視線をさ迷わせた。

「俺もダメだな!」
(えぇー!?先生とのデート服なのに!?)
ショックでヘラを落としてしまった。じゃぁもうパジャマだこれ!ニットワンピ¥18500×70%off=¥5550!うん、お買い得。


煉獄が落としたへらを拾い上げ、新しいものを渡してくれる。
「言いすぎたか!‥だが、俺もいつも守ってあげられるわけじゃないんだ」

自衛して欲しい、という事らしい。
んん‥?

「じゃぁ、やっぱり先生と会う時はいいです‥よね‥?」
ニットワンピよ、今交渉中だから耐えてくれ!‥などと思いながら、煉獄の顔をじっと見る。

「‥‥‥‥‥むぅ!」
困っちゃった!!





「ごちそうさまでした‥」
満腹でトイレに立ったところ、帰ってきたら会計が終わってしまっていた。払うと言っても、全く相手にしてもらえず。とりあえず服屋のバイトでも再開して、早急に収入を得なければならないと、なまえは考えた。


「ありがとうございましたー!」
ガラリと店の扉を開けると、3月の冷たい風がびゅぅと舞い込んでくる。通りの両側には赤提灯が並び、薄暗い街頭と共に、経験した筈の無い郷愁の念をもたらした。見上げると濃藍の空は冷たく、いまだ春の訪れを感じない。


「‥‥‥‥」
隣に並んで駐車場へ歩きながら、チラリと煉獄を見る。あぁ、格好いいなぁ。私、何でこんな格好いい人と歩けてるんだろう。


「埠頭の方へ行ったことはあるか?」

車へ乗り込むと、煉獄が再び地図を広域にする。フトー?

無いです、それは何ですかと外国人のような質問をすると‥きっと気に入ると思う、とだけ返ってきた。何だろう。


車がゆっくりと動き出す。
下町のような町並みを抜け、大通りに出る。川を離れ、海の方へ‥


車内は無音であるのに、煉獄との会話が楽しくて、音楽などかける必要もなかった。一応、色々最新のヒットチャートからダウンロードしてきたが‥出番は無さそうだ。

煉獄が話してくれる全てが‥例えば、休みの日に観に行った舞台の感想や、宇髄と飲みに行った時の会話、窓から見える店の評判など‥‥、学校では間違っても話してくれなかった彼のプライベートであり、なまえには新鮮で興味深く、またそのどれもが面白かった。

なまえのバイトの話や、炭治カ達との会話、時透がチンピラにきった啖呵など、よくよく考えたら恩師にするような話ではない些細な内容にも、煉獄は楽しそうに耳を傾け、またよく笑ってくれた。

煉獄が、宇髄からだけではなく、他の教師陣からも好かれていたのは‥彼の清廉潔白な心だけが理由では無い。気さくで頭の回転が早く、コミュニケーション能力が高い煉獄といると、純粋に楽しいのだと‥なまえは考えた。
‥たまに、真面目が故か、こちらの想定と違う反応を返してくる事があるが‥それがまた興味深く、愛おしかった。


「わぁー!夜景が凄いですね!」
遠くに見えていた湾岸部の夜景が、近づいてくる。ライトアップされた美しい鉄橋、レンガ造りの建物、観覧車‥
その全景が一枚絵のように視界におさまる場所に、煉獄は車を停めた。

「日本の夜景初めてです!綺麗です!!」
埠頭近くの、芝生の公園を進む。途中で煉獄が買ってくれた温かいお茶を飲みながら、奥へ。

「それは良かった!」
手すりから乗り出すなまえの隣に立ち、煉獄は水平線の方へ視線を投げた。遠い灯台の光が伸びている。

上から覗きこむと、下は暗い海であった。その海越しに海岸線を辿って、斜め前方に夜景が見える。


「君はいつも楽しそうだ!」
煉獄に見つめられ、胸の奥が苦しくなった。赤い瞳に夜景の光が反射する。レトロな街灯の淡い光の下、それはまるで宝石のように‥。


「それは楽しいですよ!だって煉獄先生が‥」
好きだから!‥、と言おうとして‥なまえは口をつぐんだ。想いがそのまま出てきてしまうので、非常に恥ずかしい。

興奮して掴み続けていた手すりで、手がキンキンに冷えたことに今さら気づく。思わずこ擦り合わせながら。

「‥煉獄さんといると、楽しいんです」
ゆっくり、考えながら言葉にした。
はぁ、と冷えた手に息を吹き掛ける。


「‥みょうじ」
煉獄が、こちらを向いた。


「こっちにおいで」


優しい微笑みに、ぐらりと脳が揺れた。甘い空気にのぼせそうだ。ふらふらと、彼のもとに歩み寄る。


「‥っ」
ぐいと腰を引き寄せられ‥煉獄の両腕が背中に回される。抱きしめられている、と認識すると同時に、コートの隙間から彼の体温を頬に感じ、胸元から香る煉獄の匂いに心臓が締め付けられた。

