15.泰然自若も程がある


牛島さんが、男の俺でも思わず見惚れてしまうような相変わらずの綺麗なフォームで走っていた。
射抜くような鋭い視線。額に光る汗。


「あ」


そしてふと、その首にかけられていたタオルがひらりと落ちた。それに気が付いた最上はすぐさまそれを手に取った。


「牛島さん」

「?」

「タオル落としましたよ」

「!ああ、すまない…」


最上は牛島さんにパタパタと駆け寄り、タオルを差し出す。その際にふとした拍子にお互いの手が触れてしまい、咄嗟に目と目が合う。


「…………。」

「…………。」


しばし訪れる、二人だけの無言の時間。まるで時が止まったような、そんな…


「って、なるわけないじゃないですか馬鹿なんですか大平さん」

「ハハハ、賢二郎の口はどんどん悪くなるな」


俺は普通に“ありがとう”“いえ”というやり取りでそんな茶番を終える二人を溜め息混じりで眺めた。
川西の鶴の一声からスタートした、最上に恋愛感情を抱かせよう計画。それは天童さんと大平さんを中心に着々と進められていた。しかして進捗状況なんてこの結果を見れば分かる。つまるところ天童さんと大平さんってなんだか考えが古いらしい。
今の「タオルをハンカチに見立てた胸キュン作戦」だの「食パンをくわえた牛島さんを最上に激突させる作戦」だの、なんだか昭和の少女漫画を見ている気分だった。ちなみに後者では最上は物凄い勢いで吹き飛んでいた。しかしてそこは牛島さん。自分でふっ飛ばしておいて自分でお姫様抱っこでキャッチするというファインプレーを見せてくれたのだ。しかして最上は衝撃により一瞬気を失ってしまったため結果進捗無し。


「フフン、甘いね賢二郎。」

「天童さん…」


反射的に“どの口がそれを?”と出てしまいそうになったけれども抑えた。しかして天童さんは相変わらずの余裕の表情。


「ゲスモンスター、嘗めないでくれるカナ?」


そしてニヤリと笑ったのだ。味方である分普段は頼もしいくらいの天童さんのそんなゲスい表情に、どういうわけかこのときばかりは不安しか抱かなかった。





―――――――


「…お疲れ様です。大平さん、終わりました」


部室に入ると、そこにはもう牛島さんと天童さん大平さん、そして白布くんだけだった。
時刻は20:00。今日は珍しく大平さんからミーティング終了後に緊急で仕事を頼まれていた。過去の記録ビデオの整理だった。
何故このタイミングで?と疑問を抱かなかったわけじゃないけれども、あの大平さんが言うからには何かのっぴきならない事情があったのだろう。


「ああ、ありがとう。悪いな最上、お疲れ様」

「お疲れ〜」

「…お疲れ様です」


そしてその直後、大平さん天童さん白布くんの3人は、いそいそと部室を出て行ったのだった。何か急ぎの用でもあるのだろうか。
そして部室内には私と牛島さんの2人きりとなったのだった。正直、なんだか気まずさもあった。いくら吹っ切れたと言っても、先日牛島さんから賜った有り難い言葉を変な方向に受け取ってしまったことについては、相変わらず思い出す度に消えて無くなりたくなる。
そんな私の心境を知る由も無い牛島さんは、相変わらずの無表情だった。もしかしたら今の私も同じような顔をしているのかもしれないけれども。


「…牛島さん、すみません。私もお先します」

「ああ」


今日は牛島さんから“送る”という提案は無かった。それにどこかホッとしている自分がいた。最近は立て続けに遠慮する形になっていて、それもそれでいちいち精神的労力が要るのだ。


「お疲れ様でした」


そしてそう呟いてドアに手をかけた。
そうだ、このくらいの距離感が理想的だ。だってなんと言っても、基本的に牛島さんと私は住む世界が違うのだから。


「……えっ」


しかしその矢先、信じられないことが起こった。
ドアが、開かないのだ。


「!?」


ドアノブを上下させたり、ドアを押したり引いたりしてみるものの、一向に開く気配が無い。
そして絶望的な可能性に気が付いた。この部室のドアの鍵は無駄にブルジョワジーなこの学校らしくカードキータイプの機械式。試しにカードキーを差してみるものの開かなかった。
もしかして、故障だろうか。
すぐさま先ほどまで部室にいた3人に電話を掛けた。もしかしたら外からなら開けられるかもしれないし、守衛さんを呼んで貰えるかもという期待があった。しかしこんなときに限って誰一人として繋がらなかったのだった。


「どうした?」


そして背後から、実に落ち着き払った低い声が聞こえてきた。


「牛島さん、ドアが開きません」

「そうか」


牛島さんは、私の報告に対して全く表情を変えることはなかった。物事に動じないにも程がある。
ああこの人やっぱり住む世界が違うなぁと、改めて私は彼に感服したのだった。


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