28.回心転意は受動的


いろいろと考えた結果、私は思考を一旦停止することに決めた。
恋だの愛だの、結局私は未経験者なのだから、その判断が付かなくて当然だと思う。であれば結果がどうであれ、別に焦る必要も無いのだと思う。むしろ焦ったところでいい結果につながるとは到底思えなかったのだ。
というわけでそれから数日間、私は牛島さんと、必要最低限の会話以外は一切交わしてこなかった。最初こそ辛かったけれども、やはりもともとの自分自身の性格上か、案外すんなりと慣れることができた。いっそ前のような発熱、動機息切れなんかの突発的で原因不明なものにも苛まれることはなくなったのだから、やはりこれで良かったのかもしれない。
かと言って自分の中で何か進展があったかと言えば、そんなことは一切なかったりもするのだけれども。でもこれでいいと思う。『平穏無事』以上の幸せなんて、一体どこに存在しているというのだろうか。
しかしてどういうわけか、それを私は無意識に自ら壊しにかかろうとしていたのだった。


「・・・は」


目の前では牛島さんがぽかんとした顔をしている、ような気がした。いかんせん視界が歪んで見えないのだけれども。
私の両頬には、どういうわけか生温かい液体が止めどなく伝っていた。何故私は泣いているのだろう。当の本人であるはずの私がこんな心境なのだから、牛島さんの今の表情の理由だって納得できる。
今だって私はいつものように、牛島さんと『必要最低限の』会話を完了させたところだった。しかしそれで終えればいいものを、私は思わず部活開始時から抱いていた違和感を口に出してしまった。なんだか牛島さんの顔色が、悪いような気がしたのだ。恐れ多いとは思えど、「体調悪いんですか?」などと質問をしてしまったのだ。牛島さんは一瞬きょとんとした後に「特にそのようなことはない。それにお前に心配される筋合いもない」という言葉を返してきたのだった。
本当に、ただそれだけ。それだけなのに。なんだか「心配される筋合いもない」というその言葉が、本格的に突き放される決定打のように思えてしまった。そして今に至る。


「・・・失礼、しました」


これは、どう考えても私が悪い。
牛島さんのすこしキツめで歯に衣着せぬ物言いなんてむしろ代名詞だろうに、そもそも牛島さんのように体調管理には物凄く厳しい人に対して身を案じてみるなんて愚行、恐れ多いにも程があるし、いっそ失礼だろう。それなのに一方的にショックを受けて泣き出すなんて、私はなんて幼稚なのだろうか。こんなキャラだっただろうか。
頭は妙に冷静にも関わらず、どういうわけか涙は一向に止まってくれる気配がない。牛島さんに深々とお辞儀をし、まるで逃げるように踵を返した。
すると、腕をがしりと何かに掴まれてしまったのだった。


「!?」


振り返ると、相変わらずぽかんとしている牛島さんと、まともに目が合ったのだった。
私の腕は、牛島さんの左手にがっしりと掴まれていた。


「何故、泣いている・・・?」


牛島さんはぱちぱちと何度か瞬きをしながら、珍しく戸惑い気味な声を発した。
何故、と聞かれても。そんなこと自分でも分からないのだけれども。


「え、と、牛島さん、が・・・」


せめて冷静に状況だけでも伝えそうとするものの、声がくぐもってしまった。鼻の奥がツンと痛いし、上あごの奥のほうが焼けただれているかのような感覚。
うまく言葉を発することができず、最悪のところで止まってしまった。これではまるで「あなたが悪いんですよ!」と言っているようなものじゃないか。相変わらず涙は止まってくれないし、なんだかもう内心修羅場もいいところだった。


「・・・俺のせいか?」

「い、いえ、違っ、」


牛島さんのせいであるはずが無い。いや、でもきっかけは牛島さんの発言なわけで。それでも結局は私のまさかの豆腐メンタルが原因なわけで。いやしかしそれにしたってあまりにも今更すぎないだろうか。
自分自身でも納得のいく理由を探してみるものの、そんなものはなかなか見つかってくれない。


「最上」


そしてついに、両肩を牛島さんに掴まれてしまった。その鋭い視線が、まともにこちらに向けられる。なんだか眩暈がしそうだった。


「は、い・・・」


絞り出すようにして返事をすると、牛島さんは一つため息を吐いてからまた口を開いたのだった。


「・・・言いたいことがあるのなら、言え」


持ち前の威圧感と共に、そんなことを言われてしまった。
言いたいこと、と言われても。それがぽんと出てくるのであれば常日頃苦労はしていないわけで。いや、常日頃、ってなんだろう。
ともかく私は今、他でも無い牛島さんからそんな『指示』を受けているわけで。だとしたら、後輩である私は可及的速やかにそれに答えるべきで。言いたいこと、言いたいこと・・・?



「う、牛、島さん・・・」

「なんだ」

「あの、えっと、その・・・もっと、構って、くだ、さい・・・?」

「は」


















「・・・あれっ」


どうしよう。なんだか今、物凄い勢いで表現を間違えたような気がする。構って下さい、ってなんだよ。なんでいきなり構ってちゃんキャラになっているんだ、私。自分にそうツッコミをいれるのと同時に、顔に一気に熱が集まってきたのだった。
しかして涙を流すと、頭の中が変にすっきりとしてしまうのだろうか。どういうわけか妙に冷静だった。すっかり明瞭となった視界に映ってきたのは、俯きながらわなわなと震える牛島さんの姿だった。
あ、これ私、死んだかもしれない。


「・・・最上」

「は、い・・・!?」


牛島さんの声は、らしくもなく若干震えていた。


「すぐに、俺から離れろ」

「え、えっ」


そして告げられたのは拒絶の言葉だった。
もちろんショックは受けたけれども、それ以上に牛島さんの雰囲気は異常だった。いっそ心配してしまうほどに。


「・・・頼む」

「う、牛島さん・・・?」

「今の俺は、お前に何をしてしまうか、分からない」

「ヒッ!?」


私の「構って下さい」発言は、なんと牛島さんにとって我を忘れるほどに屈辱的なものだったらしい。血の気が一気に引いていく感覚に陥った。
しかして牛島さん。離れろと言われても、両肩があなたに捕らわれている状態なのですが、私。


「・・・最上」

「は、はい・・・!」


どうすることもできず、私はとりあえず目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばったのだった。



「・・・は」

「・・・?」


時間にしてわずか数秒。その間唇に、少し柔らかく若干かさついたものが触れた気がした。
怪訝に思って目を開くと、そこには目をこれでもかとかっぴらいた牛島さんの姿があった。
こわっ。


「・・・最上。すまない」

「???」

すると、次の瞬間、牛島さんは物凄い勢いで廊下を駆けて行ったのだった。
最後にちらりと見えたその人の顔は、なかなかどうして真っ赤だった。とりあえずは顔色が悪いのも、私の気のせいにすぎなかったらしい。
いろいろと腑に落ちないところはあるものの、時間も時間であるためこのまま帰路につくことに決めたのだった。



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