22.旧態依然に追い打ちを


「瀬見さん、なんか疲れてません?」


部室に入ると、瀬見さんがパイプ椅子に燃え尽きたように座っていた。髪やら制服やらが、どういうわけかボロボロだ。なんでこの人部活始まる前からいきなり満身創痍なんだ。


「…さっき何故か絶対王者と一戦交えたんだよ」

「は?」


瀬見さんの言う代名詞が当てはまる人間なんて、この学校では恐らく一人しかいない。すると瀬見さんはあの人と喧嘩なんかをした、という意味として受け取るのが妥当なわけで。
うん、何やってんだこの人。いやむしろあの牛島さんに喧嘩を売るだなんて、ある意味で尊敬に値する程の行為だと思う。だってなんとなく牛島さんは、人間の一人や二人片手で軽くキュッとさせてしまいそうだ。


「なんか、最上が若利にめっちゃ追いかけられててよ」

「は?」

「最上からよく分からねぇけど足止め頼まれた」


とりあえずあの二人、何をしているのだろう。ますます状況が理解できなかった。
まぁそもそも今説明をしてくれている瀬見さん自身が状況を理解できていないらしいから、それは仕方の無いことだと思うけれども。


「ヒッ!出た!」


突如身体を大きく震わせた瀬見さんの視線の先を追って振り返ると、そこには渦中の人、牛島さんが無表情で立っていた。“一人”で。
瀬見さんの話を聞く限りだと、牛島さんは理由は分からないが最上を追い掛けていたはず。でも今、牛島さんは一人で部室に立っている。
まさか最上の奴、あの牛島さんから逃げ切ったのだろうか。俄かに信じ難いけれども、もしそんな俺の予想が当たっているのであれば最上は速やかに陸上部へ籍を置くべきだと感じた。絶対いいところいくと思う。


「ーお疲れ様です、牛島さん」

「……?ああ、白布か。お疲れ」

「?」


そして牛島さんは、ほんの少しだけれども雰囲気がおかしかった。なんだかどこかぼおっとしているような、そんな気がした。
まぁこの人の場合、険しい顔して何か考えているのかと思いきや、実は何も考えていなかったというようなことは日常的にある。だからもしかしたら俺の気のせいでしか無いかもしれないけれども。


「牛島さん」


…と、ここで完全に部室内で空気と化していた川西の声が静かに響いた。


「最上、生きてました?」


そしてそいつはニッと笑いながらそんなことを呟いたのだ。川西、いきなりのその不敵なかんじのキャラ付けはなんなんだ。
全く話が読めず、瀬見さんと二人で首を傾げていると牛島さんがぼそりと“恐らく”とだけ呟いたのだった。



――――――


『少なくとも、アレルギーではないから。確実に』


その後3年4組の教室にて、私は大平さんに優しく諭されていた。そしてどういうわけか体調もすぐに元に戻ったのだった。顔を触りながら首を傾げていると、大平さんは満面の菩薩顔で私の肩を叩いたのだった。
そしてそのまま大平さんと一緒に、練習開始5分前というぎりぎりの時間に体育館へと着いたのだった。


「さくら!」

「!」


するとすぐさま、鷲匠先生から名前を呼ばれた。この部で私をファーストネーム呼びするのは天童さんと鷲匠監督だけだから、呼ばれ慣れないそれに思わず身体が強張る。


「今から工のスコア、付けてくれ」


監督がごきりと両手を鳴らした先には、震え上がる五色くんの姿があった。
どういうわけか五色くんは、練習開始前にして監督の何かに火を点けてしまったらしい。さすがは期待の次期エース。
そんな突然の緊張感に、私の身体は先程までの誤作動をすっかり忘れさせられたようだった。





「…五色くん、大丈夫…?」

「…余裕、です…っ!」


結局その後、なんと部活の終わる19:00まで五色くんは監督に捕まりっぱなしだった。
五色くんは汗だくで、顔色ももはや真っ青。でも結局最後までやり切ってしまった挙げ句にまだ強気な言葉を発するのだから、本当にこの子はすごいと思う。私はタオルとドリンクを五色くんに渡しながら、改めてそんな頼もしすぎる後輩に敬意を抱いたのだった。


「んぐっ!?」

「!」


そして突如、五色くんは顔色を真っ青にしたまま口元を抑え、トイレへと駆け込んで行った。
凄いなぁ、あんなになるまで。改めて私はこの部に集まる人の凄さを思い知る形となった。


「最上」

「!」


ひとまずトイレの横で五色くんを待っていると、今できれば一番聞きたくない声が聞こえてきた。


「お、お疲れ様で「体調が悪いんだろう。すぐに帰るぞ」


相変わらず木訥な声色で淡々と与えられた言葉は、“帰れ”ではなくて“帰るぞ”。牛島さんの中では一緒に帰ることはもはや決定事項になっているかのような口振りだ。
ああ、今日も今日とてなんて後輩想いな人なのだろうか。よくよく考えると、夕方追い掛けられたことだって要は私を心配してくれたが故のことだ。
ああ、私はなんて恐れ多いことを。


「いえ…大丈夫です。五色くんが「五色は大丈夫だ。あの程度で倒れる奴ではない」


また、有無を言わさぬ物言い。なんだか五色くんを心配していたことすら、恐れ多いことのように感じた。


「でも、今日は大丈夫です。一人で、帰れます」


思い出したかのように鼓動を高める心臓を抑えながら、私は極力普段通りの声色をつくるように努めた。


「お前は大丈夫では無い」

「え、えっ」


少しショックだった。なんだか1年生である五色くんよりも2年生である私のほうが、まるで信頼をされていないかのようで。
まぁそもそも比較対象が比較対象なだけに、すぐにそれも受け止められたけれども。


「帰るぞ」

「!?」


牛島さんの左手は、私の右腕をがっと掴んだ。少しよろけつつ、能動的にその背の後を追う。


「だから大丈夫、ですって」

「駄目だ」

「大丈夫です」

「道路で死なれたら困る」

「し、死にません…。もう、治りました…っ」


訴えるようにそんなことをその背中に向かって必死にそんな言葉を投げかけると、牛島さんはぴたりと立ち止まり、首だけをこちらに向けて振り返った。


「…どこがだ」


そして若干目を細めながら、呆れたような口調でそんなことを呟かれたのだった。
空いた左手で触れた頬は、残念なことに再び熱を取り戻してしまっていた。


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