21.寛仁大度の憂鬱と
ああ、やばい。死んでしまう。
とにかくこの状況を一刻も早くなんとかしないと、本当にどうにかなってしまいそうだった。
しかし、膝の裏と背中に回されたあまりにも強靭すぎるその両腕は、絶対にそんなことを許してくれそうにない。
「う、牛島さん…!!」
まるで許しを乞うように情けない声でその人の名前を呼び、少しでも私が動けば触れてしまうんじゃないかという距離にあるその顔を見上げた。
その人の耳には、私の声なんて一切届いていないようだった。その鋭い視線はただただ前方に真っ直ぐと向けられている。
また胸がぐっと締め付けられる感覚に襲われた。
ああ、もう駄目だ。なんだか口から心臓が出てしまいそうだ。せめてもの抵抗として、私は行き場を失って宙で固まっていた両手で顔を隠した。手の平から伝わってくる顔の熱は、依然として尋常ではない。
本当に、私はどうしてしまったんだろう。
―――――
「…スマン若利。もう一回言ってくれないかな」
「最上が、死んでしまう」
そしてその状態のまま、牛島さんが向かった先はどういうわけか大平さんのもとだった。大平さんは丁度今まさに教室を出て部活に向かうところだった。
そしてそんなことを大平さんに向かって言う牛島さんの目は、相変わらず真剣だった。なんだか本気で心配してくれているみたいで、とても申し訳無くなった。しかし一向に顔や身体の発熱と動悸息切れは治まってくれない。“大丈夫、です”と必死に言葉を絞り出すも牛島さんには聞こえていないようだった。
しかしなんでまた、牛島さんは保健室とかではなく大平さんのところに真っ先に来たのだろう。そこは少し疑問だった。
牛島さんの腕の中から大平さんを見上げると、彼は一瞬きょとんとした後に神妙な面持ちをしていた。
「若利、とりあえず最上を下ろしてやんなさい」
そして今度は苦笑いを浮かべながら、柔らかい声色でそう言ったのだった。
「駄目だ。最上が逃げる」
背中と膝の裏に添えられた牛島さんの腕の力が、若干強まったように感じた。
そして正直ぎくりとしてしまった。だってどういうわけか、今はとにかく牛島さんのいる空間から逃げたいのだ。
「そんな、犬とか猫じゃないんだから」
「駄目だ」
大平さんが柔らかく諭してくれるも、牛島さんは一向に首を縦に振ってくれない。
縋るような想いでまた大平さんを見上げると、大平さんはハハ、と小さく笑った。
「最上、もう逃げないよな?」
「…う、あ…ハイ」
そんな優しい声色で言われたら、了承する他無い。絞り出した声は相変わらず情けなくかすれていた。
「若利」
「…………。」
「最上は、嘘は吐かないんだろ?」
大平さんが相変わらず優しい声色でそんなことを言うと、牛島さんはようやく私を床に下ろしてくれたのだった。
なんだか久しぶりの床の感触。私はそのまま顔を両手で抑えて床にへたり込んだのだった。
「じゃあ若利。最上は俺が責任を持ってなんとかするから、お前はもう体育館に戻んなさい」
「…だが」
「任せなさいって」
「…………。」
若干の間があった後、とぼとぼというなんとも歯切れの悪い足音が聞こえたのだった。
「最上」
「…ハイ」
「若利、もう行ったから顔あげな、」
大平さんのその言葉に、なんだか全身の力が一気に抜けた。
追って鼓動も熱も、徐々に通常を取り戻していくような感覚。思わず深い溜め息を吐いてしまった。
「…大平さん、すみません…」
「いや、普通はあんなやつに抱きかかえられて全力疾走されたら、そうもなるだろうから」
また大平さんはハハハと笑った。なんだろう、この人の発する安心感は。なんだか大平さんさんにかかればどんな深刻な状況でも落ち着けるんだろうななんて、そんなことを漠然と感じた。さすがは副主将。もしかしたら選手の人たちも普段、こんな感覚を抱いているのだろうか。
「…違うんです大平さん。いきなり抱きかかえられたからじゃ、ないんです…」
「?」
「なんか私、変なんです」
「うん?」
こんな自分自身の異常事態にそんな人が目の前にいたものだから、なんだか今まで内に秘めていたものが一気に爆発してしまいそうだった。
「なんか、牛島さんを見ると…動悸と息切れと発熱と、あと不整脈が起こるんです」
「…………。」
大平さんの口の端がほんの僅かにぴくりと上がったような気がした。
「目とか、見れないですし…声とかも、聞いていると、苦しくなるんです」
大平さんが、相変わらずの菩薩顔のまま小さくガッツポーズをした気がした。
「これ、って…」
大平さんは目を開き、じっと私を見据えた。やっぱり口の端は、またひくりとしていたような気がした。
なんだか続きを急かされているようで、私は一度呼吸を整えてからまた口を開いた。
「…アレルギー、ですかね」
大平さんはしばし菩薩顔のまま固まった後、両手で顔を抑えて床に膝から崩れ落ちたのだった。
「お、大平さん…?」
「…そうだよな、全部が全部、一気に上手いこといくわけ、ないよな…ハハハ…」
「?」
そしてその体勢のまま、ぶつぶつと何かを唱え始めたのだった。
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