19.勇猛果敢不本意に
やってしまった。
なんと私は生まれて初めて、授業中に居眠りをしてしまったのだ。たしかに昨日は一睡もできなかったけれど、まさか私がそんな。自分が信じられなくなった。
先生には心配されるし、クラスメートからは無理矢理保健室に連れて行かれそうになるし、とにかくなんだか散々だった。ちなみに隣りの席の男の子は“最上もやっぱり人間だったのか…!”と驚き気味に言っていた。どういう意味だろう。
それにしても、普段極力目立たないようにソツなく生きることを心掛けてきた私にとって、あの瞬間は悪夢だった。思い出すとキリキリと胃が痛んだ。
そして一刻も早くあの空間から逃げ出したくてずっとずっと待ち望んでいた放課後が、ようやくやってきた。私はHRが終わると共に逃げるようにすぐさま教室から出て、早足で部室棟へと向かった。
「あ、お疲れ」
「お疲れ様です…」
部室のドアは、早くも既にすっかりと元通りになっていた。改めて白鳥沢出入り業者の仕事の速さに感心しながらそれを開くと、中には早くも川西くんがいたのだった。
「早いねー」
川西くんはふわぁ、と一つ欠伸をしながら呟いた。頭にはちょこんと寝癖が付いている。もしかして、前の時間授業をサボってここで寝ていたのだろうか。
敢えて聞きはしないけれども、なんだか皮肉なことにそんな川西くんの姿にどこか励まされている私がいた。
それにしても、川西くんと二人きりになるなんてすごく珍しいことだ。そう言えば、どういうわけか白布くんとは入部当初からよく絡んでいたのに、川西くんとはあまり絡んだことは無かったように思う。だから私は川西くんがどういう子なのか全く分からない。ただなんとなく、掴みどころが無い子なんだろうな、とは思う。
「最上、なんかあった?」
「…え」
そして川西くんは唐突にそんなことを聞いてきたのだった。
なんかあったも何も、昨日からいろいろと衝撃的なことがありすぎて川西くんの求めている答えがどこにあるのかがよく分からない。いや、そもそも質問自体が些か漠然とし過ぎやしないだろうか。
「…いろいろ、ありました」
「そっか」
だから私も漠然とした答えしか返せなかった。けれども川西くんは、それ以上深くを聞こうとはしてこなかった。
まぁ川西くんのことだから、もしかしたら質問自体にもきっと深い意味なんて無かったのだろう。
「あのさ、最上」
「はい」
すごい。なんだか今日は川西くんからめちゃくちゃ話し掛けられる。こんなことは入部2年目にして初めてじゃないだろうか。
でもまぁそもそも、こういう空間で二人きりになったら何かしらの会話を交えるのが普通なのだろうか。
「最上って、誰かを好きになったことあんの?」
は
「…嫌いな人は、とくにいませんけど…」
さすがに少し驚いた。だってあまりにも脈絡が無い。
聞かれた質問の意味も分からずこれまた漠然とした答えを返すと、川西くんはニッと笑ったのだった。
「そうじゃなくて、恋愛感情?みたいなやつ」
…ますます状況が理解できなくなった。私は何故今、ほとんど喋ったことも無いはずの同級生からいきなり所謂「恋バナ」をけしかけられているのだろうか。
川西くんはというと両手でボールを遊ばせながら相変わらず涼しい顔をしている。もしかして空耳や聞き間違いだったのだろうか。いやそんなことは無い。たしかに川西くんの口からはそんな言葉が発せられたのだ。
意外と、もともとそういう話が好きな子だったのだろうか。いやいくらなんでも似合わなすぎる。川西くんのことをよく知らない私がこんなことを思うのは至極失礼な話だとも思うけれども。
「…そもそも“恋愛感情”が、どういうものか分からないです」
「あ、やっぱり?」
「?」
川西くんは私のそんな情けない返答に対して、むしろさほど興味も無さそうにさらりとそう呟いた。視線も相変わらず手元のボールに向けられている。
いよいよ意味が分からない。川西くんってこんな不思議なひとだったのか。
「まぁ、俺もよく分からないけど」
「はぁ」
「なんかよく、顔が赤くなるとか、動機が激しくなるとか、まともに目も見れなくなるとか、言うよね」
「そう、なんですか」
「なんか前半だけ聞くと、風邪かなんかの症状みたいだよね」
「そ、そうですね」
私が一向に話の流れに乗り切れずにいると、川西くんはふわぁとまたあくびをして、その後は黙った。
うん、分からない。ただ、とにかく川西くんってちょっと変わった人なんだなぁということだけは分かった。
…と、そこで背後からガチャッとドアの開く音が聞こえたのだった。
「?早いな、最上に川西」
入ってきたのは牛島さんだった。どういうわけか前髪が一部ぴょんっと上に跳ねている。今日は寝癖が流行っているのだろうか。
「お疲れさーっす」
「…お疲れさまです」
そして川西くんの気怠げな声に気付かされるような形で、私も遅れて挨拶をした。
…何かがおかしい。その“何か”は分からないけれども、なんだか違和感があるのだ。
「?どうした最上」
「え」
「顔が赤い」
そう言われて自分の頬に片手を触れると、ようやく違和感の正体が分かった。
顔が、熱い。
なんでだろう。今の今まで、なんとも無かったのに。
「風邪か?」
「………!?」
そしてどういうわけか牛島さんの大きな手が私の顔に向かってぬっと伸びてきた。思わず目を瞑ると、額が少し冷たくて硬いもので覆われる感覚に陥った。
「熱い」
「………!?」
そして目を開くと、至近距離で牛島さんと目が合ったのだった。
牛島さんは私の額に手を当て、少し屈んで私の顔を覗き込んでいる。その状況が理解できたとき、どくんという大きな一発を皮切りに心臓がその鼓動をアピールし始めたのだった。
「?」
牛島さんと視線を合わせているとどういうわけか息が詰まりそうになった。だから思わず下を向くと牛島さんの手は私の額から離れたのだった。
「無理はするな。体調が悪かったら、いつでも早退しろ」
そしてその大きな手は、今度は私の頭に一瞬ぽすりと被せられたのだった。
なんだか、熱い。顔も、身体も全体的に。特に額と頭のてっぺんが信じられないくらいに熱い。
「う、牛島さん、すみません…」
「?」
そう声をかけると、当然ながらまた牛島さんと目が合うわけで。するとやっぱり心臓の音が更に大きくなるわけで。
ああ、なんだか
「し、死にそう、です」
「!?」
私がそんな言葉を絞り出すと、牛島さんは目をカッと見開いたのだった。
普段であれば震え上がる程に迫力のあるそんな表現も、気にしている暇は無かった。
逃げなければ。一刻も早くこの場から逃げなければ私は本当に死んでしまう。
根拠なんて微塵も無いそんな考えに至る頃には、私は無我夢中で走り出していた。
逃げなきゃ、とにかく逃げなきゃ、私、死ぬ。
顔が熱くて、心臓が五月蝿くて、
あれ、そう言えばこんな症状、ついさっき川西くんとの会話の中で話題に挙がった気がする。川西くんは、この症状の原因をなんと言っていただろうか。
そんな自問自答に対する答えなんて、もはや熱によりショートしかけている思考回路では、到底思い出すことなんてできなそうだった。
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