16.四面楚歌とは何ぞやと
どうしたものか。
なんと私は牛島さんと一緒に部室に閉じ込められてしまったみたいだった。
でも幸いにして、この学校は無駄にブルジョワジー。部室内にシャワーもあれば日頃お世話になっている全自動ドラム式洗濯機もあり、ウォシュレット付きトイレもある。それに仮眠用ベッドだってあるしなんならテレビすらある。ちなみに天童さんあたりが持ち込んだらしい漫画なんかも大量にある。
食料さえあれば、むしろ快適に過ごすことのできる空間だったりするのだ。
「最上」
「ハイ」
そんなことを考えながら冷静さを取り戻していると、牛島さんが思い出したかのように大きめの四角い風呂敷包みを机の上に置いたのだった。
「大平からの差し入れだ」
「な、なぜ」
牛島さんが包みを開くと、そこからは立派な重箱が現れたのだった。
「大平のクラスで調理実習があったらしい」
「…………。」
なんと、食料までも手に入ってしまったのだ。些か都合が良すぎないだろうか。
それにしてもなんだろう、何も心配する必要が無くなってしまった。そもそもあと1時間もしたら守衛さんが見回りに来るだろうし。なんだか焦って損をしたような気になったのだった。
そんな感じで安心しつつもげんなりとしていたら、牛島さんから早速おにぎりを差し出されたのだった。牛島さんは既におにぎりをもぐもぐと食べていた。
「梅だった」
中身は梅だったらしい。
「ありがとうございます…」
あまりにもニュートラルすぎる牛島さんの姿に、なんだか緊張感だとかそういうものとか、全て吹き飛ばされたような気がした。
とりあえず私は牛島さんからおにぎりを受け取り、パイプ椅子に座ってそれを口にした。お米はぐうの音も出ない程に完璧な固さで炊き上げられていた。どういうわけか割烹着姿の大平さんが目に浮かんだ。
とりあえず、やることも無いので私は宿題を机の上に広げたのだった。
――――――
「…………。」
「…………。」
時間にして、恐らく1時間程が経過したと思う。
しかし一向に守衛さんが現れる気配は無かった。私は全ての宿題を終え手持ち無沙汰になったため、とりあえず予習を始めていた。牛島さんは終始無言で筋トレをしていた。練習終了後でただでさえ疲れているだろうに、本気の筋トレ。改めてうちの主将は規格外らしい。
「…………。」
…そして更に1時間が経過した。ようやく筋トレに満足したらしい牛島さんは、シャワー室に向かって行った。なんというか部室暮らしが小慣れている。さすが主将。
そんなよく分からないところに感心をしていると、ふとどこからともなく何かが聞こえてきたのだった。
ちりん、ちりんという鈴の音。
外に迷い猫でもいるのだろうか。
「!!?」
直後、ガタンという音とともに部室内の電気が落ちた。思わず身体が跳ねた。
途端に辺り一面真っ暗になってしまったのだった。
さすがにうろたえていると、またどこからともなく何かが聞こえてきた。嫌な記憶が蘇った。
以前遠征先のホテルで聞いたものと似た、小さな女の子の笑い声。全身の血の気が引いた。
「……!?………!?」
きゃははは、という声はどういうわけか次第に大きくなっていった。ちりん、ちりんという鈴の音も。
気のせいなんかじゃない。なんだかまるで真後ろから聞こえてくるような、そんな鮮明なものなのだ。
「暗いな」
「ヒィッ!!?」
そして本当に真後ろから聞こえてきたのは、まさかの重低音ボイスだった。
恐る恐る振り返り、暗がりに幾分か慣れてきた目を凝らすとそこにはきょとんとした顔でタオルで髪を拭く牛島さんが立っていた。ちなみに上半身裸。
「?どうした」
こんな状況でその質問を私に投げかけてくる牛島さんのあまりの普段通りぶりに、なんだかいっそ牛島さんに対しても恐怖を抱いた。
どうしたもこうしたも、これは明らかに状況自体が異常じゃないだろうか。なんだか恐怖やら、ツッコミどころが満載なこの現状に対して何も言えないもどかしさから力が抜け、私は床にへたり込んだ。
「大丈夫か?」
すると牛島さんはしゃがみこんで私に声を掛けてきてくれた。なんだか安心感やと相俟って、牛島さんは一切動じていないのに私ばっかりびくびくしているという情けなさから涙が零れた。
「…こわい、です」
この状況に対して、そして怖いくらいに平然としている牛島さんに対しての本音がついつい漏れてしまった。
「何を怖がる必要がある」
やはり牛島さんは淡々とそう呟いた。
ああそうだ。住む世界の違う、常軌を逸したメンタルを持つこの人に、私の気持ちなんて理解してもらえるわけがないんだ。むしろ理解してもらえると期待をするのもおこがましいくらいで。そんな考えに行き着いたとき、なんだか急に心細くなり始めた。涙が溢れた。
「最上」
すると、ふいに牛島さんの大きな手が私の頭に乗った。
「大丈夫だ、俺もいる」
その信じられないくらいに優しい声色に驚愕し、思わず牛島さんの顔を見た。
そして涙で滲む視界で私は更に信じられないものを目の当たりにした。
牛島さんが、どういうわけか目を細めて柔らかく微笑んでいたのだ。先日の帰り道で見たような“あれ、今笑った、かな?”というようなあやふやなものではなくて、完全にそれは誰がどう見ても笑顔だと判断するようなものだった。初めて見る、牛島さんのどこか幼い表情。
目の前のこの人は、果たして本当に私の知る牛島さんと同一人物なのだろうか。そんな疑問を抱くと共にどういうわけか心臓をぐっと掴まれたような感覚に陥った。
「それはそうと、」
そしてそんな一瞬の出来事がまるで幻か何かだったかのように、牛島さんはまた温度の無い声を発した。
「?」
「最上。ご両親に連絡は入れたか」
「……あ」
すっかり忘れていた。やはりどこかで私は最初から何かしらのパニックに陥っていたらしい。
時刻は23:00をまわっていた。さすがにまずい。ふと思い出して携帯を見てみると、なんと電源が落ちていた。恐らく親からの着信も入っていただろうに。
「そうか」
牛島さんはそう呟くと、Tシャツを着てジャージを羽織っていた。
「帰るぞ」
「……え」
何を言っているのだろうこの人は。そもそも今、閉じ込められていて帰れない状況なわけで。牛島さんが呟いた言葉の意味がよく分からずにぽかんとしていると、牛島さんはドアに向かってスタスタと歩き出した。
「!!?」
次の瞬間、ドガァッ!!!という盛大な音が部室内に響いた。
「開いた」
拳を握る牛島さんの後ろで、ドアが軋むような音を立てつつゆっくりと開いたのだった。
「…………。」
とりあえずうちの主将は、やはりとことんチートらしい。
.