25.後悔噬臍今更の
どうしたものか。
辞書曰わく、私は牛島さんを愛してしまっているらしい。俄かに信じられないし、あまりにも恐れ多すぎやしないだろうか。そもそもきっかけはなんだったのだろうか。もともと私は、牛島さんを尊敬していたと思う。そしてそんな想いは、戦力外通告疑惑の件やホテルでの幽霊騒動やらを経て益々強くなっていった。
しかしてその時点では、まさかそんな身の程知らずな感情には決して至っていなかったと思う。では、いつだろう。
私の中に明らかな異変が起こったのは、やはり牛島さんから帰り道に“好きだ”と言われてからだったと思う。だとすると、あれだろうか。もしかしたら私は尊敬している牛島さんにそんな好意を伝えられて、舞い上がってしまったのだろうか。だって好きだと言われたから好きになる、だなんてあまりにも単純すぎる。恋愛感情というものが、そんな生半可なものでいいはずが無い。いやそもそも恋愛感情ってなんなんだろう。
「………。」
体育館へと向かう途中、思わず立ち止まった。
いや、そんな恋愛感情云々はもう一旦置いておこう。それよりもまず、もっと目先のところで昨日私は牛島さんにとんでもない失礼を働いていなかっただろうか。
恐らく私を心配してくれていたであろう牛島さんをひたすら避け、挙げ句帰り際挨拶もけんもほろろに逃げる形となってしまった。
さあっと血の気がひく感覚に陥った。私は、なんてことを。
私のこの感情がどのようなものであったにしても、そんな行為がプラスに働くものであるわけがない。むしろ許されるものですら、ないだろう。
まずは謝らなければ。牛島さんにも、瀬見さんを始めとする昨日迷惑をかけてしまった人たちにも。
一度深呼吸をして、再び歩き出す。するとどういうわけか脚が信じられないくらいに重かった。
「あ、さくらちゃん。おつかれ〜」
「お疲れ様です」
部室に入ると、そこには既に数名の部員がいた。
牛島さんの姿は無かった。そのことにどこかホッとしている自分に気が付くと、また得体の知れない罪悪感に苛まれたのだった。
「なんか昨日挙動不審だったよね〜大丈夫?」
天童さんはニヤニヤしながらそんなことを言った。私は挙動不審だったらしい。なんということだろう。めちゃくちゃ恥ずかしいのだけれども。
「…ひょっとして、」
「?」
「若利くんのこと、好きになっちゃった?」
間
「…天童さん」
「ん?」
あ、あれ
「この私があの牛島さんに対してそんな恐れ多い感情抱くわけないじゃないですか訂正して下さい本当に何言ってるんですか天童さんそんなこと冗談でも言うものじゃないです第一あの牛島さんですよ世界ユースですよ絶対王者ですよそんな方にどうして私がそんな身の程知らずな感情を抱かなければならないんですか牛島さんにとって私なんてたかがマネージャーでその他大勢のうちの一人でいっそその辺の石ころとなんら変わらない存在ですよなんでそんなこと言うんですかなんでそんなこと言うんですか」
淡々とそう告げれば、天童さんはぽかんとした顔をしていた。気付けば部室内もしん、と静まり返っている。
いやしかし、一番驚いたのは私自身だったと思う。まさか自分の考えがこれ程までに流暢に、しかもノンブレスで口から出てくるだなんて。
信じられない。私は先輩に対してなんて発言をしてしまったのだろうか。心臓がばくばくと鳴っていた。
「…ご、ごめん、さくらちゃん…」
そして天童さんは軽口の一つでも飛ばしてくれるかと思いきや、額に冷や汗を浮かべながら謝ってきたのだった。
なんだか罪悪感が増す一方だった。
「いえ、こちらこそ、すみません…」
私は何をムキになっているのだろうか。どうにかしてしまったのだろうか。
しかして先ほどのものは無意識による発言だったからこそ、自分の本心も垣間見ることができた。
そうだ私は、ただひたすらに、仮に疑惑でも牛島さんに対してそんな感情を抱きつつある身の程知らずな自分が許せないのだ。
牛島さんを、心底尊敬しているからこそ。
しかしてそうと分かってしまえば妙に気分も落ち着いてきたから不思議だ。私にはしっかりと理性が根付いているらしい。
そうとなれば、私が立場的に優先すべき感情なんて決まっている。
「天童、」
すると背後から、とうに聞き慣れた低くて威圧的な声が聞こえてきたのだった。まさか今の発言を聞かれていないだろうか、そんな不安が一瞬頭を過ぎったけれども、もう心臓はすっかり普段の状態を取り戻してくれていた。
「大平を見なかったか?」
牛島さんはゆっくりと天童さんに歩み寄り、タオルで汗を拭いながらいつも通りの声を発した。
「獅音は委員会で遅れるってー」
「そうか」
そして非常に短い会話が終わると、ふと振り返った牛島さんと目が合ったのだった。
「牛島さん、昨日は申し訳ありませんでした」
そこですかさず頭を下げた。
「……………。」
しかし、一向に返事は返ってこなかったのだった。
「……?」
怪訝に思って顔を上げると、一瞬目が合った後に牛島さんはパッとそれを逸らしたのだった。
「…問題ない」
そしてそう静かに呟くと、牛島さんはスタスタと部室を出て行ったのだった。
いつも通りと言えば、いつも通り。
具体的にどこがどうかとは言えないけれども、どうも様子がおかしい。まるで、急に突き放されてしまったかのような感覚に陥った。
私の勘違いかもしれない。思い過ごしかもしれない。
けれども、“とうとう牛島さんを怒らせてしまった”というような漠然とした不安に苛まれた。一気に血の気が引いていくような感覚だった。
「う、牛島さん、」
私は咄嗟にその背中を追い掛けた。理由は分からない。けれどもとにかく、そんな不安を一刻も早く解消したくて堪らなかったのだ。
「なんだ」
牛島さんは歩みを止めることも、振り返ることもないままそう呟いた。
「本当に、申し訳ありませんでした…!」
その背中に向かって必死に声を掛けた。
「そもそもお前に謝られるようなことはされていない」
「でも、」
「問題ないと言っただろう」
「牛島さん、」
「他に何か、用があるのか?」
「!」
思わず、立ち止まってしまった。
牛島さんの口調はいつも通りに淡々としていた。しかし声色の雰囲気はいつもと違っていた。まるで遠ざけられたような、“鬱陶しい”とはっきりと言われたような、そんなものだった。
「…失礼、しました」
咄嗟に出てきたのは、やはりそんな謝罪の言葉で。
そしてその声色は自分でも信じられないくらいに、ひどく情けないものだった。
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