クリスマスの夜の、衝動的なそれとは違う‥優しく包まれるような温かさに、煉獄の心を感じた。


「なまえ‥」

耳元で名前を呼ばれ、ビクリと体が硬直する。




「好きだ」




波が岸壁に当たる水の音。
公園の草木が風にそよぐ。


煉獄の腕が背中を伝い、髪を撫でる。そのまま体を少し離し‥至近距離でなまえを見つめる彼は、真剣な表情であった。


「君が好きだ」


もう一度。
赤い瞳は、真っ直ぐになまえを見ている。薄い唇から紡がれた言葉に、全身が熱を帯びていく。


「煉獄さん、‥」
指先が震える。望み続けた想い人からの愛の言葉が、炎の如く胸を焦がした。

一日に一度、姿を見るだけで胸が高鳴っていた憧れの男性が。自分から近付くこともできなかった、遠い存在が。数多の女性からの好意の一切を退け、自分だけを愛してくれたという事実に‥喜びと緊張で、どうにかなってしまいそうだった。


「嬉しいです、私も‥」
震える手で、彼のコートを握った。

「‥煉獄さんが、大好きです‥」

遠くで微かに船の汽笛が聞こえる。


「ありがとう」
煉獄は眉を下げ、柔らかく微笑んだ。そのままなまえの片手を掴むと、するりと指を絡める。
そして、‥‥‥ピタリと固まった。


「先生?」
「‥‥‥‥‥」

目をそらした煉獄を不審に思い、声をかけると。

「‥背徳感が‥‥‥凄い」
「えっ」

眉を寄せる煉獄が可愛くて、思わずふふ、と笑ってしまった。


「‥‥‥」
それを見た煉獄は、ふぅと息をつき‥なまえの頬へ片手をあてた。すぐ近くにある煉獄の顔に緊張し、なまえはまたビシリと固まる。


「そんな顔をするな」
「‥‥‥っ」

煉獄が、ゆっくりと顔を近付ける。甘い空気と煉獄の掠れた声で、もう何も考えられなかった。


「なまえ‥‥いいか?」
唇に吐息がかかる。何を聞いているのかは、明白であった。


「はい‥‥‥んっ」
冷えた唇に、煉獄のそれが優しく重ねられる。柔らかく、温かく‥蕩けるように甘い。

一度離され、角度を変えてもう一度‥


脳が痺れ、目の前の景色が霞んだ。もう何も考えられなかった。ただただ煉獄の唇から伝わる熱を受け入れ、絡められた指を握り返す事しかできない。

頬を煉獄の親指が撫でる。
「‥‥っ」
息をしていいのか分からず、じわりと涙が滲んだ。

冷たい風が耳を掠めたが、体中が燃えるように熱く、何も感じない。


‥触れるだけのキスは、最後に下唇を啄み、軽いリップ音を立てて離れていった。
そのまま再びきつく抱きしめられ、目を閉じたまま、紅潮した顔を隠すように‥彼の胸に顔を埋めた。

はぁ‥と、なまえの肩に顔を埋めた煉獄が息を吐く。
くぐもった声で小さく、「可愛い」‥と呟いたのが聞こえ、体の奥がゾクリと反応した。


「‥‥‥‥‥」
なまえはもう、いっぱいいっぱいであった。文字通り、煉獄に支えられて立っているのが精一杯だ。
常に笑顔を絶やさず、溌剌と教壇に立っていた煉獄の‥慈しむような口付けに、艶かしい吐息に‥ずぶずぶと、彼の中へ落ちていく感覚を覚えた。


「煉獄さんが恋人なんて、夢みたいです‥」
ふわふわと、彼を見上げる。

煉獄の手が、優しくなまえの髪を撫でた。
「大切にする」



肩口から顔を離した煉獄は、赤い瞳を細め‥美しく微笑んだ。









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